猫かぶり
「失礼致します、お嬢様。」
ノックが数回コンコン。
「ナターシア?」
ドアの開く音と共にナターシアの声。
「・・・カナタ様、何をなさっているのです。」
「何って・・・別に。
ただのお姉様と感動のご対面だよ。
さっきはちょっとだけしか挨拶出来なかったから。
ちゃんとご挨拶しなくっちゃと思ってさ。
そうしたら、姉様があんまりにも可愛いものだから。
ついスキンシップをとりたくなってね。
ね?姉様?」
「カナタ様、いくらご兄弟とはい節度をお守りくださいませ。」
「はぁ?お前、この僕に指図するの?」
ナターシアとカナタが作る絶対零度のような空気の中で私は何も出来ない。
怖い。
「まさか私などがカナタ様に指図なんて出来るわけがございません。」
「それじゃあ、さっさとあっち行ってよ。
会えなかった時間を埋めなくちゃいけない。
僕たちはまだ親睦を深めなくてはいけないんだ。」
「そうもまいりません。
奥様がカナタ様をお探しのご様子でした。
急いで行かれたほうがよろしいかと。」
「・・・お母様が?何、もう終わっちゃわけ。
くだらない話しかすることがないくせに。
愚図なあいつらは思っていたよりも時間稼ぎは出来なかったようだな。
使えない。
僕はまだ姉様と一緒にいたいのに。
姉様だって僕と一緒にいたいでしょう?」
ぎゅっと抱きしめられる力が強くなる。
「カナタ様、お急ぎくださいませ。」
チッと舌打ちをすると、
「またね、姉様。」
チュッと私のこめかみにキスをしてベッドから退いた。
暫くすると窓の外から
「もう、カナタどこへ行っていたの?探していたのよ。」
「自分の部屋で勉強をしていました。」
「カナタの部屋にも探させにいったわよ?」
「きっと図書室と自分の部屋を行ったり来たりしていたので執事達とはすれ違いになっていたのでしょう。」
「あらそう。だけど、どうして急にいなくなったりしたの?」
「お母様達の大事な時間を邪魔しちゃいけないと思いまして、こっそり抜けておりました。
それに勉強の時間でしたので。」
関心したルチア様とマリーナ様の声。
「邪魔だなんて思うわけないでしょう?
だけど自分から勉強をするだなんて偉いわぁ。うちの子にも見習ってほしいわ。
剣ばっかり振るって野蛮なんですもの。
きっとそのうち旦那様みたいに剣が恋人のようになってしまうのよ。ああ、嫌だ嫌だ。」
「本当よね、うちの子も同じだわ。
今日だって帰ったら、あの子の勉強の進み具合をチェックしなくちゃいけないの。
そうしなきゃすぐサボるんですもの。
下の連中に変な遊びばかり教えてもらうものだから、困ったものだわ。」
優等生のようなカナタが羨ましいと言う。
「ルチア様、マリーナ様、もう帰られてしまうのですか?
またぜひ遊びに来てくださいね、お母様も、僕も楽しみにお待ちしております。」
と外の玄関のほうでカナタが甘えている声が聞こえる。
「ねぇナターシア。ルチア様?マリーナ様?って誰?」
「奥様のご友人でございます。
ルチア様は国家剣守隊の副隊長の奥様、マリーナ様はダリアとクロリアという男女の遊郭を経営されている方の奥様です。」
簡単にいうと国家剣守隊とは前世でいうところの警察と自衛隊を混ぜたようなところらしい。
男女の遊郭というのは、その名の通り、男性向けの遊郭・女性向けの遊郭なんだとか。
ダリアとクロリアという遊郭はそれなりに歴史があり昔から主に王族や貴族ご用達らしく、初めての男女の睦事もそこで学ばれることが多いという。
「お母様のお友達ねぇ。」
「ええ、さようでございます。ルチア様は学生時代からの奥様の幼馴染です。
マリーナ様は、ルチア様が遊郭通いにハマってしまった時に、自然に仲良くなったのが切っ掛けで奥様ともご縁が出来たと伺っております。」
「ふーん。遊郭ねぇ。私もいつか行く日が来るのかしら。」
「さぁ、それはどうでしょうか。嗜みとして一度くらいは行くかもしれませんね。」
「お父様が暇さえあれば入り浸っているところでしょう?」
「ええ、そのようでございます。」
「お母様はどんな思いなのかしら。
その遊郭の主が自分の友達なんて、憎くはないのかしら。私には理解出来ないわ。」
「なに、今更のことでしょう。
妾を堂々と敷地内に住まわせ、子も二人もお作りになられている。
しかも外には他に女が何人いるかもわからないのですよ。」
「いつか私も色に狂ってしまうのかしら。
あのお父様のように。
それともお母様のように悲しみや憎しみの中で、狂ってしまうのかしら。
腹を痛めて産んだ自分の娘を認められないくらいに。」
「またね」とマリーナ様とルチア様が馬車に乗り込み、お母様とカナタが手を振っているのが見えた。
さて、とナターシアが
「お嬢様、なにやら大変厄介なことになったようですね。」
ぼふん、私はベッドに倒れこむ。
「どうしてこうなったのかしら、まったく私にはわからないの。
疲れて寝ていたらカナタが急に私を抱きしめて、辛いでしょ?苦しいでしょ?って。
私を守ってあげるって。」
「それで?」
「その言葉だけならば、とっても慈悲深い優しい弟だと思うの。
そうナターシアも思うでしょう?
だけど違うのよ。」
私はわずか10歳の弟に抱かれてしまうんじゃないか、と貞操の危機を感じた。
上を仰ぎ両腕をクロスして両目を隠していると
「今までお嬢様のことを微塵も気にかけたことなどなかったから安心していましたのに。
残念なことにカナタ様はお嬢様を気に入ったご様子。
お嬢様、カナタ様にはご用心くださいませ。
あの方は幼いながらにも性悪でございます。
恐らく猫かぶりと悪知恵は誰でも負けないでしょう。」
「そのようね、よくあんなに平然と嘘は吐けるものだわ。」
この家にまともな人っていないのかしら。