レザークラフト
担任教師に特別に出席扱いにしてもらってから、秋は駐輪場に停めていた原付バイクの元まで全速力でたどり着く。
今日は調子がいいのか、エンジンは一発でかかって、第一高校の立派な校門から県道まで出ようと、必要性を感じないウインカーを右に点滅させた。
元々車通りが少ないのは時代の流れというものだが、平日の昼間だからか、道路はさらに閑散としていたので、目的の教会本部にはすぐ着いた。
《中央区》の特区、その一等地に教会本部はある。
昔、ルカがまだ上級輔祭として任されていた旧海老名市にあったあのオンボロ教会よりも、比べるまでもなくずっと立派な建物だ。
いわゆる神様の有り難みや大きさを感じたいと思うなら、断然こちらの本部がおすすめである。
その本部の一室で、現在のルカは中級司祭として、下級の修道士たちの育成や指導を任されている。といってもまだ副指導官なのだが、将来を見越して秋と桐子のペアはルカの直属という位置付けだ。
遅れてきた桐子とふたり、揃ったところで教会がルカに与えた『指導室』の扉を三回ノック。すぐに応答があったので、建物に見合った立派な樫の両扉を開けて、『アスカリ中級司祭』と相見える。
すぐそばには、ルカの相棒であるシスターカナコが、彼の補佐係として静かに付き添っていた。
「よぉ、随分と遅かったじゃねーか。学校でテストか?」
ルカ改めアスカリ中級司祭は、いつも通りに煙草を咥えているかと思いきや、案外と真面目に机で資料を広げている。
樫の扉が閉まったと同時に、ふたりの喧嘩がゴングを鳴らした。
「コイツの伝達が遅かった上に、移動手段が徒歩だから悪いんだよ」
「あなたがバイクに乗せてくれれば、もう少し早く着きました」
「お前も原付くらい買えばいいだろ!」
「まぁまぁ落ち着け。本題に入りづらいだろ?」
と新人ペアの言い争いをどうにか宥めて、ルカの代わりにシスターカナコがふたりにそれぞれ資料の束を配布。
あとで目を通すように言いつけ、ルカはきわめて神妙な顔つきでさっそく本題に移った。
「〈レザークラフト〉が動きだした」
「……!」
「〈レザークラフト〉……?」
ルカの重々しげな言葉に、桐子は明らかに緊張と焦り、怒りの面持ちを浮かべ、対して秋は純粋に疑問の色を浮かべた。
「秋はあんまり知らないだろうな。東京エリアで起きた事件がきっかけで生まれた、カルト教団だよ」
まだ日本国が、国としての機能をかろうじて維持していた頃だった。いまより二十年と少し前のことだ。
たったひとりの猟奇殺人鬼によって、当時は東京都だった都市の総人口、そのおよそ二割が消えた。
男は最初の犠牲者と目される男性から剥いだ顔の皮を被っていることから、【レザーフェイス】という通り名で呼ばれている。
チェーンソーやら斧やら肉切り包丁やらで、老若男女見境なく皆殺し。バラバラに解体したり皮や爪を剥いだり、内臓を取り出して並べたり、徒らに目玉を抉り出してプチっと潰したり。いずれにしてもおぞましく、好き放題に暴れていた。
【レザーフェイス】という人物はそれほどに「破壊」という行為が好きなのだろうか。また、その凶行に至るまでの人物像は。
当時の犯罪心理学者がこぞって議論したり、関連本を多く出版したが、その真相を暴いた者は未だいない。
死体の第一発見者は皆一様に気が狂ったとも報道されるほどに、現場は凄惨を極めたものだったらしい。
その当時はまだ一般的だったインターネットに流出した一部の画像は、狂った奴らを大いに興奮させ、友達も見たからといった軽い気持ちで閲覧する者もいた。
そうして子どもたちにも広がりつつある危機だが、各小中学校や高校のPTAによる猛烈な抗議によって、政府による強固なフィルタリングと規制が敷かれた。
それでも見たい奴らが仕組みの穴を見つけてどこかの掲示板に貼りつけて、注目を浴びて愉悦に溺れる。
そういったことから日本も狂いに狂っていると、世界的に猛烈な批判を受けても不思議ではなかろう。
恐ろしいことに、奴はまだ捕まっていない。
疑義の大小はあれど被疑者は多数出たのだが、肝心の決定的証拠が見つからなくてほとんどが早々に釈放された。
時効というものが完全撤廃されて、いまも捜査は続行されている。
が、決め手に欠けるというよりは、もはやファンタジーなんじゃないかと揶揄されるほどに、証拠品から出る情報は虚しい。
