「妖雲邂刀」 7
そろって沈黙を余儀なくされる宗近と美月のコンビ。
実のところの話。永川鳦は刀工でありながら、業遣師の力を有している女性だ。そして宗近の幼少の頃からの武術、刀技の師でもある。
つまり宗近は頭があがらない。
良い人であり、慕ってもいるおねえさんではあるのだけれど。時に般若のような振る舞いをする人なのだ。普段はそれだけの威圧を感じさせない柔和な人なのだが、だからこそ、一度叱られたりすると宗近としては身を縮こませざるを得ない。
それに今回の様に、実際にその身に真顕の刃物が襲い来る実戦において、本来手違いなどあってはならない。もしそれが介在する余地があるのだとすれば、それは太刀合う当人がその身を斬り裂かれ、命を落とすときに他ならない。
だからこそ、ツバメの叱りは……また怒りは至極もっともであり、また宗近も反論の余地がないことは当然のように了承している。
それでも、たしなめられ、叱られることが然として判っていながらも、宗近はツバメの下を訪れた。
気が重いと言いつつも、迷わずに訪れた。
彼女自身もその身の内に心得てはいるのだ。
自分の未熟さと――『甘さ』 とを。
「打ち込みは真顕の重さでも、鋭いのは確かやね宗近ちゃんは。せやからいつも言うように、踏み込みの甘さなんやろね、宗近ちゃんの場合。目当ての妖威刀を傷つけんよう、破壊せんようにと。気ィを回しすぎとる。けど、それで自分の身ぃと、周りの無辜の人達が斬られて怪我したり、まして死んでもうたら元も子もないやろ」
それこそ、宗近ちゃんの言う願いが叶わんという話になりかねん。
そこまで言って、ツバメは嘆息して手にある刀を――陀羅尼勝家を見つめる。
「それとは別の話でな。妖威刀は祓い鎮めなならんモンや。それは人様に害を為すからやいうのんで大前提であるのは、宗近ちゃんも経験の上でようわかっとることやろう」
「……ツバメは妖威刀を悪と言うかのう?」
何とか会話のながれを、宗近が辛くない方向に持っていこうという気配りがそうさせたのか、美月が口を挟む。
それは何気なく発された言葉であり、美月自身にとって真からの拘泥事項でもないということをツバメは知っている。だから彼が自分たち両者を非難したという意味で、気分を害することもないと判っていて、ツバメはただ瞳を伏せて答える。
「いいや。刀の魂とは、造り手と遣い手との想いそのモノや。「まだ生きていたい」 とか 「まだ刀を振るって戦いたい」 とかな。それはいうなれば人の慾でもある。慾が強すぎるんは、時として人の害であるんは間違いないんやけれど。それでも慾に素直な魂があることで、人はそれを 『志』 にも出来る生き物や……だからかな」
ツバメは流し目で宗近を見遣り、美月を指差し、次いで己の手の内の陀羅尼勝
家に視線をおとす。
「だからやな、程度とはいえ 『悪』 とは言いとうないなあ」
「まあ、主も鏡命刀の遣い手ならば、かのう」
「けれど、うちがそう思うておっても、日刀會はそうはいきまへん」
目元を伏せたままで、しかし口元は笑っていない彼女は滔々と続ける。
「あそこの人らあに共通するんは、価値ある刀に含まれる……纏わりつく、人に害なす邪念としての妖威を祓い、そのうえで管理することが責務やさかい。国の刀顕管理の意義を損失させんために、それは当たり前の必要悪ですらない……要するに大人の事情やしね」
手にある陀羅尼勝家を傾け光に通すツバメ。彼の刀の刀身が陽光を反射して煌めく。妖威が鎮められた今のこの刀は、本来の刀の光を誇っていた。それで満足いく応えだったのだろうか、ツバメはなかば伏せていた瞳を宗近に交わらすと、明るい調子で言った。
「うん。ともあれ、今回も見事に祓ってみせたね宗近ちゃん。怪我人に関しては宗近ちゃんの関与する限りではゼロであったわけやし、お手柄やったね」
あまりに厳しく叱りつけることをしたところで、宗近という刀を愛でる少女の何が変わることでもない、ということもまたツバメは知っている。彼女も今迄にその甘さの所為で痛い目を見ることはあったのだから、それで尚そういう意志を持ち、成していこうというのであれば、それは彼女の闘いである。ならばツバメが宗近に出来ることと、して遣りたいと思うことは限られてくるというモノだ。
「宗近ちゃんの願い。臥薪嘗胆の一石にはなれたんなら、この刀も意義があるいうもんや」
