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ヒーローになれない少年

食事をして帰宅したのが深夜を回り、ルカに叱られるかもと覚悟を決めて玄関のノブを回したのだが。

幸運なことに、ルカも仕事で本部に詰めているらしい。3DKのアパートは無人だった。

それにしても時刻は遅いので、なるべく音を立てないように軽くシャワーを浴びて、あてがわれている自室のベッドですぐに横になる。

すると睡魔がゆるゆると訪れて、やがて深い眠りに落ちた。

翌朝はすっきりと目覚めて、いつもより早く支度を始めた。ルカの部屋を覗いたら帰宅して寝ていたので、自分の朝食のついでに用意してやる。

卵を二個、使い古したフライパンに落として、その隣のスペースで予め切り込みを入れたウィンナーを適当な本数出して焼く。

冷蔵庫に賞味期限が切れそうな薄切りベーコンがあったのを思い出して、パックから取り出して豪快に放り込んだ。

その合間を縫って火加減を見ながら、トースターに一枚だけ食パンを放り込んで焼いておく。

いまも機能している街以外の棄てられた区域には、野生の動物が繁殖していた。

そのなかには元家畜がいたらしく、封鎖された壁の外に出てちょっと猟銃でも持っていけば、肉などタダでいくらでも手に入る。

それを元手ほぼゼロで手に入れて、加工して闇市などで売り出す有り難い輩がいる由来から、加工肉には困らない。

しかしいまだ飢饉の被害から抜けきれないので、基本的には物資不足。それも大いにあるが、男所帯で野菜なんて滅多に摂らない。

だから肉まみれだが、これで朝食は完成だ。

焼けた食パンにマーガリンを塗りつけて齧り、新聞がわりに昨日ルカから渡された資料に目を通してみたのだが。

「ん?なんて読むんだコレ……」

資料の内容は〈レザークラフト〉の構成員数人の、身辺調査結果だった。

本名とコードネームと出身地、体格や特徴、誕生日なんかも箇条書きで細かに記されていた。

明らかな外国人もいれば、明らかな日本人もいる。男がいれば女もいる。

カルト教団だときいて、秋は皆になにか共通点でもあるのかと思っていたが、特に片寄った特色はないように見える。

表向きの職業も皆バラバラで、大昔にあったカルト教団みたいに学力が高い人材を集めたようでもなさそうだ。

その中のひとり、コードネーム《青金の人形遣い(ドール・プレスティジャトーレ)》のページで、秋は苦戦していた。

「青柳……藤?とう?〈レザークラフト〉幹部……へぇ」

幹部といっても、資料に載っている構成員のなかでは飛び抜けて若い印象だ。高校生の秋からしたらかなり大人に感じるが、まだ二十代の半ばである。

そのコードネームが表す通り、彼は戦闘用に特化させた機械人形ドルチェを使って戦う。

戦闘用のドルチェは、そのヒトと同じ大きさのボディを武器化し、使用者の脳と同期して自動で最適化、演算機能で敵の動向もタイムラグがほとんどない、リアルタイムで逐一チェックできる。

