「晴空繋意」 8
夜が明けようとした空。しかしまだ闇は其処ここに影をつくる。
否。その影は宗近が生み出したモノ。
宗近の手にする太刀。三日月宗近 『美月』 が放つ、『輝き』 の光の力。
「鏡命が戻ったか。……だが、それだけじゃねえな。この光は……ッ」
そう。明らかに以前の美月の光とは違う。
刃文の美しさも、三日月の打ちのけの光の粉も、以前にも増して煌めきを強め、刀身そのモノが輝いていた。金の光の粉を散々(ちぢ)に舞い散らし、刃は刀そのものの光の響反射を魅せる。
燦然と煌めき――綺羅綺羅と輝いて銀色だ。
その輝きが朝月夜を凌ぐ如く周囲を照らしているのだった。
「よくこの場所がわかったものよの、小娘」
蒔が面白そうに笑み、問うた。それに応えたのは白金の尾を振る美月だ。
「ふむ。ワシも黄泉返ってみて、ようく錵を感じるようになってな。それを辿ってケーサツの者に二輪車で走ってきてもらったのじゃ」
正確には宮坂にバイクに乗せてもらったのは周辺までである。数珠丸恒次と蒔の錵を近辺に感じた美月と宗近は、カタナを降りて長光の所へひた走り、直行したのだ。
「へっ……。で、どうだよ、やれそうなのか? ムネ子よ。もう来ないのかと思って、今から俺が祓おうとしていたところだったんだがな」
「させないって、言ったでしょ」
そう言って、宗近は長光に横顔を見せる。そして笑った。
「それに鋒周くんのお蔭で、美月を取り戻すことが出来たよ。鋒周くん、ありがとう」
「ふふん。宗近よ。ようやっと言えたのう」
「うん。そうだね、美月」
凛、と美月が顕現の光を振りまくと、蒔が頷いた。
「長光よ、あの小娘はいつぞやお前に助けられた時のことを、ずっと礼が言いたかったようじゃぞ。そういうことらしい」
蒔からの伝え聞きを耳にして、長光はつまらなさそうに息をついた。座り込んだまま、上体を起こして宗近の背を見つめる。流れる髪がさらさらと光を纏って美しい。
「はん。くだらねえぞ、棟角宗近。お前はここに何をしに来た? その刀で、何をするってんだ?」
「ふん。愚問じゃな」
光を振りまいて、白狐の美月が宗近の傍らに降り立った。その美しい獣面を撫でて、宗近は言った。
太刀を一払い、金と銀の光の粉が舞い散ざめく。
「成すために来ました。私は、私の刀の意味を、あの妖威刀に見せつけないといけないから」
「だったら?」
「ここからは、私が闘ります。この太刀で、業遣師として生き舞います」
宗近が正眼に構え、美月が凛と傍に在り、二人は立ち向かう。
妖威刀に――人の心の底を見透かし、あばく、破邪顕正の力を持った、数珠丸恒次に。
「より良い力を感じるの。強い錵じゃ」
数珠丸恒次は美月の発する光に対して、慄くように黒い僧衣を揺らめかせ、奇音を発する。
――戦闘態勢だ。
「お前にも願いがあるんだろうよ、棟角」
先手は数珠丸恒次。ここは刀を持つ人間の体格差がものを言った。撃尺の間合いに僅かに早く宗近を捉えた数珠丸恒次の宿主が、実体の太刀での打ち込みを放つ。
しかしその太刀を難なく受け太刀して宗近は止めてみせた。
相手の刃を自らの刀の斬尖一点で止める妙技。
光の粉が舞い、敵の刃を弾き、宗近が一歩を踏み出す。
――今度は両者同時の起動。
これは宗近の踏み込みが一歩早い。意志のもとに躰を躍動させている力の差が現れた形だ。宿主が斬撃を放つよりも前に、妖威の懐に入り込んだ。
「それは慾でもあるだろう。だがな、その気持ちの正体に慄き、自分の気持ちを疑い、欺瞞と貶め、蓋をすることは無い」
顕現した妖威は即座に斬撃から、腕より伸び放つ数珠での攻撃に切り替えた。宗近めがけて迫る黒い鎖の様な数珠を、太刀を以って受け止める。刀身に蛇のように絡まりつく数珠を、狐の化生の美月の牙が、鋭く斬り払った。
「願いがあるのなら、その気持ちには素直であるべきだからな。そこに本来、貴賤を持ちこむのはすべきじゃあない」
妖威の攻撃の手が緩んだ隙に、宗近の剛の太刀が顕現の怪僧に炸裂する。
「自分を殺して生きることの哀しさとむなしさは、俺ですら想像がつく程に、腹立たしいくらいの遣る瀬無さだろうよ。切ない気持ちの生だと思う」
霧散する妖威顕現の腕と左半身。しかし、僅かの間で黒い靄が傷口を覆い、その身をいびつながら再生させる。
「蒔が言っておるよ。数珠丸恒次は顕現の再生の為に、妖威刀の力というべき錵を消費しておると。顕現を斬り裂かれて、再生に力を費やした後は、その錵の回復の為に人の心を喰わんとしてくる」
「破邪顕正の光がくるんだね」
「けどな。願いがあることを本当に求めるのなら……叶えたいと本気で欲するのならば、求め続ける意志が必要だ。お前はそれを理解しているか」
瞬間、強烈な白光が宗近と美月を照らす。