捜査状況があまりにも遅々としていることで、事件も人びとのなかで風化しようとしていた。
だが被害者が多すぎて、墓石の会社やご遺体を受け入れる寺院など、非常に多くの人々が混乱していたことと、事件の風化を防ぐ意味合いで、東京都が奥多摩の山を提供。
『墓都市計画』が立案された。いわば慰霊碑の機能拡大版みたいなものだ。
実際の計画立案から完成まで、ゆうに十年の時が流れたらしい。
街の中心の総面積の六割にも足る墓地ができて、それを囲むように住居や店が並んでいる構造だ。
国の規模縮小で十のエリアに分断された二○三二年の現在でも、その墓都市は現存している。
しかしここからが本題である。常人にはとても恐ろしく、理解の範疇を超える奇妙な歴史の始まりだ。
その【レザーフェイス】をあろうことか神格化し、崇拝する連中が現れ始めた。
やれ『神の裁き』だの『イエス様の再来』だのと、被害者がいるにもかかわらず頭がトチ狂った解釈が、まだ安定して供給されていたインターネットのなかで拡散された。
『みんなで【レザーフェイス】様を応援しよう!』なんて題して作られた程度の低い馬鹿馬鹿しいブログが腐るほどあったのだから、どれだけ世間に浸透していたのかがわかってしまう。
仮想世界の中だけで済む話であればよかったのだが、残念ながらその程度で止まることを知らない結果となった。
墓都市と、そして日本中を巻き込んだ【レザーフェイス】崇拝者たちの一部が結集して、徒党を組んだことが現在に繋がる火種となった。
彼らが墓都市に現れては、自分たちの神であるところの【レザーフェイス】が殺した被害者たちのご遺体を攫うという、信じがたい蛮行を繰り返し始めたのだ。
ご遺体を集めてなにをしているのか、攫われたご遺体はどこへやったのか。警察が総出で捜索しても、ご遺体は欠片さえ見つからない。ご遺体を攫われたご遺族の心中は、お察しするべきだろう。
警察にも政府にも止められない彼ら【レザーフェイス】信者たちは、いつしか自らを『神が創りたもうたもの』の意味を込めて〈レザークラフト〉と名乗り始めた。
神の名の下に、汚れた地上の子らを浄化する……大方そんな感じの考えだろう。
「つまり殺人鬼を神と崇める、狂った集団ってことさ。信仰神の違いで主にウチと対立している、ってのが簡単な現状かな」
なんとなく沈んだ空気を誤魔化すように、ルカはいつも通りに煙草を咥えて火を点けた。
世界的大飢饉のあとは警察も一時的にその組織が崩壊し、活動をやめない〈レザークラフト〉と対立する主な組織といえば、教会となった。
皮肉なことに、そのお陰で教会や悪魔というものが世間に認知されるきっかけとなったのは、言うまでもない。
世間一般的な解釈としては、【レザーフェイス】がその凶行に至るきっかけは、悪魔に取り憑かれたからだとされている。
「世も末、ってやつだな」
秋も胸糞悪い話を聞かされて、気分を変えたいところだが、あいにくとこの指導室にはルカの独断でコーヒー代用品しか置かれていない。
代用品は、匂いこそコーヒーそのものだが、味が泥水を啜った方がマシというほどだ。
本物のコーヒーはいまだに物資不足で高いから、というのは建前で、本当はルカがコーヒーだけは苦手だからという子供っぽい理由からというのは、秋もシスターカナコも知っている。
「彼らは神の名を騙り、本能の赴くままに罪なき人を殺す……ただの最低な人でなしです……っ」
そう震えた声で言う桐子の顔は、明らかに怒っていると秋にもわかった。
単純な怒りだけではない、恐れや恨み、憎しみ。
負の感情をすべて足して長いこと煮詰めたかのような、彼女の暗く重く、深い表情。
細い肩も震えていて、手のひらはなにかを我慢するようにきつく握られている。桜色の唇も、いまは萎れたような色で戦慄いていた。
「……?」
いつも喧嘩ばかりで、怒らせてばかりだが、こんな桐子はこれまで見たことがなかった。
なにかあったのか、とたまにはパートナーらしく聞きたかったのだが、それは良くも悪くもルカに遮られた。
「まぁ、そういうことだ。神に仇なすものは、俺たちが断罪する!……ところで」
と秋にもなんとなく理由がわかるくらい唐突に、ルカは話題を転換させる。
「お前ら。まーだ名前で呼び合ってないのな」
と言われ、ふたりは競争しているかのように睨みあう。
「「…………」」
