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「晴空繋意」 4


        2

 槌の音が打ち鳴らされていた。

 夕刻前に始まった本阿弥の血脈、永川鳦の手による写しの太刀――三日月宗近 『美月』 の修繕は、日が沈み、夜分になっても休むことなく続けられていた。

 刀の鍛錬には本来、注連縄による場つくりと、神前での作法に準じた霊位性を以って臨む。

 もとはただの鉄の塊であるモノを、炎と槌の力によって幾重数にも打ち鍛え、形を成さしめ、刀としてのスガタを顕わしていく。

 その一連の作業は、まさしく鍛冶入魂。

 刀を造るとは、成り立ちとしての神性とともに、人の命を斬る利器としての存在の “重さ” を、刀身に刻みつける様に、彼の精神――魂を込める作業そのものなのだ。

 それはどんな刀にも共通し、また魂を持っていた刀の命を 『再生』 させる工程においても、同様に求められる儀式だ。


 今回、『美月』 は刃渡りの中腹から棟にかけて見事に分割されて、真っ二つに折れてしまった。それをもとの形に戻す作業といえば、口上では簡単である。

 しかし、刀といえど人間に例えて肉体と称するならば、傷を受けて裂傷が出来れば流血する。この場合の血液とは、美月という鏡命刀としての人格、精神を顕現させていた魂がそれにあたる。ツバメは流れ出た血に関しては、刀工の手によって出来ることは 「たかが知れている」 と宗近に述べた。だからツバメに出来るのは、肉体の傷を縫合、接合し、傷痕を繕い、より強靭な刀身へと造りあげることだ。


 長光のいる前で、ツバメはその作業に費やす時間を半日と申告した。それが正味でどのくらいの時間になるかは、実際のところはツバメにも確実には言えなかったことだろう。

 そして槌打つ響きと共に、夜の時間は深まっていく。

 宗近の作ったおにぎり (これはどうにか見れる出来栄えだったようだ) を鷹衛とともに食し、彼が宗近の膝枕で寝息を立て始めた頃。不意に耳に届いていた金を打つ音が止んだ。

静寂がおりる。

 それを受けて宗近は、ツバメの作業する工房へと向かおうとして、鷹衛を起こさないように、ゆっくりと膝からおろした。寝入りばなの彼に気を使って慎重な動作をしていると、足音に気付く。次いで部屋の扉が開いて、ツバメが顔を覗かせた。


「ツバメさん…………」


 拭ってはいても、汗にまみれていたであろう顔色のツバメを見て、宗近は言葉に詰まる。


「うん。出来は上々や。後は宗近ちゃんの役目や」


しかしそんな風に、彼女はいつもと変わらぬ優しげな眼で言うのだった。




 ツバメが提示した鏡命刀に魂を戻す術。

 それは床を共にすることであった。

 いってみたところで、現在は純然たる日本刀のスガタである美月という太刀だ。体としては添い寝に近い。だが、これを一晩に渡り行う意味は、真から男女が肉体と精神の絆を確かめ、きずき、強いモノへとする行為と同意であるとツバメは語る。

 要するにこれは、ある種のセクシャルでありながら、ミスティカルである刀顕と人間の間で交わされる儀式だ。

 それにもとより、宗近に躊躇いはない。選択の是非もない。

 大誠寺は田舎に部類される地域であり、夜は静かなものである。

 その静けさの中で、灯りをおとした永川家の閨。美月を抱いた宗近が居た。

 ――美月の事を想って、一晩を共にする。

 実際に宗近が行う作業は、それだけであり、その一点につきる。

 本来、遣い手の心を刀が感じ取り、その両者の心が同調、共鳴することで、鏡命刀の内の刀の魂は現出する。

 だから今行うべき事の肝とは、その再現である。

 宗近の心を――想いを、刀のカタチでしかない美月に伝えること。そして、美月の内の刀顕としての魂を再来させる。

 イメージとしては、具体的には宗近が普段行っていた鏡命刀の顕現。あの意識の集中――人と刀の心が鏡映しになっているイメージ――である。それを美月が再び宗近の声に応えてくれるまで、繰り返し、繰り返し時間を掛けて、想い続ける。

 これがツバメの言うには賭けである、というのは、こうすることでも必ず美月の魂が戻ってくるという保証はほとんど無い、ということに由来する。

 それでも先にも述べたように、宗近には是非もない。

 ツバメから教えられたことを反芻しながら、刀の拵えを胸の谷間と腕の中に抱く宗近。

 暗闇の中、黒いシルエットとして捉える美月のフォルムを肌で感じ取る。先刻まで炎と水とにさらされ、鍛鉄されていた残り香か、鉄の匂いがする。また微かに熱を持っているようにも感じる。

 目と鼻の先の柄頭に、宗近の吐息があたる。

 宗近の意識は次第、美月という太刀に専入していく。


(…………美月、応えてよ)

(…………今は、応えてくれないんだね…………)

(さみしいよ)

(私は、お祖父ちゃんが亡くなってから、美月だけが家族だったのに)

(さみしい……。美月がいないことが、こんなに哀しいことだったなんて、思いもしなかった)

(私は……美月に寄り掛かっていたのかな……)

(お祖父ちゃんとお父さんの名誉を回復する)

(そうしたいと言ったとき、美月は賛成してくれたね。力を貸してやる……って)

(嬉しかった)

(でも、今になって思う。私にとって、お祖父ちゃん達の名誉挽回の意味って、どういうモノだったのかって……)




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