意識は、黒い何もない空間に、独り置き去りにされるイメージに捉われる。
しかし宗近は、自身の両手を――しかとその手の内を確かめる。美月を握っている感触を。
美月が共に居るという実感。
宗近は、その心強さを胸の内に拡げるとともに、ある言葉を甦らせる。
(――宗近ちゃん。受け入れるいうのは、あるがままを自分の内に在ると認めることや。せやけどな、それによって自分の在り方や、望みを必ずしも変えなくてもええんよ。自身の心の正も邪も、あるがまま自在に。刀はそうして振るえばええ)
「それが出来ないのなら、お前は早々にその願いに見切りをつけて、他の幸せを求めるべきなんだろうぜ。土台その願いを望むには、性が合わなかったということだ」
(数珠丸恒次の読心の怪異はな、元は高僧の人を救いたいという意志の、想念が定着して顕現したモノや。やから数珠丸恒次の力の真の意味は、人の心に救いを与えることなんやろうね。今は妖威刀として、歪んだ害意となってしまってはおるんやけれど、おそらくそういうことなんや)
「お前は身の内の浅く、軽い欲望を満たして日々を過ごして、そして死んでいくがいい。そういう生き方の人間なんて、ごまんといる」
息を吐き、鼓動に耳を澄ませる。自身の五体と内なる想いが、すべからく把握できる感覚。
宗近は思う。
「私の心の内の大切な人達への想いも、わだかまりも、利己心も、全部私のそのものだよ。それをあなたが諭してくれたことを、私は感謝するよ。数珠丸恒次。……あなたも私の大好きな一つの刀だね」
黒く闇深い空間が、硝子を砕いたように四散して、視界は現実の妖威刀と対峙しているカタチに戻る。
宗近の瞳は倒すべき――祓うべき妖威としてのスガタを捉える。
「けど、それでも、自己の願望を肯定して、どこまでも戦い続ける胆があるのなら。俺はお前を肯定する。『刀』 を手にする者――業遣師同士として、対等に向き合えると思う」
「――鋒周くん、私の 『答え』 を視ていてね」
愛すべき刀を破壊してでも、己の意志を示す長光。
必要とあらば、そうするくらいの覚悟が求められるのが、命を賭した業遣師としての闘い。そうして得られるであろう成果。これは宗近にも適応する事柄だ。彼女とて、避けては通れない道理だ。なのだから宗近の 『刀を大切にしたい』 という考えは、確かに甘かったのだろう。
だから――宗近にも 『覚悟』 が必要だ。
自らの願いを果たす為に。
「宗近は刀を愛しておるよ。ならばどう闘うべきかと、そりゃあ悩むところじゃろう。その甘さを乗り越えるのは、簡単な理屈ではあっても容易ではないからの」
宗近の周囲で金と銀の輝きに包まれながら、美月が澄んだ瞳でつぶやいた。
「小僧が示した意志に、自分はどう応えるべきか――宗近は迷っておったよ。そこで知らぬふりが出来ぬのが、こやつの生真面目で良いところであってな」
「魅せてみろよ。お前の 『答え』 を」
「いくよ、美月」
「阿々!」
白金の狐の化生はその身を光の粉へと転移させ、三日月宗近の太刀の刃に纏っていく。三日月の黄色い打ちのけを周囲に燦然煌々と振りまく、銀色に輝く太刀となる。
「祓いの刃――三日月宗近 『銀牙美月』」
宗近は気合と共に、宿主の構える妖威刀の実体の刀へと向かい、間合いを詰める。
彼我の距離――撃尺の間合いが接近し、互いを刃圏に捉えるべく交差しようという、その刹那。大きく、宗近は上段の太刀から真っ向の斬りおろしを繰り出した。
「なんだそりゃ⁉ 間合いが滅茶苦茶だ!」
意表を突かれ目を剥く長光。
「いや、これがいいんじゃよ。これが宗近にとって、いいんじゃあないか」
刹那の宗近と美月の間で交わされた意識は、自身のイメージの具現化であった。宗近の願いと想いを顕現し成すための、必要な 『業』 を彼女たちに顕わすイメージ。
振り下ろされた美月の刃から、錵の輝きが拡大し、刀身の刃文を増大させた。
伸びる光の刃。
そしてそのまま波動が流れ迸るように、祓いの刃を解き放った。
飛翔し――疾く駆ける輝きの祓いの刃。
光を帯びた波刃は妖威刀の太刀本体を捉えた。そして美月の錵が、数珠丸恒次の刀身に伝播し、その妖威としての魂を中和作用のように清め、鎮めていく。
奇声を発して、顕現した怪僧は光の粒子となって掻き消えていく。宿主であった小知の体も糸が切れたように地面に倒れ伏した。その手から太刀がはがれ落ちた。
静寂。
光の粉が、白と黒と、金と銀とを入り乱れさせて舞い散る。
その光景に呆気にとられながら、長光は面白そうに呟いた。
「祓いの刃を飛ばして妖威を祓うかよ。しかも波動は物理的に干渉しないで、妖威のみを斬り払いやがった。数珠丸恒次の太刀は無傷とは。どこまでも反則臭いじゃねえか……、棟角宗近……!」