勇者の日常
お読みいただけますと幸いです。
「あははっ、今日も随分としごかれたみたいだねぇ。身体中アザだらけじゃないか。」
王城内の一室、今はおれ専用と化している部屋に戻ると、ベッドの方から幼女が声をかけてきた。
「うるさい。誰のせいでこうなってると思ってるんだよ。」
ベッドの上でころころと転がりながら、こちらをからかってくるニート幼女。もといレティア様。一方のおれはというと、ニート幼女の言葉どおり、身体中の至る所をアザや擦り傷だらけにして、疲労困憊という状況である。
先日の謁見の間での一幕ののち、あれよあれよという間におれは勇者として活動することになった。とはいっても、一般人と戦闘の距離が遠い現代日本からこちらにきたおれを、いきなり実戦に放り込むというのはさすがに無理というもので。
騎士や兵士たちとの戦闘訓練や魔法の授業に日夜追われているというのがここ最近のおれの日常である。
「我のせいにされてもさぁ。だいたい、君は我に選ばれた勇者さまなんだよ!感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いなんてないね!」
不敬ぞ、神の思し召しぞ、ときゃんきゃん吠えるニート幼女こと女神レティア様。いやもうレティアでいいや。こっちが日々ヒイヒイ言いながら訓練に励んでいるというのに、この幼女は日がな一日部屋でごろごろしたり、城や城下町のあっちこっちをフラフラしながら過ごしているのだ。まさかこんなニート幼女に管理されていただなんて、元の世界の人々が知ればさぞ驚愕するだろう。
「選んだって、この前は誰でも良かったなんて言ってたじゃないか!」
他にも、探すが面倒、手間が省けたなどと言っていたことを思い出し、きゃんきゃん吠えている幼女をジーっと睨みつける。
「そ、それはあれだよ!言葉の綾っていうか...照れ隠しっていうか...とにかくそういう複雑で神的な理由によるものなの!」
するとレティアは、あわわとわざとらしく慌てて、お手てをバタバタさせながら必死に言い訳を始める。冬だというのに、ダラダラと汗を流しながら。
あざとい。あざといな幼女さすがあざとい。
「おい、ちゃんと目を見て言え。お前がただの幼女じゃないってことはもうバレてんだ。」
確かに萌えないこともないのだが、こいつの場合はもうその内面がバレバレなのだ。見た目は庇護欲を掻き立てる幼女そのもの。しかしその内面は真っ黒なのだ。絶対に見た目どおりの年齢じゃない。こちとら生まれてこのかた清らかな体を守り続けている勇者なのだ。女性の黒い部分には敏感なのである。
こちらを懐柔することはできないと悟ったか、レティアはほっぺをぷっくりと膨らませ、いかにも不機嫌ですといった様子できゃんきゃんと叫ぶのだった。
「と・に・か・く!もう今更何言っても遅いの!いいから訓練してさっさと強くなりなよ、この魔法使い勇者!」
「ど、魔法使いっていうな!この腹黒ニート幼女め!!」
そう言った途端、こちらに掴みかかってきたレティアを必死にいなしながら、おれはここ数日の訓練に思いを馳せるのだった。
◇◇◇
ここは、城の片隅にある訓練場。サッカー場が優に4、5個は入ろうかという広さを誇るこの場所のあちこちでは、城詰めの騎士や兵士たちと思われる男たちがあちこちで訓練をしている。
「はじめまして、勇者殿。私はジョシュア・アイゼンハルト。勇者殿の戦闘訓練担当となりました騎士であります。」
そんな訓練場の片隅で所在無げにしていたおれに向かい、身長はおそらく190cm後半、3、4人分の筋肉を無理やり一人に貼り付けたかのような体をしたスキンヘッドの大男が、その見た目に反して柔らかな言葉遣いでこちらに話しかけてきた。
「ひぃ!ま、まさか盗賊団の追っ手がこんなところにまで!?」
「なにを言ってるんですか。顔が怖いのは認めますが、あんなゴロツキどもと一緒にしないでくださいよ。」
思わず前の職場の面々を思い出してしまった。それも仕方ないことだろう。こんな体つきでスキンヘッド、しかも目つきはするどく、体のあちこちに切り傷と思しき怪我の跡が残っているのだ。
どこから見ても叩き上げの歴戦の戦士といった風貌なのである。あれ?もうこいつが勇者でいいんじゃね?
