派遣社員はある夜突然に
初投稿です。
お目を通していただき、生暖かく見守っていただけると幸甚です。
金曜日の仕事帰り、俺は歓楽街の雑踏の中を歩いていた。
次の十字路を曲がった先の裏路地、その左手にある雑居ビルの4階。
ところどころヒビ割れている、コンクリートの壁にはいささか不釣り合いな、綺麗にニスの塗られた木製の扉を開く。
一瞬の静寂ののち、まず耳に入ってくるのは、ピアノの音色。
「今日はショパンか・・・。」
そう呟きながら中へと進んでいくと、三人の男の姿が目に入ってくる。
あれはオーク材だろうか。重厚さを感じさせるバーカウンターを挟み、グラスを傾ける二人の男たちの向かいでは、もう一人の男がグラスを磨いている。
そのうちの一人と目が合った。
身長は180cmほどであろう。黒のスラックスに、仕立ての良い白いシャツ。シャツの上には黒色のベストを着ており、その白い髪は、後ろに撫でつけられている。
顔には皺が刻まれてこそいるが、そのグラスを磨く仕草からは、寸分たりとも老いを感じさせない。
「いらっしゃいませ。いつものお席が空いております。・・・それから、これはドビッシーで御座います。」
・・・今かかっている曲の作者?そりゃドビッシーだろう。ショパン?バカ言っちゃいけないよ。誰がどう聴いてもドビュ・・・ゲフン。ドビッシーだね。間違いない。
・・・仕切り直そう。
バーカウンターのちょうど真ん中あたり。ここが俺の特等席だ。すべてで九席しかない小さな店だが、それぞれの座席の間には十分な間隔が空いている。
その横並びになっている客席の両端には、見るからに高級そうなスーツに身を包んだ二人の男の姿がある。
左手首に輝く時計に、胸ポケットから覗くシルクのハンカチーフ。
・・・成功者。そんな雰囲気を醸し出す彼らもまた、この店の常連だ。言葉を交わしたことこそないものの、まだ若手の域を出ない俺が、理想としている男たちである。
「どうぞ。」
その言葉とともに、俺の目の前にグラスが差し出された。
「(注文まだなのに・・・。これが、いつもの、ってやつか・・・。)」
内心の驚きを隠しながら、琥珀色の液体で満たされたグラスを煽る。
「・・・美味い。」
正直、酒の味なんて分からない。・・・っていうかおれ常連でもなんでもないんだけど。いきなり酒出されたんだけど。なんだあのマスター。実はこれ高い酒で、俺からぼったくろうとして・・・ゲフン。
その、歴史の重さにも似た芳醇な香り。一面に広がる麦畑や、青々と茂る森の様子すら感じさせる味わい。至高、という言葉は、この酒のためにあるのではないだろうか・・・。
「(ふっふっふ・・・。これだよこれ!The・オトナの男っていうこの感じ!)」
そう、俺がこの店に来たのは、酒が好きだからなんて理由じゃない。このオトナっぽい雰囲気を味わいたかったからだ。ナレーション風なアレもソレだな。ぶっちゃけてしまうと格好つけたかっただけだ。すまんね。
「(大学も出たってのに相変わらず童顔って言われるし。仕事帰りって言っても派遣だしなあ。)」
そんな益体もないことを考えていると、マスターがカウンターの奥へ下がっていった。
「(・・・あれ?まだお客さんいるのにどっか行くのかな?まあ、お手洗いか何かだろうな。それにしてもお洒落な店だよなあ。)」
マスターの不在など気にも留めず、俺はこのオトナな空間に浸っていく。慣れない酒の影響もあるのだろうか、先ほどまでは抑えていた独り言が、ついつい口から零れてしまう。
「いいよなあ。この雰囲気。バリバリやり手の正社員になった気分だよ。常連っぽい人たちも渋くて格好いいなあ。あー、なんだか気分が良くなってきた。」
するとその時、店の奥から一人の幼女がやってきて、先ほどまでマスターの立っていたカウンターに陣取った。
「そう、こんな夜にはこのブランデーが良く似合う・・・。クラシックの流れる落ち着いた空間!どこか気心の知れた常連たち!そしてカウンターには寡黙にグラスを磨く幼女!・・・ってアイエエエエ!?!?幼女!?バーカウンターに幼女!?幼女ナンデ!?!?」
一体これはどういうことだ・・・?さっきまでマスターが立ってたよね?もしかしてお孫さん・・・?
「ふぇぇ・・・。誰か異世界に行ってくれる人はいないかなぁ・・・。」
異世界?異世界ってなんだ?いや、そもそもなんで幼女がこんなとこにいるんだよ。他の常連さんたちも気づいたみたいで驚いてるぞ。
「なんでこんなとこに幼女が・・・。」
「・・・ペロペロ。」
おい!一人変態が混ざってんぞ!!しかも一番ダンディで格好良かったおっさんじゃん!!
ないわー。その格好いい口ひげと高級そうなスーツでペロペロはないわー。通報するしかないわー。
って今はそんな場合じゃない。おっさんどものことはおいといて、まずはこの幼女だよ。さっき異世界って言ってたよな?もしかして、ネットで流行りの異世界転移ってやつか・・・?
いやいや、何考えてんだよおれ。そんなこと現実にあるわけないだろ。そもそもああいうのって、交通事故に遭って・・・とかそういうのだしな。
うん、これはマスターのドッキリとかそういうのだな。店のイベント的なやつだろう。ふう、落ち着いてきたぞ。そうなれば、盛り上げるためにいっちょおれも乗ってみますか!
「お嬢ちゃん、おれでよければ一緒に行こうか?」
「ふぇ?そこのお兄さん、一緒に異世界に行ってくれりゅの?」
「うん、いいよ。さあ、ちゃっちゃと連れて行ってくれ!」
「・・・っしゃおらあ!バカが釣れたー!!それじゃ早速、異世界にご案内ー!」
「・・・えっ?お嬢ちゃん急にどうした・・・って・・・。」
その瞬間、おれは真っ白な光に包まれていた。
お読みいただきありがとうございます。
「登録必須キーワード:残酷な描写あり」
あるのかなあ...?