身長差から、秋は見下ろし、桐子は見上げるようになっているが、互いに一歩も譲らない気持ちがバシバシと伝わる。
「別にあなたから呼んでくださっても構いませんよ?どうぞ」
「お前みたいなクソ女の名前は忘れた!」
「やはり馬鹿なんですね。ひとの名前もろくにも覚えられないなんて……。私もあなたの名前は忘れました」
「お前も一緒じゃねーか!」
いつも通りにギャーギャー言い合い、再び騒がしさを取り戻した室内で、ルカも人知れずほっとしていた。
しかしそろそろ止めないと、このふたりの言い争いは一晩じゃ終わらない。
「夫婦漫才は構わないがな」
と茶化しに入ると、
「夫婦にするな!」
「ブラザーアスカリ。お戯れも大概にしてください」
などと同時に突っ込みが入るものだから、仲がいいのか悪いのか。子供たちにとっては真剣な問題であっても、大人としては面白くて苦笑せざるを得ない。
「息ぴったりだと思うんだがな……まぁいい。大きな仕事に入る前に、ちょっとでも仲良くなっておけよ。これは厳命だ」
「「フンっ!」」
と同時にそっぽを向くところも、やはり仲がいいのではないかと、気色ばんだため息。
「もうじき夜になる。秋、シスタートウコを自宅まで送ってやれ」
とルカが提案した途端、秋はとんでもない、とばかりに肩を怒らせた。
「はぁ⁉︎なんで俺が!」
「レディに夜道をひとりで歩けってのか?ついでだから飯も食って帰ってこい。お前ラーメン食いたいとか言ってたろ?ホレ、夕飯代」
と財布から電子マネーのICカードを取り出して投げてやると、秋は慌てて両手で受け取り、ほんの少しだけ機嫌を取り戻したようだ。
「……フン。まぁしょうがねーから、飯のついでに送ってやんよ。ついでにな!」
調子に乗った秋に、しかし桐子はいつもの調子で罵倒する。
「別にこんなゴミがいなくても、私ひとりで安全に帰れますが?」
「ヒトをしれっとゴミ扱いするな!」
またギャーギャー喧嘩を始めたふたりを、仕事が詰まっているから早く出ていけとルカが追い立てた。
うるさいのがいなくなった途端、ルカは戸棚から秘蔵のクッキー缶を取り出してむしゃむしゃと貪る。
「元気がいいのも困りものだ……なぁ、シスターカナコ」
「ノーコメントで」
などと大人たちがひと安心していた頃、当の子供たちは秋の原付バイクで中央区を離れ、旧海老名市にある住宅街まで来ていた。
桐子が旧海老名市のアパートで一人暮らしをしていることは、パートナーとして知らされた個人情報のひとつだ。
どうしてその歳で金に困らない名家の実家を離れたのか、それは知らされていない。本人に尋ねたとしても、きっと素直に教えてくれないだろう。
「……おい、なんかしゃべれよ」
相変わらず煩いエンジンに負けない声で、後ろにいる桐子に声をかけた。
現在の名称は中央区である旧鶴見区から旧海老名市まで、そう遠くない距離とはいえ、五十ccの原付バイクで走破するのはさすがに時間がかかる。
日本がここまで破綻する前であれば原付バイクで二人乗りは禁止だし、そもそも秋の通常運転である時速六十キロは明らかに違反だ。
その速さをもってしても、旧海老名市に着くまでどう足掻いても二十分はかかる。
彼女との距離を縮めろとのお達しを受けたわけだし、それに長いドライブにお喋りは付き物だと、暫定パートナーに会話のキャッチボールを試みる。
だが。
「虫は喋らないでください。酸素不足の昨今ですので」
「ゴミの次は虫⁉︎」
やはりいつもの通りに、ただ罵倒される一方だった。
ゴミ扱いもかなり凹むが、虫扱いもそれなりにしょぼくれる。
「命あるものにランクアップできたではありませんか。それだけでも喜ばしいことです」
せっかくのフォローも、なんだか嫌味のように感じられるのだから、彼女との仲の進展など期待しないでもらいたいとしか、ルカに報告できない。
「くそっ、ゲームオタクのくせに……!」
とか秋も返してしまうから、どうも桐子のプライドを揺るがせてしまったらしい。
「ゲーオタのなにが悪いのですか?簡潔に、的確に、納得のいく理由を四十秒でお答えください」
「四十秒ってなに⁉︎中途半端だな!」
ガタガタと運転中にもかかわらず、秋の肩を掴んで揺らすものだから、蛇行運転になって危うくガードレールに衝突するところだった。
このまま運転し続けたら、きっと事故る……。
仕方なしに緊急停車したところで桐子も降車し、
「はい、いち……よんじゅう!」
ドン!