そんなことを考えていると、こちらを見定めるような視線を向けていたジョシュア教官は、渋い顔をしながらこう続ける。
「今日から勇者殿の訓練を始めるわけですが....。まずは基礎体力をつけるところから始めましょうか。勇者殿はちと体の線が細すぎるようなので。」
確かに。基本引きこもり体質のオタク生活を送っていたのだ。何をするにも体力があって困ることはないだろう。
「運動とは無縁の生活でしたらね、バシバシお願いしますよ、ジョシュア教官。あと、どうぞ気軽にマサトと。」
すると、途端に満面の笑みを浮かべるジョシュア教官。あらやだ怖い。訓練として今から馬車を襲撃しますよと言われても違和感がないくらいに怖い。
なんだろう、気づかないうちに、何か間違ったことを言ってしまったらだろうかと考え込んでしまうおれ。その答えは、訓練が始まってすぐに理解することとなった。
「マサト殿!なにをチンタラ走っているのですか!まだまだ8周目ですよ!」
やばい。何がやばいってもう本当にやばい。
「まだ30周以上残っているんですから、そんなんじゃいつまで経っても終わりませんよ!ほらほら、ペース上げて!!」
もう身体中の至る所が悲鳴をあげている。特に胃腸さん。さっきから何か描写してはいけないようなものがこみ上げてくるのを感じている。
「よし、よく頑張りましたね!5分休憩したら次は腕立て伏せ500回行きましょう!」
お願いですから行かないでください。多分おれが逝く方が早いです。
「ははっ、このくらいでなにバテてるんですか。まだまだ序の口ですよ!いや、それにしてもさすがは勇者殿ですな。自らバシバシお願いしますと懇願してくる兵士なんて、最近はとんといなかったので、自分、嬉しくて!」
おれのバカ。いつか某ネコ型ロボットが発明されたら覚えてろ。真っ先にお前を殴りに行ってやるわ。
「それじゃダメですよ!腕を下ろすときはこう、しっかりと胸板を地面に擦れるくらいまで曲げるのです!ほら、私をお手本にして!」
うるせぇ。隣でフンフンいうんじゃねぇ。真横で一緒になってお手本を見せてくれているんだろうけど、横なんて見てる余裕はない。ただフンフンと荒い息づかいと、モワッと暑い蒸気のようなものが伝わってくるだけなんだってば。不快指数が尋常じゃないことになってんだってば。
「さあ、息を整えたら次は腹筋ですよ!戦士たるもの、やはりこの割れた腹筋は維持しなければなりません!ほらマサト殿、地面に転がってないでこの肉体を見るのです!!」
そう言って、おそらくはフンフンとポーズを決めているだろうジョシュア教官。
一方のおれは、死体の如く地面に伏し、もはや寸分たりとも体を動かすことができないでいた。そして、身体中の細胞という細胞に裏切られたように感じながら、おれは遠く離れた幼馴染のことを思い出しつつ、こう考えていた。
あ、こいつも山本と同じく、人間の皮を被った筋肉なのだ、と。
それに気づいた瞬間、もはやこの筋肉をヒトの言葉で止めることは叶うまいと思い至り、おれの頭は真っ白になった。
「お、いい目をしてきましたね!私が受け持った新兵たちも同じような目をしていたものです!さすがは勇者と言われるだけはありますな!無駄なことに思考をさかず、ただただ体を動かし筋肉を鍛える境地へと至られたのですな!!さあそれではペースアップして参りましょう!!!」
◇◇◇
その日からというもの、カルドリア王国の城にある訓練場では、目を輝かせた人型筋肉の暑い叫び声と、目の輝きを失くし、ただひたすらに体を動かす黒髪の青年の姿が連日にわたって目撃されたという。
筋肉は世界を救う!