「晴空繋意」 7
長光が一晩中に渡り、今回の相手である国宝級の刀を相手取ったのは、あくまでモノの流れであり、自分の仕事の範疇外であった。それで何故彼が現在闘っているのかといえば、それは偏に、彼の前に立つ一人の少女に起因する。
柔らかな性格を顕わすように優しげな瞳をして、そのくせ自分の目的に対して強さをみせる真っ直ぐさ。なのに真顕の刀のように抜き身の鋭さを獲得し、体現せしめていない未熟な業遣師。
もはやことの起こりは彼女だというのに、なぜこうも自分は尽力しているのかと、長光も自問したくなる。
しかし、それは自明の理だった。
それは彼女の意志の力を信じてみたくなったからこそ、長光自身がすすんで背負い込んだ苦労である。
長光は、棟角宗近という業遣師の真価を問うている。
同じ業遣師であればこそ――同じ 『業』 を背負い闘い生きる者であるからこそ、その正真をしっかりと見極める。でなければ、長光はまた心を割いた者に、心を裂かれる轍を踏むかもしれない。
そういう恐れからくる、慎重な人間との対し方。
ともあれ。
今となっては長光も自業自得ではあるが、しかし前日の状況を鑑みての最善でもあったので、誰を責めるべくもない。
兎に角そうしたお蔭で長光は、この宿主による数珠丸恒次と刃を交えるのも、一晩のうちに百に達する程の回数を重ねた。
互いに真顕斬刀での斬り合い。集中力も躰の緊張も当然要され、命を賭けた闘いだった。
だからこそだろう。
動き始めた妖威に追随しようとした長光の躰が、無傷ではないことが、ここに来て響いてきたのは。
気力はまだ、なんとかではあるが、闘える。そう思う。
だが、肝心の躰の方が言うことをきかない。
息を激しく吐き、身を屈め、そして膝まで着いてしまった。妖威刀からの攻撃で受けた傷が痛みを帯びるし、重ねてになるが、雨があがったとはいえ雨中を一晩耐えた躰は体力を酷く削りあげていたのだ。
刀を杖のように支えにし、倒れるのを何とか防いではいるが、長光は、もう限界が近かった。
「……くそッ ざまあねぇな。だがここで寝るわけにもいかねえか。俺も一応、業遣師だ。それに、ムネ子の手前、半端は出来ねえ……」
「じゃが長光よ、どうする気じゃ? もはやこれ以上の闘いは……」
「ああ、さすがに限界だ。だからよ、あと一撃の打ち込みで、妖威を祓ってみせるってなところだ」
優雅な着物の袖で口元を覆い、金色の瞳を細めて蒔は頷く。
「……ふむ。あの小娘には悪いが、それが最善手じゃろうな」
「接近するその際の実体刀の受け太刀は任せる。俺は破邪顕正に耐えて、カウンターで妖威刀本体に祓いの刃を見舞う」
「うむ、承知した。しくじるでないぞ、長光」
「当たり前だろう」
気力を振り絞って、長光は走り出した。そしてそのまま先行する妖威刀の宿主の前方に回り込むと、裂帛の気合で顕現している僧衣の妖威に向けて、長船の太刀による刺突を見舞う。
風穴の空いた闇色の怪僧は、霧散しかけて尚渦を巻いてカタチを成していく。そして何十回目になる破邪顕正の白光を放った。
だが長光の精神に障りはない。彼がその異常を悟ったのは、むしろ物理的な変化。
目が眩んで視えない!
蒔がその事態に気付き、長光に起こっている事態の原因を理解する。
柴山潟を往く漁船が放つ遠光が、妖威刀の背後からまるで後光のように射し、長光の網膜を焼いたのだ。
雨があがったばかりの早朝の湖面を行く漁船。
夜の闇に慣れた眼の状態に、これは見分けも対応も出来ず、長光は眼前の敵を目視できずに硬直する。そして顕現した妖威が放っていたのは黒く長い数珠。先の宗近の身と刀を拘束した攻撃。長光は為すすべなくその身を絡め取られ、縛られた。
「長光!」
蒔自身の顕現の間もなく、動きを封じられた長光に、宿主が数珠丸恒次の太刀を振りかざす。
黒い光を帯びた太刀が、長光の躰を斬り裂かんと迫った!
長光の躰に衝撃が走った。
身を縛る感覚からの離脱のあと、横から身をさらわれた様な躰が浮く感覚。次いで地面に倒れ込む。
事態に思考の理解が追いついていないながらもその身を起こして、どうにか自らの身の無事を知る。そして、徐々に回復した視力で長光は視た。
白金の獣が彼の前でふわりと宙を舞い、さらに前方で刀を手にする人物の周りを金と銀の光の粉が乱れ舞う様を。
「鏡命刀――三日月宗近 『美月』。業遣師、推参」
目を疑う気持ちもあったが、その獣――白金の狐のスガタの顕現と、学生服のスカートをはためかせ、黒い髪を光に彩られ綾なす 『彼女』 に、長光は了解する。
「……鋒周くん、遅くなってごめんなさい。私達、帰って来たよ」
長光は眼前の光りに満ちた少女と、彼女の手にする見事な太刀のスガタを確認して、口元を歪めた。
「棟角宗近ァ……!」




