表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/39

「妖雲邂刀」 4


「……むう。やっぱり刃切れがあるよ~。久しぶりにやってしまいました……」


 静謐な空気と、道場の高窓から射し込む陽光の中で、むくれ顔をつくってそう漏らしたのは、宗近だ。

 一見すると可愛らしく顔を歪めているように見えるのではあるが、これでもこの表情には彼女の精一杯の悔恨の念が滲んでいる。

 宗近が稽古用の袴道衣を着用して、凛とした姿勢で座すのは、自宅脇にある小さな鍛錬道場。彼女は早朝の食事前と夕刻の食事後に、刀技や合気柔術の鍛錬の時間を設け、加えて道場内の布拭き清掃も幼い頃より欠かさずに行っている。

 大誠寺の街中から東に離れた、河川がはしり水田が周囲に多い場所にある自宅家屋。宗近の祖父の代にこの地方に移住してきて買い受けた古民家で、建築様式は縦板張りの壁面に瓦葺の切妻造り。見た目に古びている印象に違わずに、どうやら江戸時代の建築物であるようだ。しかし管理のほどが心配される家屋に住むのは宗近一人である。

 いや、それは事実を正確には物語ってはいないようだ。実際彼女にはもう一人の同居人が存在するようで、今現在も道場の板張り床に正座する宗近の目の前に、その同居人はふてぶてしくも胡坐をかいている。


「まあ、毎度のことながら、荒事の最中に刀身が傷つかんように気を払って尚、妖威刀を祓うというのが、本にそもそも難事なんじゃ。そう沈み込むでないわ」


 そんな気遣いが垣間見える言葉を発しながら、眠たげに頭を掻いているのは男だ。

 細身長身。淡く発光しているかのような透きとおる肌は艶がある。首元には彼の長く白い髪がふわふわと散っており、一種の雅な工芸品のような趣を出している。神職などの和の礼装を思わせる着物の襟もとをはだけて着崩した姿は、男でありながら色気を醸し出している。だが彼と対峙する宗近は一向にそれに頓着する気配もない。

 彼女は手にし見つめる刀が、今現在の最大質量にして最大含有量を有する関心事であり、かつ注意を傾け、注ぐべき問題であるとばかりに難しい顔で刀身に見入るばかりである。

 その様子にいささかの呆れの嘆息を以って彼は言う。


「なんなら、ワシの詰めの甘さと思ってなじってくれてもいいんじゃがな。被虐の趣味こそとんとないが、お前を危険な目に合わせた分の悔過の念がわだかまっておるでの」


 白髪の男が端麗な顔を曇らせて、伏し目がちに漏らすのに対して宗近は顔の前から刀をおろすと一転、柔和な笑みをつくって見せる。


「もう。昨日から何度も繰り返しで言っているけれど、美月の所為じゃないんだから、そんなことは言わないの」

「そうかのう」


 そう言って自分の額の三日月型の痣を指先で掻いてみる美月。

 この年齢不詳の美形の姿が、狐の化生とは別に、自由性の性分を以って、時折彼が発現するスガタだ。

 どうやら、妖威刀が顕現してそのスガタカタチをある程度自在に操り、表わすことが出来るように、鏡命刀の美月も、自らのスガタを己の意志で様変わりさせることが出来る、ということのようだ。

 昨日の妖威刀祓いの一件から一夜が過ぎた。

 想念が纏わりついた黒い刃が霧散し、事態の解決がなされた後。被害者の男を一旦、署の方へ送り届ける宮坂たちのパトカーに伴って、宗近も帰路に着いていた。無事に遺失刀顕としての回収に成功した妖威刀――既に妖威は祓い、魂は鎮められた当たり前の日本刀である陀羅尼勝家――は、今後はまず国の管理下に置かれる。そうしてその後に場合によって売りに出され、在るべき人の手に渡る。

 その役目を担うのが文部科学省のもとにある 『日本美術刀顕保善協會』、通称 『日刀會』 である。

 だがそれとは前段階で、確保した刀の状態を、技術を有する人間に鑑定、修繕してもらう必要がある。その技術を持った人間というのも、民間の実動部隊であるところの業遣師同様な存在で、また宗近の知古であり協力者のその人物は、この大誠寺町に在住している。