シュー、と細い煙が上がったところは、見事に秋の股の間だった。
見れば桐子の右手には、彼女のメインウェポンであるハンドガンが握られていた。夜道でもその凶暴な銃身は月光を受けて銀色に輝き、恐ろしさをいかんなく表現している。
「なんで実銃を持ち出した⁉︎四十秒数えてないし‼︎」
「まどろっこしいのは嫌いな気分だったので」
ついでにチッなんてあからさまな舌打ちでもされてみれば、彼女の本気度は極めて高いと窺えよう。
なにせ彼女の戦闘能力はこの二週間でバッチリ実感したし、自分の戦闘能力の低さもものすごく実感できた。いまだって彼女が素手でも秋を殺そうと思えば一瞬で実行できる、残念ながらそう確信できる。
「気分でヒトを撃つのはやめてくんない?てか狙う位置が明らかに、俺の『俺』を照準してたよね?」
股の間には、秋の大事なものがぶら下がっているわけだから、射撃されれば黒澤秋は黒澤秋子になってしまう。
「必要なさそうではありませんか、いまも今後も」
「いつか必要な時が来るから!その時まで俺の俺は大切にしてるの‼︎」
しらっと悲しい可能性を指摘され、男としては涙を飲まざるを得ない。だがいつか、コイツを使うときがくる、そう信じている。
お前の存在は無駄にはしないよ、などと股間に話しかけていたら、その切ない後ろ姿を桐子は鼻で笑った。
「あなたのなかの『彼女』となら、少しは腹を割って話せそうです」
「さようなら秋、おはようございます秋子‼︎」
「秋子さんとであれば、私も安心して背中を預けられます」
今度こそ嫌味たっぷりにツンとする桐子の背に、秋の中にもほんの少し申し訳なさが生まれてきた。
「もしかして結構根に持ってる?動画乱入事件」
実を言えば、初めて会ったときのほかにも、秋は何度か彼女の動画撮影を邪魔していた。
すべて悪気があったわけではなく、偶発的な事故なのだが、そのせいで視聴者には『トーコさんのクソ彼氏』と位置付けられている。
彼氏ではないといくら断言していても、じゃあしょっちゅう一緒にいるのはどういうことかと、中学生みたいな問答がいまでも動画のコメント欄で熱く繰り広げられていた。
修道士と修道女で、パートナーだと言ってしまいたいところだが、それはそれで互いに否定の主張があって不可能。
もはや彼氏疑惑を否定するのも面倒になり、たまに友情出演して話題作りとすることで妥協している。
しかしそれも、桐子がすべて納得したわけではない。
「私はサッパリした性格の美人ですので。別に『ちょっと可愛くておっぱいでけーからって!』でしたか?気にしておりませんよ、まったく」
「その割に一言一句違わずに覚えてるよな?」
初めて動画撮影に乱入して、よもや全世界的に公開されているとも知らないとはいえ、初対面の女子によくもこんなセクハラ発言できたなぁ、と秋は我ながら感心してしまった。
大事な思春期にルカみたいなエロオヤジに育てられたからだ、きっとそうだと、なんとなく言い聞かせて自分を宥める。
「あぁ、胸が大きいと肩がこりますので、解すためにいますぐ射撃訓練をしたいのですが、的が欲しいところです。黒髪黒目で黒い制服を着た、身長百七十センチくらいの頭のネジが緩そうな高校生兼修道士の男性が望ましいのですが」
とぐるんぐるんと腕を回して準備運動、再びハンドガンが収められている太腿の革ホルスターに手を伸ばす。
「めちゃくちゃ根に持ってるね!うん、ごめんなさい!」
秋子とご対面しないためにも、これ以上の問答はやめた方が賢明だと、この場は素直に引き下がった。
「私の自宅が見えてきたので、これで失礼します」
「え、家の前まで送るぞ?俺の意思に反して義務化されてるからな」
今夜の夕飯代を受け取ったあの瞬間に、その義務は発生したと見なされる。
いつもと違う手が込んでいて美味しくて豪勢な夕飯を手に入れる対価として、彼女をきちんと送り届けなければルカに殺される。
しかし桐子はほんのりと白かった頬を上気させ、態度だけは慎ましやかで遠慮深げに言った。
「いえ、ストーカー対策はしっかりしておかないと」
「俺がストーカーになるとか言い出さないよな……?」
「…………それではごきげんよう」
すすす、と。
少しずつ距離を置き始める暫定パートナー。
「否定してくれよ。お前になんて一ミリも興味ないんだよ」
の秋の声に反応して、桐子の声が突然、いつもより格段に鋭さを増したような気がした。
「ご安心を。私もあなたみたいなクズには、気を許したりしませんので」
微笑んではいるが、その灰瞳はいつもの死んだ魚の目ではなく、深い怨念や殺意がこもったように見えて、秋は黙って見送ることにした。
「……フン、なんだよあのアホ女。やっぱ俺にパートナーとか無理だわ」
と本人があずかり知らぬのをいいことに、原付バイクを押しながらぶつくさと文句を言いたい放題呟いている。
「気を許さない……か」
ちょっと言い過ぎじゃないか、と唇を尖らせた。
そりゃあ仲良くしたいとか本気で思っているわけじゃないし、未だにパートナーなんていらないって思っている。
でも。
暫定的でもパートナーとなった以上、少しくらいは気を許してくれても、罰は当たらないというか……。
————あれ?
