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「晴空繋意」 2



「数珠丸恒次は破邪顕正の刀や。それが妖威刀として顕現した時の恐ろしさを、もう少し詳しく先に教えとくべきやったね」

「でもツバメさん。私は今迄も、様々な妖威刀の顕現を目にしてきましたが、あれはまったくの異質でした。異質で異的というか、目的もなく人の心をさらけ出させて、自らの錵としているような」

「妖威刀も刀やから、本筋では人の血を欲するんが常やしね。けど、知っとるやろ。数珠丸恒次はかつて、日蓮上人の手にあった時、抜かれぬままに宝刀であった。名のある僧が数珠で柄と鐔とを縛り、抜かぬことで破邪顕正の力を持った。そういう刀やから、本来の妖威刀とは異なった害意とをみせるんやとウチは解釈しとる」

「ツバメさんはあの太刀の能力も知っていたんですか? 周期的に妖威刀として顕現する、あの太刀のことを」


 雨に降られる中、宮坂の呼んだパトカーに乗って、彫金工房 『華月』 に移動した宗近とツバメ。宮坂は応援に同僚の緒垂(おたる)という警官を呼び、その警官が雨中を長光の追尾をしている。宮坂は連絡と、いざという時の待機人員である。

 濡れた服を乾燥機に入れるなどの処置を済ませた後、宗近とツバメは順番に湯浴みをした。これから刀顕鍛錬を行ううえでの斎戒沐浴である。身の清めが済んでから、服装を整える部屋で、宗近とツバメは数珠丸恒次についてを話していた。そしてツバメは宗近にとって意外な事実を告げた。


「実の話な、十二年と数か月前にあの太刀――妖威刀として顕現した数珠丸恒次を祓い鎮めたのんは、ウチなんよ」

「ツバメさんが、あの数珠丸恒次を……」

「ああ。だからあの太刀の嫌らしい力も知っとる。ウチは当時な、亡くなった旦那に横恋慕しとってなあ、けど自分じゃ涼しい顔をしとったんよ。その時に業遣師として東京に出向いて、あの太刀と対峙した。色々とまあ、見せられたわ。嫉妬心やら、欲望やら、な」


 刀鍛冶の儀礼的な白い作業衣に身を包み、たすき掛けをしながらツバメは続ける。


「正直、見とうなかったモノや。自分でも気付いておらんかった……いや、心のどこかではそういう感情もあったんやろうけれどな。それでも青天の霹靂として突き付けられた感情やいうても、もっともやったんやけれど」


 次いで宗近に襦袢を着せてやって、ツバメは申し訳なさそうな宗近に微笑む。


「でも、破邪顕正の刀とはよく言うたもんや。自分の内の(よこしま)な感情を知ることで、人はそこから一歩進めることも出来るんやから。心折れて、腐ってしまう人も確かにおりはするんやろうけれど」

「……ツバメさんは、それで恋が実ったんですか?」

「うん、まあね。せやから鷹衛がおるんやしね」


 宗近の着物の帯を整えて、ツバメはぽんぽんと叩いてみせる。

 裏事情ではあるが、かつてのツバメの功績と、現在の彼女の縁故のお蔭で、宗近は日刀會から数珠丸恒次の祓いの仕事を回してもらえたのだ。その事実から考えるに、ツバメが積極的に――今回だけのことではないのだが――宗近に助力するのは、幾ばくかの責任意識があったからかもしれない。先任者として、宗近に出来ることに十分がなかったのではないかと。

 だがそれは、ツバメの気持ちを真から表してはいない。


「……宗近ちゃん、そういえば江戸の泰平が好きと言うとったな」


 突然なんだろう、と宗近は着物の胸元を少し緩くしながら応じる。


「教えてやろうか? 江戸の時代も多々あった、陰惨な流血事件の数々を。まあ、それを詳しく話しとる暇はないから、要の事だけ言うとな、泰平の世であっても、人が生きていればそういうことがある、いうことや。何故か解る?」

「いえ……」

「そうか。……それはな、だって人が生きるいうのはそういう事やからや。人は望み、願う生き物やから。そしてそれが明るく、誰かに優しいモノの時もあれば、人や周囲に対して暗く、冷たく、害を為す意思であることもままなんや」


 けど、肝心なことがある。とツバメは滔々と語る。


「それでも人は自分の為に、誰かの為にと欲し、願い、望み、その意思に則って行動する。そして叶え、成すんや。そこに甘えた気持ちも、理屈も介在する余地はないよ。自分が何を知って、何に幻滅して、何に痛んで、何に傷ついたとしても、本当にあんたの気持ちがそれを向いて、成したいと、叶えたいと思うのなら……戦わなければいけない、ということや」

「…………………」

「宗近ちゃん、ウチはな、あんたが願いを持っとっても、あんたにも別の生き方はあると、そんな余計な心配をいつもしとってな。若いんやから、他にしたいこと仰山あって普通やしね」


 しとしと雨音のする表を見遣りながら、ツバメは語る。宗近の顔は視ずに、耳に入ればいいという、この節はある種独白めいていた。


「だって、いくら大切な人の為と言って、その名誉を取り戻したいと願っての行動にしてもや、それはもう居ない人のことやないの。その為に自分を危険にさらし続ける想いとは……意志とはな、本当の話、自分の為にしているという事に他ならないんよ」

「…………はい。あの妖威刀も、それを見せてきました……」

「ただ、それが悪い事とは言わない。けれど宗近ちゃんはな、もう少し自分のことに目を向けてみることも必要やと思うんや。忠義献身は確かに尊いのやけれど、自分を置き去りにした願いは、きっと叶ったとしても何かを傷つけとる。果たせなかった時に、他人を言い訳の的にするのに通じてな」


 だから――とツバメは宗近に微笑みかける。


「宗近ちゃんが自分のことをしっかり見て、それでも尚、自分の願いに至誠を持ちたいというんなら、ウチは宗近ちゃんの応援をするよ。がんばりい。……それでな」


 不安気に胸に手をあてる宗近の、その手を自分の両手で包んで、ツバメはゆっくりと、そしてしっかりと告げた。


「その為に必要なのは、勇気や。そしてその勇気で以って信念を介けていくこと。そうすれば宗近ちゃんの想いは、きっとどこかに辿り着く。これは色々な先輩としての助言や」


 こくり、と宗近は頷く。まだ瞳の彩には戸惑いがあったかもしれない。だが、立ち止まっている訳にはいかない、と、宗近は 『勇気』 という言葉を反芻する。


「お母さ――んっ! 鍛冶場の準備、終わったよ! 準備オッケーだよっ」

突然に着替えの一室の扉を開けて、元気に顔を出したのは鷹衛だった。彼の言葉に、ツバメは優しく息子の頭を撫でてやり、頷いて返す。

「ありがとうな、鷹衛。ほな、これで早速作業を開始と行きますかね。二人とも、そこで待っとき」


 颯爽と立つツバメに、鷹衛が快哉を叫んだ。


「おおっ! お母さん、やっぱりカッコいいっ 宗近、お母さんに任せておけば、もう大丈夫だからな。えっへん」

自慢気な鷹衛の頭を宗近も撫でてやり、微笑みで返した。

「そうだね。ありがとう、鷹衛くん」




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