「晴空繋意」 9
彼女のもとあった踏み込みの甘さを払拭するよりも、踏み込みの間合い自体を気にしない、自在なモノとする。そういう 『業』。これは確かに、反則なような想いの結実であった。しかし翻っていうならば、それだけ宗近の 『刀を愛する』 その想いが強かったという事だ。
残心する宗近の静かな意識を感じながら、美月が感無量ともらした。
「心が想いから信念と覚悟を導き出し、至らせたか、宗近。これはその 『業』 じゃ」
宗近の至った覚悟。
それは、刀を傷つけようとも妖威刀を討つ――という意志ではなかった。彼女は自身の 『刀を愛する』 という想いを誠信し、その気持ちのままに自分を偽らずに、信念を全うするという道を選んだのだ。だからこそ、妖威刀といえど傷つけまいとした 『業』 を、新たに美月から引き出し、体得するに至ったのである。
「破邪顕正の刀か……。しかし人の心の内に、時にそいつにとって知らんでもいいことまでをほじくり返すお前さんの力は、強すぎていかんよ。大人しく眠っておってくれ」
美月がそう、独り言ちた。
「しかし、宗近にとっては意義ある経験となったようじゃ。それに関しては礼を述べさせてもらうぞ。我が同朋――気高き刀よ」
「うん。今は静かにお眠り……数珠丸恒次」
悠然と納刀する宗近。美月を鞘に納めると、鏡命の輝きが鞘を包み、その拵えに変化を顕わした。浅黒い朱色の鞘。金梨地菊桐紋蒔絵の糸巻太刀拵え。
現場に到着していた宮坂が、その場の様子を認めて頷いた。
「どうやら状況終了のようだな。緒垂、小知の様子を見てくれ。俺は妖威刀の確保に移る」
事態の収束をみて、事の処理を行うべく大誠寺署の警官たちが動き出した。途中宮坂は宗近と、長光のもとに歩み寄る。
「棟角さん、お怪我は?」
「私は大丈夫です。それよりも鋒周くんの事を診てあげてください。もう立っているのも辛いようですし」
宗近も長光のもとへ歩いて行き、彼の前にかがんで視線を合わせる。
「鋒周くん、本当にありがとう。体は大丈夫……じゃないよね。ごめんね、無理させて」
「……はっ。俺の無理なんて常識の範囲だろ。死にさえしなきゃ、他の誰かが出来るレヴェルだ。大したことはない」
ふるふると宗近は頭を振る。
「ううん。鋒周くんじゃなかったら、私はきっと美月を取り戻すことも出来ずに、ただあばかれた心の重さに潰されていたよ。鋒周くんの刀と、業遣師としての意志のあるスガタを私が見ていたから、出来た事だよ、きっと」
「………………ふん。まあ、一理あるの」
美月が仕方なさそうに肯定の言葉を呟いた。
「だから、色々ありがとうね、鋒周くん」
「……………………」
真っ直ぐな宗近の視線に、長光は何とも言えないと云った表情をつくり、次いでそっぽを向いてぶつぶつと洩らし始めた。
「おいムネ子。ついでだから俺も少し話とくぞ」
「……なに?」
「俺は、刀のことを全面的に嫌っている訳じゃねえ」
「え…………?」
「あのクソ国宝が何度も何度も何度も何度も、もうウザ過ぎる程に散々から喚きやがったから、誰かに反駁を口にしとかないと、どうにもすわりが悪いっていうかよ。だから、それだけだ。俺だって、刀は嫌いじゃない」
どこか顔を赤らめているようにさえ見えるのは、彼の疲労のせいだろうか。宗近にはそれは判別がつかなかった。というよりも、この場合はつかないことにしておくのが温かさかもしれない、と宗近は思ったのかもしれない。しかし宗近の知る長光の中で、今の彼はとても少年らしくて、思わず顔が綻んだ。
「そうだね。そうなんだね」
「人が刀を嫌い、忌む心は、大切な者を奪われたあてつけじゃ。刀自体を憎んでも、そこには何もないことを人は本当は知っておる」
「ああ。じゃからこそ刀は畏敬の対象となり、それが憧れという人を惹きつける力となるのかのう」
美月と蒔がそんなことを語りあっている。その間を取るように宗近が言う。
「でも刀が愛されるのは、刀そのものの持つ美しさの力だよね、やっぱり」
湖面の風が、宗近と長光を優しく労わり、明るみを帯びた空が湖の彩を変化させていく。雲は薄さをもって流れ始めていた。
「朝日だね」
「ああ……。ったく、こんな長い夜はいつ以来だっての」
東の山間から太陽が顔をだし、陽光が辺りを照らす。
「宗近、視てみい」
「うわあ……」
美月に促されて視線を廻すと、そこには朝焼けの柴山潟が、美しい色彩を見せて輝いていた。
「綺麗だね…………」
誰に同意を求めるともない宗近の呟きに、共にその光景を見つめる長光は、説教のつもりで言った。
「お前の鏡命の方が綺麗だよ。最初に視た時よりも、断然な。その輝きが何故成せるのかを、よく憶えておけよ。一人の業遣師としてな」




