「妖雲邂刀」 5
「でも傷はついてしまったけれど、さすがの名刀なだけはあるね。非常に練れて結んでいるよ。小板目肌に地沸が微塵に一面に付いて、淡い映りがある。刃紋は直刃の湾れ刃と濤瀾乱刃を交えて勇壮で、且つおもむきがあるし……」
陀羅尼勝家の柄を取る手と反対の手を頬に当てて、宗近は上気して溜息をもらす。
地沸とは刀の地金が鍛えられた際に出来て見える、一種の模様のことである。これを刃の部分の景観を指して 『刃中の働き』 と云う。『美月』 の三日月型の打ちのけというのも、これも刃中の働きの一つである。
としていると、宗近は、
「やっぱり……綺麗だなあ……。刀ってどうしてこうも心ときめくのかしらねぇ」
と、うっとりと。
瞳を煌めかせて、潤ませて。
悦を身に走らせたかのように。
快感と官能に身をかすかに震わせて、そんなことを言うものだから。目の前の主の少女を視て、美月も呆れを含んだ貌にならざるを得ない。
「それは良かったのう」
と手を伸ばして、彼女の頭をぽんぽんと撫で叩く。そしてぼそりと呟く。
「……やれやれ、こんな見目麗しい年頃のおなごが、こうも刀馬鹿なのじゃからな。世の男どもは、さぞ泣きをみておることじゃろうの」
「何をぶつぶつ言っているの? 美月」
「いや、何でもありゃせん」
呟きに突っ込みが入らなかったことを幸いと、美形な顔でそれと知れない苦笑を表わして返す。
ともすれば、彼女の 『刀』 に対する愛情と造詣の深さが、今回だけではない妖威の打ち損じの原因であるのは、言うまでもなく否定が難しい宗近の様子である。
(もしかしてワシの魂を感じえたのも、やはりこういうところが由縁しておるのかのう)
などと思ってはみても、そんなことは自分達にとっては些事もいいところであった。それは美月が、自身の内実を然程省みないのと同様にして同質に。
棟角宗近には目的が――『願い』 がある。
目的があって、目標を定めて、そのために自らの身に妖威刀の禍禍しい刃が迫る 『業遣師』 という生業をやっているのだ。それも十六歳の若さでである。
彼女と彼には、それこそが些事ではない、確たる一義なのだ。
「……これで何本くらいかのう、宗近。臥薪嘗胆。この一振りが、またお前の祖父たちの失われた名誉を取り戻す一歩なのじゃよな」
陶酔していた宗近は美月の発したセリフに我を取り戻す。
その瞳の彩は、彼女らしさが持つ凛としたモノでもなく、刀を愛でる人種の煌めきでもない。――朝の陽光を受けて真っ直ぐに照らされる 『道』 の先を見据える。そんな強い彩に満ち満ちていた。
「お祖父ちゃんたちは、そして妖威刀に殺されたお祖母ちゃんもお父さんも、何も間違ってなんかいない。大切な人を失ったお祖父ちゃんとお父さんが、美月をはじめ写しの刀や模造刀造りに転向したのは、正しいことだよ。私はそう理解している」
「しかし日刀會は正峰と要慥をかつての “小鍛冶” の名を辱めたとした。そうして京の都を追いやられた親と子は、この地に流れて来たのじゃぞ」
過去、顕現していない時代であっても、鍛刀した者の心は――魂はその刀である美月の内に響き、深く刻み込まれていた。だから美月は知っている。宗近の祖父と父の気持ちを。妖威刀を憎みながら、しかし刀と袂を分かつことができなかった自分達。そしてかつての三条 “小鍛冶” 宗近と呼ばれた名刀工の末裔としての誇り。
哀しみはあったろう。
辛さはあったろう。
狂おしい怒りも、葛藤も当然に胸の内に渦巻いていた事だろう。
だがそれでも、祖父たちは自分達の胸にある一義を捨て去ることはしなかった。
父である要慥は、宗近がモノ心つく前に亡くなった。祖父は宗近が小学校に入る頃に逝った。正峰が存命の間、彼が言葉少なに口にする語りと、美月と鏡命することで宗近は彼らの想いの程を知っていたのだ。
「でも、それも日刀會の人たちには当然だった」
だからこそ宗近は取り戻し、そして証明したいのだ。祖父たちが失った名工としての名誉――そして彼らが鍛え、造り出した 『美月』 が揺るぎない価値を誇る “名刀” であると。
それが業遣師として、問題を抱える刀である妖威刀を祓い、在るべきスガタに還すことで拓かれる道だ。日刀會の求める刀を確保し、自分と美月と、そして “棟角” という三条宗近の末孫の名を認めさせる。
そこに宗近の業遣師としての闘いの意味がある。
祖父と父、そして美月を大切に想う……親身を以って尊ぶ気持ちが、宗近にそんな危険を孕む道を歩ませている。
彼女の年頃ならば、他にやりたいことも望むことも、それこそ白山の峰の様な高さに積もるほどに在って当然だろう。だがそれでも。宗近は止まりはしないだろうという事を、美月は彼女の心に触れて知っている。
「ふん。しかしあまりに一途というのもまた、刀のようで見所がある、か」
「なにそれ?」
お互いの顔を見て朗らかに笑いあう宗近と美月。
と、静けさと陽光が包む、さざめく笑い声の最中に、刃物がぶつかる様な電子音が割って入ってきた。宗近は立ち上がり、道場の隅に置かれた携帯電話を手に取る。光沢のある黒塗りに三日月の金箔のデコレーションが施されたストレート型。ともかく主張が強く多少気障りな、セットしていたタイマーのアラームを止めると、それを手に向き直る。
「さて、それじゃあ朝食にして、出掛けましょうか。学校の前に鳦さんのところに行かなくちゃいけないから。今日は早く出なくちゃね」
「永川の女か。しかしあそこの坊はワシにべたべたと触ってきよるから、あまり好かんのじゃがな」
美月のボヤキに取り合わずに、刀顕に変容した三日月宗近 『美月』 を手に取ると、宗近は一言だけ漏らした。
「まあ、今日はツバメさんのところに行くのに気が重いのは、お互いさまでね」
二人が向かうのは、妖威刀の鑑定と修繕の刀工。永川鳦――彼の江戸時代の名研ぎ師の家系、本阿弥家の末孫の女性である。