 そういうわけで、宗近は自身の関わった刀顕に関する顛末を見届けるという名目上、件の協力者のもとへ陀羅尼勝家を受け渡しにいく役目を負っている。それまでの間に昨夜から自らの手元にこの刀を置いていた訳であるが、名刀が手元にあれば、その御姿を眼にしてみたいというのは、刀好きとして真っ当な姿ではあるのだろう。そうした次第で現在に至る。

 しかし夜が明けて、祖父が遺した道場で陽の光のもと彼の刀を見つめて、宗近と、そして美月も、その心にブルーがさしていた。昨日の暗たる曇り空と比較してみても、今朝の大誠寺の空は澄み晴れ渡り、陽光もまばゆさに満ち満ちているのとは対照的に、である。


「まあ、ワシは探知感知がいまいちなのは、今に始まったことではないんじゃがな。しかし……」


 美月自身も自覚がありながら、取り立てて言及しない事ではあるが、彼は 『写し』 の日本刀である。それは彼が国宝に列せられる “天下の五大刀” の一振り、三日月宗近の名を冠しているにも拘らず、その実は正真(しょうしん)の三日月宗近ではない、とうことは披瀝するまでもない事実だ。

 写しの刀とは、鍛練法こそ玉鋼を使用するケースも多々あり、また鍛鉄と研ぎの作法も従来の日本刀のそれに倣って作られる刀だ。しかしその 『物』 としての扱いは、国が認め、分類認定される 『日本刀』――美術刀顕の登録には該当しない。いわば武術修練の居合刀や、観賞用の模造刀と同列なのである。

 実際、美月の刀身は、刃中の働きや刃紋こそ美しく見られあっても、刃先は研ぎが施されておらずに、真顕の斬刀のようには物が斬れない造りになっている。

 彼を愛刀として振るう宗近にとってはそうでなくとも、これは美月当人にとっては些かばかりといって余りあるほどに、不名誉な事実であることは間違いない。

 それは無遠慮なモノ言いをするならば、彼が 『偽物』 に他ならないからである。

 だがそんな偽りの刀でありながら、宗近の祖父、棟角正峰(まさみね)の手により生み出されて後、宗近の父の腰に佩かれ、また宗近が手にしたことで鏡命刀として顕現した美月は、確かな……確固たる意志を以って思うのだ。

 彼女の祖父たちが遺した玉物――宗近の力になろうと。

 そして彼女を支え、護り、身と心を案じ、彼女の “真の願い” を叶える為に己という太刀を彼女の武器としようと。美月自身が思うのだ。例え自らが本当の日本刀として、誰かから看なされなくとも、である。


(そこに刀としての真偽などは詮ない事よ)

(所詮はワシのエゴなどは、人の世から見れば異質にして異物よ)


 それでも、だからという訳ではなくも、こうしてへこんでいる宗近を見ていると、美月はどうにも自分を責めたくなる気持ちを拭えなくもあるのだ。自己と人の世界の狭間にあって、それらに対して若干寒い見方をしていても、枯れてばかりもいないのが彼という人物らしい。


「美月、また余計なことを考えているでしょう」


 掛けられた声に耽溺から引き戻された美月が顔をあげると、刀を膝前に置いた宗近がまっすぐに彼を見つめていた。


「なんじゃ、また聞こえとったか?」


 静かに瞳を伏せて、首を横に振る宗近。

 その表情はどこか申し訳なさそうだ。


「ううん。今は鏡命していないから聞こえてはいないよ。けど、そんな表情をしていたら、誰だってわかるよ。丸わかりだよ、宗近さんもね」


 真摯に、揺らぐことなく美月に視線を交わして、宗近は温か気に微笑む。


「あまり気に病まない事。お互いにね」


 そう言って豊かな胸を反らせるので、美月ももはや笑い返すしかない。

 基本は良く出来た娘なのである。胸の発育も立派で、諸事はそつがない。

玉に傷があるとすれば、プライオリティにおける自身が低いことか。

だがそれでも、如実に感じる。鏡命刀とは刀の魂――それと遣い手の心が響き合わされ、映し合わせることで力を顕わすモノ。ならば宗近という少女に、魂の在り処を見出されたことを美月は嬉しく思う、と。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