「数珠丸恒次」 8
爆音とともに、風の様に一台のバイクが彼の傍らに走り来て、停車した。一般車であるのに着脱式のパトライトを付けている。
「あ? あんた、大誠寺署の……宮坂さんといったか」
「ああ。君があの妖威刀を引き付けておいてくれたとは、ありがたい。今、棟角さんを連れてきた。二人でどうにか場を収めてもらえると助かる」
「…………ムネ子、お前なにニケツしてんだよ」
長光が後部座席からよろよろと降りる宗近に目を留めて言ったが、彼女はどうやら初バイクの衝撃で眼が回っていた。
「はわわ……バイク……、こわたのしい…………」
ヘルメットを取るとぷるぷると体を震わせ、それでも条件反射のように髪が乱れたのを整えながら、宗近はうめくように呟いた。
「じゃないじゃろう、宗近! しっかりせい」
美月が携帯電話のバイブレーション並に手の内で震えるので、宗近はどうにか気を取り直した。
「あ……! 目標は? 数珠丸恒次は? っていうか、鋒周くん、どうしてここに……」
「ちっ すっとぼけたこと言ってやがるよ」
口元を不機嫌に歪める長光の手の内で、蒔が共振する。それに呼応して美月も震えて、そして宗近に告げる。
「現状は伝え聴いた。宗近よ、鏡命せい。あの妖威刀を攻める手筈を、お前の意識に通わす」
「う……、うん」
鏡命刀同士が共振することで、互いの情報を遣り取りし、片方が受け取ったそれを鏡命者に意識で伝え教えるのか。
(そんなことも出来るのか……。便利だな)
宮坂が聡明に分析し、脇でそう思う間にも、宗近は凛音一閃。美月を抜き放ち、一心に鏡命刀と意識を映していく。刀身が光を放ち、美しい刃文と煌めく三日月の打ちのけを浮かび上がらせた。
「鏡命刀――三日月宗近 『美月』、推参!」
彼我の距離に現在、人はいない。刀を抱き歩く異様な男と、倒れ伏した一般人を目にして、賢明に離れて行ったのだろう。彼らの周囲には、局地的な淑寂圏が出来上がっていた。
「ムネ子。これは本来お前の受け持ちだ。だからお前がなんとかしろ」
「わかっているよ、鋒周くん」
「宗近、狙うのは鍔元の数珠じゃ」
「吽!」
足捌きで間合いを詰めると、妖威刀に憑かれた宿主を正面から捉え、太刀合いの構えで対峙する。
「小知さん……? 数珠丸恒次に取り憑かれたのは、新米の小知さんだったんだ」
対峙した宿主の顔を見て、宗近は悟る。
「どうする宗近。今回は妖威の顕現した刃はない。直接小手打ちでも見舞ってみるかのう」
「そうだね、ひとついきますか」
一拍の呼吸と踏み込みで、、宗近は石火の打ち込みを繰り出す。
その手元を狙った正の太刀は、浮かびあがった数珠に吸い込まれるように斬り込まれた。瞬間、美月の祓いの光が煌めき、妖威刀の黒い数珠を四散させた。
「やった……のか?」
様子を固唾を呑んで見守る宮坂が問う。それに長光が首を振って応えた。
「いや、聞こえないか、あの妖威刀の囁きが」
暗い洞の底から呻き囁くような、しかし確とした意志の在る様な声が、周囲にこだましている。
「人は迷い、悩み、答えを求めている。お前のそれは何だ。お前のそれを教えてやろう。その目に知らしめてやろう……!」
刹那、妖威刀が奇音を発し、美月は数珠丸恒次の錵が増大し、強大化していくのを感知する。
「さがれ宗近。どうやら奴さんの本領発揮はこれからのようじゃぞ……」
辺りにばらまかれ反響する奇怪音が、建物のガラス窓を割り、宗近と長光、宮坂の神経に刺さるように響き、渦巻き、高まり、周囲の空気を重く、昏く反転させていく。
先程まで平穏な夕刻前だった大誠寺市内の一点を中心に、暗雲が引き寄せられ、その空は蛇がとぐろを巻いているかのようにぐるぐると黒い渦をつくり、闇を拡げていく。
やがてその局地に、スポットライトが降りたように数珠丸恒次は白光を発し、顕現した。
それは法衣。
古くから仏教僧が身に纏う褊衫と袈裟の如法衣。色は壊色に黒い光のもやがかかって見える。そして数珠を手に、その僧の顔は髑髏のように痩せ枯れた肉を纏っている。何よりも奇異で眼を引くのはその眼球で、虚のように暗く、昏い黒色。闇を煮詰めて、混濁をかけ合わせたかの如くの暗闇色。
その暗黒が刹那、白い光を周囲に放った。
閃光。稲光。カメラのフラッシュ。とにかく人の目に焼付くような光を宗近に浴びせ、網膜を焦がした。
「これは…………!」
美月がその刀身の光を明滅させて、宗近の意識を思い遣る。
彼女は瞳を見開き、苦悶に歯を食いしばらせ、そして叫んだ。叫んでいた。
「……いやぁ!! みないでえぇぇぇえええええぇぇえええッ!!」