本宅移動前夜
今の現状をナターシアから簡単に説明され季節が一つ過ぎた頃。
いよいよ物語が新たな幕を開けようとしていた。
「良いですか、お嬢様。
決して私達以外の者を簡単に信じて気を許してはいけません。」
ナターシアが心配そうに何度も私に言う。
その後ろでは、ナターシアと同じように心配そうな顔でメイドのアリスとメイ、爺が頷く。
明日、いよいよ私はこの別宅から本宅へ移されることになった。
「アイール様達は勿論のこと、奥様も旦那様もです。」
「ナターシア、アイール様達は本宅にいないわよ?」
本宅にいないのにアイール様の名が出たことが不思議だった。
「いませんが、従っている者がいないわけではありません。メイドの中には、アイール様の配下の者や媚びをうる為に情報を流す者や指示を受ける者がいるのです。」
「そうです、お嬢様!食べ物なんか特に注意ですよ!お嬢様は、食い意地がはってるところがありますから、アリスは凄く不安です!」
「・・・私も、そこは凄く不安です。」
「なによ、失礼ね。アリスとメイ、そんなに言うほど私食いしん坊じゃないわよ。」
テンションが高く天真爛漫なアリスと、冷静沈着なメイ。
メイが溜息を吐きながら手帳を取り出しパラパラとめくる。
「お嬢様は今日のティータイムのお菓子をナターシア様に隠れてチョコケーキ、モモのタルト、チーズケーキと、合計ケーキを3つも・・・。」
「お嬢様?私、お嬢様にあんなに言ってますよね?夕食がきちんと食べられなくなるからケーキは一つまで。クッキーなどの小さな焼き菓子ならば3つまで、と。」
ナターシアの呆れたような説教が始まる。
「だから、今日の夕食は少なめにしてと言ったのですね。私、てっきり体調が悪いのかと、明日のことをきにかけ緊張してるのかと不安でしたのに。」
「メイ!秘密よって言ったのに!」
「申し訳ございません。お嬢様に約束とは言われましたが、頷いてはおりません。そして、お嬢様の不利益になるようなことに私は決してお受けすることは出来ません。」
「メイ、良く言いました。ただ、そう思うのあればケーキを3つも食する前に止めるべきでしょう?」
「ナターシア様、申し訳ございません。私が見たのは食後の後でした。」
「アリス、あなたは?」
「うう、申し訳ございません。ケーキを3つをご用意したのは私です。」
「何故?私の言いつけは知っているでしょう?」
小さく縮こまるアリスを静かに尋問するかのようなナターシアの恐ろしいこと。
「明日、明日でお嬢様が本宅に移ると思うと・・・。どうしても、願いを叶えて差し上げたくなってしまい・・・。あの恐ろしい本宅へ、悪魔のような、嫌、嫌よ。私達のお嬢様が・・・。」
いつかの私の願いを叶えてあげたかったのだとアリスは泣きながら言う。
あの本宅へ移る前に、せめて自分が叶えることのできることを。
「ナターシア、それくらいにしなさい。アリスも、もう泣かず前を向きなさい。」
爺の静かな落ち着いた素敵な声が部屋に響く。
「メイもアリスも、その志を忘れずにナターシアを助けお嬢様に仕えなさい。
メイは何にも負けない強い心と冷静沈着な判断で、アリスはその優しい心と行動で。
二人がお互いの足りないところを補助しながら・・・。」
爺の言葉を私以外の3人が感動しながら聞いていた。
「お嬢様は、もう少し自制心を持たなければいけません。
ナターシアから言われているでしょう?