「そういえば俺……なんでペアとか嫌なんだっけ?」
桐子が気に食わないから?
違う。彼女と出会う前から、秋はペアなんて嫌だと、パートナーなんていらないと、ルカを散々困らせてきた。
誰が相手でも、たぶん秋は断っていたはずだ。
自分ひとりで戦えると、そう思っていたから?
それも違う。というか、それは無理だと本当は最初からわかっているし、自分の実力はこの二週間で嫌というほど思い知った。
じゃあ、どうして……?
しかし腹の音が盛大に鳴り、そんな疑問はどこかへ飛んで行ってしまった。
我ながら単純明快だ、しかしそれが長所でもあると自画自賛。
「……ま、いーけど!それより飯だメシ!オッサン、チャーシュー麺のチャーシュー大盛り!」
ようやく見つけた営業中のラーメン専門店に、駐車もそこそこで飛び込む。
ラーメンの熱く濃厚な汁が疲れた体によく染み渡り、麺もシコシコしていてツルッと喉越しがいい。チャーシューはぶ厚いのに柔らかくて、歯の存在が無駄になる。
美味しい、求めていた味のはずなのに。
先ほど感じた疑問が、こころをざらざらと擦っている。
「なんなんですか、『一ミリも興味ない』って……別に関係ないですけど、あんな粗大ゴミ」
帰宅した桐子は、備え付けのクローゼットを乱暴に開けて、入浴の準備を始めていた。
ワンルームの室内は、とても年頃の女の子の部屋とは思えぬ乱雑ぶり。
数日前に食べたプリンのカップに、簡易食品の空袋や、着たまま洗濯に出していない服などで、床がびっしり埋まっていた。
それらを掻き分けて場所を作り、部屋着と下着を箪笥から出して、それからすぐに洗面所兼浴室へ。蛇口をひねるとしばらく水が出て、それから熱いシャワーに変わる。
熱い湯が全身をくまなく濡らし、夜風で冷えた体を火照らせた。そのまましばらく打たせ湯のように浴びて、今日の秋とのやりとりを鮮明に思い返す。
思い返せば返すほど、再び怒りがむくむくと沸き出して、湯のせいでもなく顔が熱くなった。
自分から吹っかけた会話だったのに、秋に自分に興味がないとはっきり言われて、自分でも大袈裟じゃあないかと思うほど頭にきた。
ムキになっていたのだと、こころに住まう冷静な自分が自省を諭している。
「でも……ちょっとくらい……」
————気にしてくれても、いいんじゃないですか?
「って別にいいんですけどね、あんな環境破壊兵器」
なんて独り言で慌てて誤魔化して、なんになるのかよくわからない。
わからないけれど、この場で誤魔化さないと気が済まなかった。
いつもよりずっと気持ちが高まっていると、とうに自覚している。胸の高鳴りが、先ほどからわんわんと煩い。
秋のことが頭から離れなくて、もう少し近づきたいと思う自分がいて、手を伸ばしたいと疼いている。
イライラしたり、ガッカリしたり。なんとなく声が上ずったり。秋と会ったときの、ほんの少し体が浮きそうな感覚。
気持ちが高ぶって、自分でもなにをやっているのか、理解不能なときもある。今日もなぜドルチェを破壊しまくったのか、よくわからない。
それらの本当の理由は、考えても桐子自身にもよくわからなかった。