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「妖雲邂刀」 3


「先輩……、あれってやったんですか? 妖威刀を祓ったということですよね?」


 感極まった眼で小知が宮坂の袖を掴む。それを払いのけながら、宮坂は宗近と伏した男を見遣り言う。


「どうやらそのようだな。では小知、俺達の仕事を始めるぞ。まずは被害者の身の確保だ。一応気を抜くなよ」


 「了解です」 と駆け出す小知と、宗近のもとへ向かう宮坂。


「お疲れ様です、棟角さん。相変わらず見事な手際ですね。今回も取り憑かれた被害者は、無傷で確保できたようです」


 これが平時の彼女なのだろう、優しげな瞳でやんわりと喋る。


「はい。けれど、堅気の方々に害が出ないのが最上でしたよね。妖威刀に乗っ取られた時点で、もう被害は出ている様なモノではあるのが悔やまれます」

「だが、あなたのしたことは評価されることです。きっとお祖父様方もご覧になっていることでしょう」


 宮坂の言葉に対してどこか俯くように頷くが、しかしすぐに宗近は明るい笑みを浮かべて顔をあげる。


「あの、宮坂さん。問題の刀の検分をしてもいいでしょうか。やっぱり刀を傷つけていないかは、どうしても気になってしまうのです」

「やれやれ、やっぱりそれか。ホンにお前は好きじゃのう」


 腰元から響く声に宗近は顔を朱にする。それを宮坂は笑ってながすので、彼女は踵を返して被害者のもとへ歩き出した。若干早足でのその最中、美月を左手で叩くことも忘れない。


「あ、棟角さん。この刀、鞘は追跡中に確保したんですが、ここには持ってきていないんですよね。取り敢えず刀身は毛布にでも包んで搬送しましょうか?」


 先程の緊迫感などとうに忘れた、という軽い口調の小知の言葉に、「刀も被害者ですから丁重に」 と宗近は微笑む。


「……でもこの男、意識がないくせに、手の筋肉が強張りすぎて、なかなか刀を引きはがせないんですよね」


 見ると確かに男は、倒れながら未だに妖威の刀を手放していない。その黒い刀身を視て、宗近は悟る。刀本来の刃中の働きに戻っていないことを。無意識に左手が太刀の鯉口に伸びる。


「宗近! まだ奴は“錵”の残滓があるぞっ」


 僅かの間も開けずに発せられた美月の声に、振り返る小知。宗近は咄嗟に彼に腕を突き伸ばし、その身を押しのけた。


「気をつけいっ 宗近!」


 注意を促す声に、妖威刀の方向を視ると、刀を手にした男が跳ね起きるところだった。その動きは関節と筋肉を正しく運用したそれではない、足首からバネが利いたような異様な動きで、まさしく跳ね起きた。

 そして黒い光の揺らめく刀を大上段に構え、膝と上体を崩したままの宗近に向かって兇刃を振り下ろした!

 手を伸ばし駆け付けようとする宮坂と、首を動かして妖威の刀が宗近に迫るのを視るしかない小知。宗近の抜刀も間に合いそうにない。


 抜き差しならぬ――絶体絶命!


 宗近の目の前で、夕闇の濃い影を散らす火花が起こった。

 振りかざされる、鞘に収まった太刀。

 長身の人間の影に視界を遮られ、しかし宗近は迫りくる妖威刀の刃から護られたことを知る。

 影の主は手にした太刀を振り上げ、敵の刀を弾き返した。そして足位置を整えて臨戦の構えをとるその人物は、一人の少年だった。

 その秀麗な横顔に、宗近は状況を瞬時に忘我し見入ってしまう。


「宗近、馬鹿者! なにをしとる、抜けっ」


 美月の喝に宗近は我に返ると、すらりと抜刀し意識を共鳴させる。

 刀身に刃紋の光と、三日月の打ちのけを発現させた美月が言った。


「どうやら、いつものお前さんの悪いところが出てしまったようじゃな。妖威刀とはいえ 『刀』 を傷つける事を由とせん故に、止めの祓いの一撃に勢いが欠ける」

「ごめんなさい」

「ふん。今は悔いるのは後じゃな。幸い奴の錵はもう僅かしか感じられん。妖威が顕現することはないじゃろうから、基本の刀技で鎮められるじゃろう」


 宗近は頷くと、傍らに立つ少年を見遣る。


「助かりました。けれど今は、あの刀を鎮めることを優先させてもらいます」


 それを聞くと少年はあっさりと横にそれて、宗近の脇を通り過ぎて行こうとする。そして顎で妖威刀の方を示して瞳を伏せた。


「宗近、ケーサツの男がやばそうじゃぞ」


 小知が腰を抜かしたまま後ずさりして逃げているのに対して、妖威刀に憑かれた男が斬り掛かろうとしている。

 宗近は迅速の足捌きで間合いを詰めると、妖威刀に美月の一太刀を、今度こそしかと打ち込んだ。

 鏡命刀の錵が光をともなって伝播すると、今度こそ妖威刀の魂を打ち祓うことができたのだろう。陀羅尼勝家はその刀身の鈍く黒い光を、まるで霞が晴れるように雲散霧消させていった。

再度倒れ伏し、今度は刀を握る手の力も抜けて、手の内から刀本体が離れおちた。


「ふむ。これで確実に妖威の錵は消えたようじゃ。宗近、すまんな。ワシが鼻を欺かれたのも打ち損じの故じゃ」


 だが美月のそんなフォローの言葉にも、相方の宗近は反応を示さない。事態が収束して、どうにか怪我人を出さずに済んだことを確認でもしているのか、首をしきりに周囲に巡らせている。


「なんじゃ、他の奴らの心配か?」


 多少呆れの色を滲ませた声で美月が言うと、しかし宗近は、美月を握った右手を自らの胸に押し当て、心許なげな貌をつくって呟いた。


「さっきのあの人がいない……」


 受令機を使って宮坂巡査長が、署に状況終了の連絡を取っている。

 どうにか震える足を叩いて立ち上がった小知が、意識のない被害者の男に声を掛けている。


(しかし、あの刀は…………)


 ふと美月が疑問に思う意が伝わってきた。

 雲の包む陽ももう沈み切る寸前、明かりを灯した街灯の光が、陀羅尼勝家の刃中に反射して、日本刀本来の煌めきを魅せていた。だが一つの妖威が祓われた後にも関わらず、梅雨の加賀裾に吹く冷めた風は一向にその温度を変えない。その風に遊ばれる黒髪を手で押さえて、宗近は遠く暗い空の彼方に(のぞ)む白山の影を漠と見つめたのだった。




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