その破壊力たるや、一体で軍の小隊一個分、とも言われているほどだ。

武器になる危険なものなんて、一般人向けの販売は許可されていないが、例の墓都市を警護する『墓守はかもり』が、専用武装としているくらいだ。

〈レザークラフト〉の連中がどれだけの戦闘能力を持っている“軍団”か、それだけで想像して恐ろしく感じる。

「しかし『青柳』って。どっかのムカつく女を思い出す、な……」

独り言でぷりぷり思い出し怒りしながら、ベーコンに箸を伸ばしかけて、しかし止めた。

「……もしかして」

嫌な予感が秋の脳を巡り巡って、考えつきたくないのに結論づけてしまう。こびり付く思考を拭い去りたいのに、しつこく纏わりつく。

ルカが部屋から出てきた音がして、秋の思考はほんの一瞬で現実に切り替わった。

聞きたくない知りたくない。でも当たって欲しくない。でも。

怒ってばかりのパートナーの顔が、秋の脳裏に浮かんだ。

いつも嫌味ばっかりで、なにかと突っかかってきて、笑顔なんて絶対に見せやしない。可愛くない女。

写真のなかでも笑えない、死人みたいな悲しい灰色の瞳。

しかしゲームして、どこかにいる動画の視聴者と関わるときの、輝かんばかりの天使のような笑顔が、やはり忘れられなかった。

知らなきゃいけない。そう、心臓が早鐘のように鳴って告げている。

その一心で、起き抜けのルカに縋るように尋ねると、彼はいままでにない苦い顔をしてから答えてくれた。

「あぁ、〈レザークラフト〉の幹部である青柳藤は、確かにシスタートウコの実兄だ」

「まてよ!じゃあアイツは、実の兄貴と戦わなきゃいけないってことかよ!?」

実の兄と妹が対立するなんて、そんな無慈悲があってたまるか。

ルカならきっと、なにか手立てを考えて、そんな悲劇を回避させてくれるはずだ。

きっといまも策を巡らせてくれている。そうに違いない。

そう信じてやまない秋に、しかしルカはこう答えた。

「……彼女が修道女である以上、そうなることは避けられない」

「でもっ!実の兄貴と、家族と戦うなんて……ルカはいいのかよ⁉︎」

「だからこうしようと思うんだ、ちょっと待ってろ」

————なんて。

そう言ってくれる。

だってルカは、秋がこの世でもっとも信じている修道士は、そういう男だから。

だが。

「青柳藤は〈レザークラフト〉の幹部であり、危険因子だ。教会としては、彼は立派な断罪対象となる」

いつもの人好きのする、温かくて優しい声ではなく。

硬質の事務的な声が、はっきりとそう断言した。

策を巡らす余地はない、する気はないと、そう言っているみたいに聴こえる。

「っ……勅命がなんだってんだよ。じゃあアイツは、アイツの気持ちはどうすんだ⁉︎」

家族が殺しあう……秋の脳裏に自然、父と母の姿が甦る。

頼もしかった父が、優しかった母が。

自分の目の前で凄惨に殺しあい、果てたその骸を、秋は死んでも忘れられない。

幼かった自分のか弱い姿が、なんとなくいまの桐子と重なった。

だってあんなにも切ない瞳。いまにも壊れそうなのに、壊したくない。

「じゃあお前が彼を『殺す』か?」

「————え?」

ルカの口から出た。『殺す』という言葉。

あまりにも信じられなくて、信じたくなくて、声が出てこない。

頭のなかで、ルカが言った『殺す』の言葉が渦巻いて、大きく占領している。

「これは教皇がお決めになった任務であり、修道士は従わなければならない……なにがあっても、だ」

修道士、修道女は皆例外なくヴァチカン本部の教皇に対し、絶対の忠誠を誓う。

神の遣いでありながら、その実は教皇の狗。

教皇が許さないものには断罪を。

教皇が殺せと命じるのであれば、その命を奪うことも厭わない。

もちろん秋も、桐子だってその範疇にある。

「っ……だからって、なにも殺すなんて……」

声が、喉が詰まる。手にも力が入り、いつのまにか握っていた。

いまのルカと目を合わせたくないと、秋はただ床を憎たらしく見つめる。

『殺す』なんて行為は、秋のなかにはなかったこと。

どんなにムカつく奴でも、殺そうとまでは思えない。

自然に避けていたのかもしれない。

だって《死》の先には、両親と同じように惨死した骸が待っているから。

あんな光景は、もう見たくない。あの絡みつくような湿度の地獄はもう、ルカが追い払ってくれたのだ。

ルカを信じていた。信じていたかった。

いつだって彼は、秋が欲しいものをくれるから。

なのに現実は残酷に、秋をあの地獄へと追い込んでいく。

「……お前のことだから、完全に実感できてないとは思っていた。だけど俺もお前に甘いから、言いたくなかった」

これまでにない深い悲しみのため息に、ルカはとうとう諦念の意を込めた。

「なんのことだよ?」

喉が張り付き、声がかさつく。

ルカが言おうとしていることに、秋の予測がまるでつかない。

これ以上、どこにどう突き落とされるというのか。

やはりルカの声は、いつもとは違った響きだった。

「修道士の任務は、人の生死にも関わることだ。人を死なせてしまうことだって、最悪の場合ありえる」

「そっ……」

聞きたくなかった。そんな現実は、理解したくない。

耳を塞ぎたいと考えたら、耳鳴りが煩く叫びだした。頭痛が重くのしかかり、思考能力を奪いつつある。

