「晴空繋意」 10
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大誠寺を含む地方に梅雨明けのニュースが報じられた今日。
数珠丸恒次との長時間に渡る交戦で負った傷のせいで、転校と転居を予定していた長光は、その傷の回復のために数日の予定の延期を余儀なくされていた。
しかしそれも昨日を目途に区切り、今日の下校を以って、長光は大誠寺を去る旨を周囲の関係者たちに告げていた。
最終日、大誠寺高校の二年八組に傷を繕った姿で顔を出した長光は、クラスの男女から様々な言葉をかけられ、終始面倒そうな顔をしていた。その様子をクラスの一人として和穂と、そして宗近も見守っていた。
「ムネちゃん。結局、鋒周くんに何も言わなかったけれど、よかったの?」
「う~~ん。良くはないっていうか……ね」
「鋒周くん、下校したらそのまま電車で県を離れるって言ってたじゃん。もう話とくことは大丈夫なわけ? ムネちゃんとしては」
「いや、ははは……。何ていうか、ね」
隣席の和穂に手招きすると、宗近は彼女に耳打ちした。
「後でシークレットコンタクトでもしようかと……ね。人が居るところじゃ渡し辛いとか話辛いとか、あるじゃない」
そういって従来からの彼女の持つ、柔らかな笑みを作る。
割とさっぱりした口調で話したつもりの宗近だったが、和穂はそうは受け取らなかったようで、繊細微妙な乙女心がそこにはある! とでも考えて楽しそうに頬を緩めた。そして宗近に返す。
「おっ? おっ? ムネちゃん、ようやっと鋒周くんに対しての頑なな心を解き放つ気になっちゃった? ラヴですか? ラヴなの? いやーんっ ムネちゃん、青春じゃんっ」
「ななな何を言ってるの、そんなんじゃないよ、断じて違います! ただ、今回の件で鋒周くんには本当にお世話になったから、そのお礼をだね!」
「いやいやいやいやいや。何でもいいんだよムネちゃん。もう素直な気持ちのままに勇敢なる踏み込みでズバッと斬りつけてあげなよ。それで何になるかなんて気にしなくていいから、とにかくやっちゃえ、ムネちゃん! このムネムネにかけて!」
和穂が宗近のたわわな胸を両手で背後から揉みしだいた。
「もうっ……やぁん、エリちゃん……ってば!」
「おお、今日も熱い戦いが繰り広げられているな。鋒周も大誠寺高名物にしっかり見て行けよ」
鯉朽先生の冗談で笑いに包まれる教室で、長光にとってのこの学校での別れの時間が過ぎていく。
「あ? 今日限定の饅頭? 氷室の日……ってなんだ?」
駅前の老舗の雰囲気のある売店で、長光がそんな言葉を呟く。
「何やら楽しげじゃの。私のためと思って一つ買っておくれ、長光」
「ああ、まあいいけどよ。饅頭なんてどこのも一緒じゃねえかって気はするが……」
周囲にほとんど客がいないこともあって、ぶつぶつ言いながら自分の分の車内弁当と併せて会計に持っていこうとする。
その彼に声を掛ける者があった。
「鋒周くん、見つけました」
「…………あ?」
振り返ると、宗近が立っていた。
制服姿で、左肩に刀ケースに入った写しの太刀、美月を持ち、右手に何やら大きめの紙袋を提げている。
「ムネ子、何でいるんだ、お前」
「遠距離から刀の錵を辿るのは、もう蒔さんたちだけの技術じゃないという事だよ」
「ワシの感知能力も向上したでな。蒔の錵を辿らせてもらった。何でも宗近が……」
「鋒周くん、これ」
美月の言葉を待たずに、宗近は自分からこの場にやって来た……というか長光の後を追ってきた目的を切り出した。
「なんだこりゃ」
差し出された紙袋を見て、長光が鼻白んだ。中身は包装された菓子箱に、木製の容器に入った何やらが一つ。
「色々お土産というか、お届け物というか。一つは氷室饅頭だよ。加賀地方の季節物。あと一つはツバメさんから。自家製の梅干し。鋒周くんにって」
「くれるのか?」
「うん。どうぞ」
「長光、ついでじゃし二つ買っておけ。甘いモノは酒と等価に私への供物よ」
「かっ 鏡命刀でもやはり女じゃのう。甘いモノに入れ込むとはの。ワシは米菓の方がよいかの」
「ふん。若造のくせに爺くさい」
「なんじゃと、大年増が!」
「まあまあ、二人とも……」
「うるせえな……」
周囲に人が居ないとはいえ、刀同士でヒートアップするのに遣い手たちが苦い顔をした。
「まあ、とにかく有り難く貰っとくよ。……ときにあいつはどうしてた? 鷹衛のやつは」
「うん、元気だよ。鋒周くんとお別れしたいって言うかと思ったら、「男は出逢う時には自然とまたまみえる」 とか言っちゃって」