お菓子の食べすぎは太りますよ。
まだ幼いからと油断しているとあとの祭でございます。
太るのは至極簡単なことでありますが痩せるのはその真逆。
痩せるのは至極難しく大変なことでございます。」
にっこりと諭す爺が一番恐ろしいかもしれない、ゴクリと唾をのんだ。
「本宅では魑魅魍魎が溢れています。
先程ナターシアが言いましたが、アイール様の傘下の者がお嬢様に毒を盛るかもしれません。
些細な出来事や失敗に尾ひれをつけ、周りの者へ噂を流しお嬢様を貶めるかもしれません。
ましてや、お二人はお嬢様と同い年ゆえ、周りの者から余計に比べられるでしょう。
アイール様の息女のキリア様とユリア様は根性がアイール様ととっても似ております。
上の者へ媚びをうることに長け、気に入らない者や目下の者へは我慢できず、
すぐに癇癪を起こし叩き潰してしまう始末。
そして今のままでは、奥様も旦那様も助けてくれないでしょう。
お嬢様がこの歳になっても何一つ与えも興味も持たれぬご様子。
恐らく期待だけするだけ無駄でしょう。
奥様はカナタ様だけに目を向けていらっしゃる。
旦那様は出世と新たな妾を作るとこだけにご熱心。
さてお嬢様、此度のお嬢様の本宅への移動は何の為と思いますか?」
「爺、何を、お嬢様に・・・!」
「いいのよ、ナターシア。全て本当のこと。」
ええ、知ってるわ、たった今爺が言ったことは全て事実。
ナターシアは私に過保護だから、優しいから、オブラートに包みこむように軽く教えてくれたけれど
事実は爺の言ったように、もっと酷くて険しいもの。
「私の嫁ぎ先を少しでもランクアップし、父様の地位を上げたいからよ。
アイール様の娘たちは、どんなに父が可愛がり威張っていても所詮妾の子。
本妻の子に比べ立場は弱く利用価値は本妻の子のほうがある。
しかも私のことは可愛がっていない、どうでもいい娘。
嫁ぎ先が年寄りでも不細工でも文句の言えない娘。
なんて使い勝手が良いのかしらね。
愛する可愛い妾の子には、位が低くも、それはそれは麗しい男性のもとへ嫁がせるのでしょうね。
・・・あーあ、嫌になる。
その為には、今の私では条件があまりよろしくない。
本妻の子であるにも関わらず本宅ではなく別宅に暮らしていることは何か問題があるのではないか?
周りに見せられない理由があるのではないか?
余程のブスか、知識がない愚かな娘か、・・・そもそもそのような娘などいないのではないか。
適当にどこからか連れてきた娘ではないか?」
「さようでございます、お嬢様。
旦那様がいくら地位を上げたい為にお嬢様を嫁がせようと思っても、その娘がいる事実がいないのでは所詮無理難題。相手先に説明がしようがありません。そのギリギリの誤魔化しがきくのが今年のお披露目会なのでございます。」
この世界では子供の成長を祝い16歳で初めて王政府によるお披露目会が行われるしきたりがある。
そのお披露目会では国中の子が集められ、その時だけは身分も地位も関係なく祝される。
そのお披露目会で初めて国にその家の子だと認識される。
ただし、一つだけ身分と地位のある家の子にはなすべきことがある。
それは、王様にご挨拶しなくてはならないということ。
自分の名を述べ、王政府に忠誠を誓うということ。
これは直系の子にだけ許されることだ。
すなわち、このご挨拶を完璧にこなし終えるまでは直系の子とは国からは認められぬということだ。
逆に言えば、これさえ終えてしまえば国のお墨付きが得られ、堂々と嫁げる。
なんとも父上様の考えそうなことだ。
「ご挨拶の練習期間を踏まえ本宅への移動でしょう。
きっと私が失敗をして父様が恥をかきたくないから、直々にテストを行ってから本番かしらね。」
「ええ、そうなると思われます。」
「なんだか考えることがいっぱいね、皆。」
明日からの生活も未来も、全てが前途多難。
「大丈夫です、お嬢様。」
「そうね、あなた達がいるものね。」
きっと大丈夫。なんとかなるわ。
そう言うと、私の少ない味方達は笑って頷いてくれた。
これが私の初戦前夜の話だ。
心構えが出来た。
爺のおかげかもしれない。
きついことを真正面から問い、私自身から答えが出るように言ってくれた。
ナターシアやアリス、メイのように甘い言葉だけではきっと心構えが不十分だった。
私は少しでも、この暗く苦しいだけの未来を変えたい。
願わくば、守られるだけではなく、私の手で味方の4人を守りたい。