派遣社員は大人の夢を見る
お読みいただけますと幸いです。
やはり、今は冬なのだろう。数日前のことではあるけれど、異世界に来たとき、最初に目についたのは、あたり一面に降り積もっている雪だった。そして、今も相変わらず雪が降り続いている。
こんな季節、こんな空模様の中、馬車で移動するってどういうことだ。
まさか、勝手な先入観で中世ヨーロッパくらいの文明度だろうと思っていたこの世界には、既にスタッドレスタイヤが存在していて。馬も、品種改良を重ね、ズンズンと雪原を進んでいけるようになっているとでもいうのだろうか。個人的には、足裏がスタッドレス仕様だったり、スパイクが生えてる馬って、もはやUMAの類だと思う。なんだろう、封印していた厨二心が疼きだすのを感じる。
異世界転生もののラノベなんかでは、やはり冬には行軍ができない云々と描かれていたはずだ。当然、最初はおれも、この季節に馬車なんて走っている訳がないと思っていた。親分が馬車を襲うぞと言い出したときなど、やはりこの盗賊団の面々は、頭がかわいそうな子たちなんだなと思ったりもした。
しかしである。現実にはおれの目の前で、馬車が街道を悠々と進んでいたのだ。雪を掻き分けるどころか、そもそも馬車の走っている街道には、雪そのものが積もっていない。
周囲の盗賊団の面々を見ても、そのことに驚いてる様子はなかった。ということは、この世界において、街道に雪が積もらないことと、冬でも馬車で移動することは当たり前なのだろう。
聞けば早いのに、とは自分でも思うけれど。
おれもラノベ愛好家の端くれ。その世界では常識であることをわざわざ尋ねてしまったばかりに、周囲から不要な警戒を買ったり、下手な言い訳に追われることになる主人公の姿を何度も目にしている。
ふっ、それは三流異世界転移者のすることさ。異世界召喚物のラノベを10冊ほど読み直してきたまえ。
...いや実際気にはなるけども。気になりまくっているけれど。
まあいいさ、そのうち町とか村とか、人の多く住む場所に行く機会もあるだろうし。そのときにでも聞いてみることにしよう。
そんなことより、今は目の前の事態をどう飲み込めばよいのか。
つい先ほど、街道を進む場所の進む先100mほどの場所に姿を見せた我らクレイジーヒャッハー盗賊団の馬車襲撃第3班。
対する馬車の一団も、襲撃を警戒していたのだろう。馬車の四方を遠巻きに囲んでいた、おそらく冒険者と思しき男たち。彼らは、こちらの姿を見るなり、護衛対象であろう馬車へと近づいていったのだ。
ここまでは理解できている。賊には伏兵がいるかもしれない、そう考えておれたちの方に攻撃を仕掛けてこなかったのかもしれないし、まずは護衛対象の身の安全を。そう考えてのことかもしれない。
問題はその後。
彼らは馬車へと駆け寄ると、馬車の中に乗っていた身なりの良い男と、その妻と娘と思しき人間を担ぎ上げ、馬車から馬を切り離すと、一目散にその場から離れていったのだ。
正直、目の前で何が起こったのか全く理解できていない。それはおれだけではないようで、周りにいる同僚たちも困惑している様子が伝わってくる。
おれたちが注意を引きつけている間に、側面から馬車を襲うはずだった別の班もそれは同じなのだろう。彼らが隠れているはずの草むらがざわめていている。風はほとんど吹いていないのに、ザワッザワしている。
あれ、もう隠れてる意味ないんじゃないかな。
「おいおい、こりゃ一体全体どうしちまったんだ。」
剃り込みヘアー氏こと我らがリーダーもこんな調子である。それでも、どこかアメリカ風の、ウィットに富んだ皮肉の混じりの、ちょっと臭い感じのスタンスを崩さないあたり、さすがはできる男だ。
アメリカ風の受け答えとは何かって?おいおい、勘弁してくれよ。ここはいつからハイスクールの教壇になったんだい?