「ふん。それでいい」
「クラスの皆も、鋒周くんがいなくなるの、寂しそうだったな」
「まあ、好きにしろ」
「あ、そうそう、総刀部の皆も鋒周くんによろしくって。部長はせっかく部員が増えたのにー、って残念がっていたよ」
「まあ、俺も勉強になったとでも言っておいてくれや」
「……一度岡山に戻るんでしょ。京都より西かあ、どんな所だろ。やっぱり河がすごいのかな」
「河くらいあるさ。他には別に普通の街並みさ。……あー、地元にここと同じ地名所があるな」
「えっ そうなんだ。何か嬉しいね。それ、視てみたいな、風景。なにより刀鍛冶にとっては意味合い深い場所だしね、岡山って」
そこで長光は、少し考えるようにして頭を掻いて、次いで仕方なさそうに切り出した。
「ああそうだ。永川さんにお礼に向こうの名物でも送るからよ。貰い物の容器も返さなきゃだし……ついでにお前も欲しけりゃ、送ってやってもいい」
「え、本当⁉ 欲しい、欲しい。岡山の名物ってなんだろ」
「まあ、吉備団子とか、色々」
「うわ、桃太郎だ」
「うっせえ、黙れムネ子」
「嫌です。黙りません」
宗近の態度に、長光は怪訝な顔をして彼女を見遣る。今日のこいつはやけに絡んでくるというか。イニシアチブをとってくるというか。どうにも態度が今迄と違うような、そんな気がする長光。
(感傷的になってんのかね、お互いに)
「なんでだよ」
「もう逢えないかもしれないからだよ」
「はあ? ……お前な、人が人に合わないってどんだけ簡単に崩せるか知らねえのか? こんな雪国に籠っているから、そんな発想になるんじゃねえのか? 馬鹿らしい」
長光の反駁に、宗近は考えるようにして、次いで頷いてみせる。
「う~ん。そうかな……。そういう傾向があるって、文人だったかの言葉にも在ったような気がするね、この地方」
「ほれ見ろ」
「じゃあ、また逢える?」
「お前は会わない気だったのか? 俺って今回というか、お前に会ってから貸しを作りまくってて、返してもらってねえんだけどよ」
「そうだね。それはうっかりしてました。それに刀技の試合でも、鋒周くんには勝たないとだしね」
「はん、それは精々精進しろ」
「じゃあ、再会の約束だね…………」
「……約束? はっ、知らねえよ。気が向いたら憶えておいてやるかもしれねえが」
「忘れないでよ。ううん、というか鋒周くんはきっと忘れないと思うよ。『記憶して忘れない』 よ、きっと」
「あ? なんだそりゃ」
「ううん、なんでも。ただ、私は忘れないって話。鋒周くんが見せて、教えてくれたこととかも。だから、また逢えるといいな。……ううん、また逢おうね」
「まあ、互いに目的があって業遣師をやっていれば、そういうこともあるだろ」
「うん。互いに信念を以って、続けていれば」
「そういうことだ」
「…………………………」
宗近が言葉を切るのを受けて、話も丁度ここらでいいか、と長光。
「じゃあ、俺は行くわ」
「……うん」
会計を済ませて、長光は荷物と蒔を抱えて店を出た。少々重くなった気もするが、長光は動じない。
そうして何気なく訪れる別れの時間に、宗近は心を決めていたことを自身の内で繰り返す。
そして勇気を以って、踏み出してみた。
「鋒周くん」
振り返る少年に、彼女は告げた。
「私も、嫌いじゃなかったよ。真っ直ぐで、斬られそうなほど鋭くて、鋼のように厳しい……でもとても美しい、刀みたいな、鋒周くんのこと。私、嫌いじゃなかったよ」
宗近の言葉に、ふと笑顔のようなモノを見せた長光は、そのまま何も言わずに軽く手を振って歩いて行った。
それを見送って、宗近も歩き始める。
二人は違う方向を向いて歩き始めたのだった。
「………………」
少し行って、宗近は長光の去った道先を振り返る。
「またね、長光くん。約束だよ」
そう言って宗近は、大誠寺の空を仰ぎ見る。
空は夏の到来を実感させるように青く、高く晴れ渡っていた。
雲が心を覆い、陰らせる時期はもう過ぎ去ったように、晴れ渡った空がそこに広がっていた。
凛と、美月の鞘鳴りが宗近の耳に届き、爽やかな風が彼女の髪を撫でた。
了
faith/féɪθ/
信頼 信用 信念 確信 信仰 信義 誠意 誓約 約束
今回で本作は一旦の終了となります。
しかしある地点に達したとはいえ、宗近も長光もまだ自身の願いを達成していないところを見ると、この物語はまだ続くかもしれません。
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