「その陀羅尼勝家も日刀會が管理保管したいと望む一振りであればのう。あやつらは、金になりそうなら場合によっては売りにも出すくらい、回る評価が曖昧よ」
「……それでも、一歩にはなりますよね。業遣師としての実力を示すことは間違いなく出来ているはずですから、存在を示し続けていることは確かですから……」
直立し、宗近は美月の納められた刀ケースを身に寄せる。
真摯な瞳に、黒髪がはらりとかかる。
そのうら若き乙女の憂い顔を見て取り、ツバメは嘆息して漏らす。
「宗近ちゃんのウチが言われとる言葉、か。模造刀造りの三条宗近の子孫。『ニセモノ』 呼ばわりもされとったな。正峰さんも痛ましい。それに格を貶められ、京の都を追われてもな、宗近ちゃんがその対偶を得るために日刀會をアテにせなならんのは、ほんになあ……」
辛いことだと言うことは易い。宗近のことを彼女が幼い頃から見てきたツバメとしても、労わりの言葉をかけたくもなる。けれどそれで、宗近にとって何かの足しになるとも思えないツバメは、言葉を呑むのだった。
言葉半分のツバメの言わんとする気持ちを察したかのように、宗近は自身が抱く一切を重荷ともしない、とばかりに毅然と告げる。
「それでも私は、お祖父ちゃんたちの名誉を取り戻してみせます。それが私の……私達の願いだから」
宗近の瞳の彩に、いつもの彼女の決意の煌めきを見受けて、ツバメは頷いてみせる。
それでようやく宗近にもいつもの柔らかな表情が戻った。
「……ふうん。けれど、陀羅尼勝家かあ」
とツバメは妖威が祓われた刀を見直して呟く。
「知っとる? この 『陀羅尼』 いうのんは、サンスクリット語で “ダーラニー”、教義や心得なんかを “記憶して忘れない” という意味を持っとるんやて。せやからこの刀を宗近ちゃんが手に掛けたのも、意味として何かあるかもしれん、としてな。刀の繋ぐモノやさかい、それも憶えとき」
刀との出逢いは人とのそれよりも、なお一期一会の色が濃い。絶対数的にそうであるという他にも、現代人と日本刀との関係性はそうした味を強くするのだ。それにかつては武士の魂とまで言われた斬人のエモノが、命を殺し殺される者である人間との繋がりを忘れ去る訳もないことと関わりがある。今なお両者には、深くも奇妙な糸があるのである。だからこそ、記憶に留め置けとは、業遣師の先輩としての価値妙味の意見である。
「……記憶して忘れない、ですか」
そこで宗近は口元に手を当てて、思案顔になった。そのまま沈黙してしまう彼女に、ツバメは疑問を持たざるおえない顔で問うてみる。
「どうしたん、宗近ちゃん。何か思い出すことでもあった?」
ツバメの疑問に美月が追随する。彼には思い至ることがあるようだった。
「宗近や。お前、昨日のあやつのことを考えとるじゃろ」
「あやつ? そういえば昨日の事件の場には、もう一つ錵があったねえ」
二人の (一人と一本というのが正確ではあるが) 会話に、宗近は漠とした疑問を口にする。それは美月たちに向けられた体ではなかった、自問の様なセリフではあったが。
「結局あの人は、誰だったんだろうね……」
考えだせば、この場にいる面子でも何かわかるのではないか。昨日から特に考える必要を感じていなかった宗近だったが、思い立ったように切り出してみようとした。だがその時、彼女のポケットから電子音が鳴り響いた。ポケットから携帯電話を取り出して、宗近は始業三〇分前のアラームを止める。
「そろそろ学校に行かないかん時間やね。宗近ちゃん、大誠寺高校って反対方向やもんね。朝からご苦労さんやわ」
「はは…………」
気になる問題ではあったが、取り敢えず宗近はツバメに刀の修繕と事後の処理を任せ、工房をあとにする。そして一路もときた道を戻り、東にある高校校舎を目指しペダルを漕いだ。風を切って走るうちにも、しかし胸につかえた疑問は霧散することはなかったが。
店先で宗近を見送ったツバメは、意気揚々と今日も活力に溢れる彼女のスガタを見て、自分の詮無さを感じながらも独り言ちた。
「今迄も何度か宗近ちゃんには言うてきたことやけれど、あの子も女の子なんやさかい、失のうたモノを取り戻すことに固執するよりも、これからの為に新しいモノを育んでいくことを考えるべきかもしれんのやがなあ。……なんたって、若いんやから」
その年齢なら、他にもやりたいことがあって当然なのだから。とツバメは大誠寺の空を見上げて思ったのだった。