...うん、正直ちょっとイラっとするね。いつもならともかく、周囲が混乱してる時にあれはやめてほしい。
「まあ、ともかく中を改めないわけにゃいかんだろう。野郎ども!あの馬車を漁りにいくぞ!」
確かに、とりあえずは状況を把握しないことには進まない。何か罠があるのか、それともただ逃げただけなのか。
おれたちは、周囲に警戒を払いつつ、街道に取り残された馬車へと近づいていった。どうやら別の場所で待機していた親分たちの班も、馬車を調べることにしたようだ。クレイジーヒャッハー盗賊団の面々が、次々に馬車へと近づいていく。
動き出しが早かったからなのか、おれたちの班は、他の班よりも早く馬車までたどり着いた。
外見からは特に変わった様子は見受けられないし、リーダーが馬車の中を調べてはいるものの、特に異変はないようだ。
「これはどういうこった...。どこにも変わったところなんてありゃしねぇ。」
うんうん、全くわけがわからない。
「おい、何かわかったか。」
「あ、親分!それがおかしいことは何にも...。誰も乗っちゃいませんし、荷物もない全くの空っぽでさぁ。」
ん?
「そうか...ただの空っぽの馬車か...。さてはあの商人ども、命惜しさに逃げやがったな。」
え?空っぽ?
「そうに違いありやせんぜ。まったく、商人ってのはとんだ腰抜け揃いで。」
いやいや、荷物も乗ってないの?え、もしかして...。
「あのぉ...親分」
「ん?なんだ新入りじゃねえか。ママのおっぱいが恋しくなったのか?」
違うわ。いや吸えるものなら吸いたいけど。いやいや自分の母親のは絶対いやだけれど。
「荷物も積んでないってことは、この馬車に乗ってた商人は、もともと行商とかじゃなくて他の目的でどこかに行こうとしてたんじゃないでしょうか...?」
そう、荷物が乗っていないということは、商売目的でどこかを目指していたのではないということじゃないだろうか。買い付けが目的だったとすれば、それこそ持ち運びも大変なほどのお金を積んでいただろうし...。
「あぁん!?なに小難しいこと言ってやがんだ!おれはな、商人がここを通るって情報を仕入れてきたんだよ!商人は金と食い物を持ってる!だから商人がいたら襲う!それ以外のことなんて分かるわきゃねぇだろ!」
いや分かれよ。そこ分かるように頑張ろうよ。
「そうだそうだ!新入りのくせにわけわかんねぇこと言ってんじゃねぇぞ!いつも商人が乗ってる馬車を襲ったときには食い物が載せてあったんだ!だから商人がいたら襲うんだぞ!!そんなことも分からねぇってどんだけバカなんだよ。」
どんだけ単純な理屈なんだよ。お前らはパブロフの犬か?犬なのか?
「いや..あの...でも実際に今回襲った馬車には金も食べ物も載ってなかったわけでして...だから...」
「うるせぇんだよ!分からねぇことは考えねぇ。これがおれの生きる方針だ。...あー、頭が痛くなってきやがったぜ。野郎ども、一旦アジトに戻るぞ。」
なるほど。気づいてしまった。いや、元から分かってたというべきなのだけれど。
こいつら、やっぱりアホなのだ。
商人の馬車がいたら襲うってだけで、その商人が実際に金目の物を持っているか、食料を運んでいるかなどまったく考えていないのだ。名は体を表すとはよく言ったものである。さすがはクレイジーヒャッハー盗賊団。おれの幼馴染こと山本と同レベルの知能しか有していないようだ。
果たしてこんな盗賊団にいて、これから先まともに生きていけるのだろうか。他の仕事を探したほうが...。
いやいや、そんなことを言って、盗賊団を辞める動機ばかり探してはいけない。
業界によっては、新卒後3年以内の離職率は3割にも及ぶという。そして、その期間に辞めた者たちの再就職は大変厳しいものになるのだ。...って就職サイトにも書いてあったし。ここは我慢するしかない。
それに、アジトに帰れば給料の支払いがあるはずだ。夢にまで見た初任給。あぁ、なんて甘美な響きだろう。異世界にきちゃったし、両親に何か贈り物をって訳にはいかないけれど、その分まで大いに散財する所存である。
襲撃が不発に終わったからってなんだというのだ。正社員になれば、会社の業績の如何に関わらず給料がもらえるのだ。
給料のことを考え、期待に胸を膨らませたおれは、リーダーに探りを入れてみることにした。
「あのぉ、リーダー。アジトに帰ったら給料の支払いがあるわけじゃないですか。そのぉ...この盗賊団の初任給はいかほどで...?」
目を輝かせ、胸の鼓動を抑えきれず、思わずにやけてしまうおれ。
そんなおれに向かい、剃り込みヘーアー氏ことリーダーは、こう告げた。
「はぁ?お前何言ってんだ?商人や兵隊じゃあるまいし、給料なんてあるわけねぇだろ。」と。
働くって大変ですよね...!