舞踏会 2.5(皇太子妃アリアの場合
ああ、もう何もかも馬鹿馬鹿しい。
さっさとこんなもの終わってしまえばいいのに。
早く部屋に帰りたい。
だけど、この立場ではもう少しこの場にいなければならない。
周囲にはにこやかに愛想を振りまきながらも皇太子妃のアリアは心の中で悪態を吐いていた。
アリアはそもそも皇太子妃になる予定ではなかった。
自分の姉がなる予定だったのだが、未来とは分からぬもの。
何故だかその立場には姉ではなく自分がいる。
アリア七歳の誕生日の昼さがりの出来事。
ごっくん。
幼いアリアは美味しそうな甘い香りに思わず生唾を飲んだ。
「アリアちゃん、お誕生日おめでとう!お母様、頑張って作っちゃった!」
コソコソとアリアの母がアリアの自室へ誕生日ケーキを持ってきた。
アリアは喜んだ。
自分の願いがやっと叶った!これで自分もミリーに自慢できる!
友達のミリーに母の手料理自慢をされて以来、何度もおねだりしていた。
自分も食べてみたい、と。
だけども何故だかそれを言うと母以外の家族が全員顔を青ざめ、同じ台詞で必死に止めるのだ。
「アリア、止めときなさい。それが自分の為だ。」
アリアにはそれが不思議でならなかった。
なんでお母様の手料理は食べちゃ駄目なの?、と。
思いがけない成就にはしゃぐアリアに母は喜んだ。
「本当?!お母様!お母様の手作り?!わーい!」
「ふふふ!皆には内緒よ?」
「はーい!」
ふんわりとしたスポンジに滑らかな生クリームに甘酸っぱいイチゴの酸味。
その美味しさを想像するだけで胸いっぱいになるほど幸せになれた。
銀のフォークで真っ白なケーキに切り込みを入れ、そして大きな一欠けら持ち上げた。
キラキラ輝くイチゴに胸が高鳴る。
アリアは小さな口いっぱいにケーキ頬張った。
もぐもぐ、ごっくん。
そして、ぐったり。
「きゃーーーーっ!アリアちゃーんっ!」
「・・・う、ううう。ま、ずい。」
響き渡るアリアの母の叫びと、アリアの青ざめた顔。
ベッドで目覚め、ようやく何故母以外の全員が母の手料理を拒むか理解できた。
アリアの母は料理が壊滅的に下手だった。
見た目は完璧で美しいのに味が散々なのだ。
材料や調理方法に難があるわけでもなく、特別に何かを入れているわけではない。
ただ、下手なのだ。
だけど大好きな母にこのことを直接誰も言えるわけもなく、皆やんわりと遠ざけていた。
父は母の目を見つめ「家にはシェフもいるし、近くには店だってある。
それに料理は手が荒れるし時間だってかかるよ。
美しい君にはそんなことさせられない、そんな時間があるなら僕と愛を深めてほしい。」と。
子供は母の手を引っ張りながら「料理するより一緒に遊ぼうよ、あそこに食べに行こうよ」と。
結論から言うとこの日を境にアリアはアリアでありながら、アリアではなくなっていた。
あの衝撃的なケーキを食べ生死をさまよったせいだろうか。
アリアは唐突に前世での自分を思い出してしまった。
朽名みつな享年26歳。
あだ名はみっつん、好きなものは甘いものとイケメン。ただし、顔だけ良くても駄目。
どんなに優しくてもナヨナヨ女みたいな男は駄目。
調子良いだけのチャラ男は論外、おとといきやがれ。
みつなのイケメンの定義は昭和なのだ。
普段は無口だが、たまにみせる優しさがたまらない。
重いものをそっと持ってくれたり、車がきたらそっと歩道側へ誘導してくれたり。
口癖が「自分、不器用ですから。」だったら素晴らしい。
そんな彼氏が出来たらいいな、旦那様になってくれたらいいな。
結婚式はもちろん白無垢、老後は静かな一軒家でのんびり楽しむの。
柔らかな日差しが差し込む中で緑茶と和菓子を二人で楽しみながら季節の草花を愛でる。
そうね、猫か犬を飼うのも良いわね。
猫だったらミケ、犬だったらポチかしら。
そう思いながらのいつもの帰り道、みつなの夢と人生は突然事切れることになる。
後ろから急に自分の名を甲高い大声で叫ばれ、驚いて振り向こうとすると今まで体験したことのない痛みが体中に走った。
一瞬、時が止まったように思えた。
全てがスローモーションのようにゆっくりと動く。
自分の血だろうか。
刺してきた女の手には真っ赤な血がついている。
泣きながら女はただひたすらブツブツ何かを言っている。
「私は悪くない。悪いのはコイツだ。私のほうが好きなのに、何でコイツなんかを好きなの。」
意識が遠のく中で聞こえるのは自分への悪態と聞いたこともない男の名前。
そして、みつなの世界は暗闇になり何も聞こえなくなった。
みつなの事件の真相はあんまりなものだった。
自分の知らないところで事件は起こり、とばっちりで巻き込まれていた。
みつなは全く気付かなかったが、ある男に一目惚れされストーカー染みた行動をされていた。
そして、その男には同じように、その男に一目ぼれしストーカーのようになってしまっていた女がいた。
そしてその女がその好きな男を見ているうちに、みつなに嫉妬し憎悪を抱いた結果の殺人。
朽名みつなの殺人事件はニュースで詳細が報道され、暫くすると過去のものとなっていった。
世間は新たな事件や噂に夢中になっていった。
「私は、アリア。みつなは死んだのね。」
ぽつりとアリアは呟き、その呟きは暫く心の奥底で行き止まり、沈んでいった。
どうしようもないじゃない。
もうアリアとして生きているのだから。