秋だって、まったく考えなかったわけではない。

悪魔という精神汚染は、時として人の命を奪うきっかけとなる。人によっては十年単位で苦しみに苛まれ、そして人知れず自殺を図る。

「お前も、お父さんとお母さんのことで、本当はわかっていたはずだ」

「で、でも……ルカは母さんを救ってくれた。母さんは」

「結果として、だ。お父さんのように死なせてしまう可能性だってあった」

秋の母親の自殺だっておそらく、長年苦しめられてきた結果のことだろう。

彼女は記憶を失い、しかし息子には情けない姿を見せまいと明るく振舞っていた。

母の手料理はいつも美味しくて、母の手は細いままだけど温かくて、記憶のなかの母はいつも秋に微笑みかけてくれた。

でも。

その先に待っていた、母が自殺したその姿。

血でべったり濡れて、骨そのものみたいに痩せ細っていて、こころも体も衰弱しきっていた。

「でも……だけど……」

————それでも夢を見せてくれたのは、ルカじゃないか。

信じてきたものの容赦ない瓦解に、秋の頭は思考停止寸前。それでもなお、ルカは厳しく追い討ちをかけた。

「じゃあ聞く。秋、お前はその背に人の死を背負い、必要なときにその手で人の命を奪う選択をとれるか?」

修道士がすべての人を救える、だなんて。

夢見がちもいいところだ。子供騙しのヒーローショーで沸き立つガキかよって。

すべての人が救えたのなら、日本の自殺率なんてあっという間にゼロになる。

すべての人が救えるのなら、じゃあ父さんと母さんも助けてくれよ。

あの幸せだった日に戻って、あの温かい家に帰って、母さんの温かい手料理を囲んで、父さんと張り合うように頬張って。

すべては夢。叶うことのない、叶えられない、理想。

そうわかっている。わかっているよ。

滲む涙、信じたい理想。

「人を殺すことは、修道士がすることじゃない!」

ぱぁん!

と、いつでも団欒を提供してくれたそのダイニングに、音が響いた。

ルカが秋の頬を思いきり叩いたのだ。

一瞬で訪れる静寂。

しかしほとんど間髪いれず、ルカが珍しく激昂した。

「そんな綺麗事で生きていけると思うなよ‼︎」

「……っ」

ルカに張られた頬が、じわっと熱くなってきた。

ルカの瞳が滲んでいたように見えたのは、きっと秋の幻覚なんかじゃない。

「修道士は、お前が思っているほど綺麗な存在じゃない。神様なんかじゃない、ただの人間だ」

それで締めくくりにしたいのか、次の瞬間にはルカはいつも通りに振る舞おうと、なんだか一生懸命だった。

「……わかったらホレ、黙って学校行け。遅刻すんぞ」

秋の背中を軽い力で押して、朝の一本を吸いにキッチンの換気扇へと移動しようと、すり足で裸の冷たいフローリングを歩く。

「俺は……ルカに救われた」

「!」

あの地獄から掬い取ってくれた、そのぶ厚い手のひら。父とおんなじ手だった。

「ルカのお陰で、いまも生きていられる。だから俺は……」

普段はどんなにダメでエロ親父でも、決める時は決める。それが秋の信じるルカだ。

それはきっと、いつだって変わらない背中だと。変わらぬ温かさをもっている手だと。

いまも信じている。

「ルカみたいな、誰かを救えるカッコいいヒーローになりたかった」

きっと自分も、いつか自分も、絶対に、そうなりたいって思っている。

誰よりもカッコいいヒーローは、テレビのなかにも、ましてや夢のなかにもいない。

ただの夢物語、理想になんかしたくない。現実にするんだ。

揺るぎない、真っ直ぐな秋の瞳。

眩しくて、痛々しくて。ルカには直視することができなかった。

「……俺はヒーローなんかじゃねぇ。しょうもないダメ人間だよ」

いつになく弱々しく、ルカは吐き捨てた。

そのまま換気扇の前に出て、コンロのすぐ側に常備している煙草と愛用のライターに手を伸ばす。

手のひらで、この家では珍しく高価そうなシルバーの彫り込みがされたライターを、ころころと弄んだ。

よく見るとあちこち傷だらけで、しかし大事そうに使っていることから、かなり古い物だとわかる。

「もう修道士ごっこはやめておけ、いまなら普通の高校生に戻れる。お前には」

しゅっと音がしたと思ったら、煙草に火が着いて細い煙が静かに、ゆっくりと上る。

口中で煙の苦さを味わうような気持ちには、とてもなれなかった。

ただ、たったひとつだけ、彼に願うとしたら。

「もうこれ以上の重いもんを、背負わせたくないんだ」

ルカは背中を向けていて、秋にはその表情は見えなかった。

せっかく作った朝食もそこそこに、秋は洗面所で顔を洗い、自室に戻って壁に掛けた制服に袖を通す。

いつもならどんなに急いでても言う『いってきます』は、気まずくて言えずに家を出た。

喧嘩なんてしょっちゅうだし、口をきかなくなることも、それと比例して数え切れないくらいある。

そのはずなのに、今日だけはどうしてか。

いまにも泣きだしそうな、最悪の気分だった。

いつも通りにオンボロの原付バイクで走って見える景色は、どんよりと曇っていて気分が悪い。

いまにも雨が降りそうだ。


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