「数珠丸恒次」 4
「やれやれ。仲睦まじいのう、お主ら」
突然、和穂の耳にこの場にいないはずの男性らしき者の声が聞こえてきて、彼女はびくりと身を撥ねさせる。
「うわっ⁉ 誰? ってか聴いたことある声だけど」
「ああ、うん。私の刀だよ、エリちゃん」
「宗近ちゃん、鏡命刀のことも話してしまうん?」
「はい。別に普段の美月は、周りから見てしゃべる刀ではないし、黙っていればそれまでなんですけれど、ついでですから」
宗近の膝の上に据え置かれた、青みを帯びた黒漆塗りの鞘と黄色糸巻の拵えの太刀。それを軽く半ばまで刀身を抜くと、やがて煌めきだす刀から男の化生が顕現した。
「このスガタでは初めましてかのう。樺衿角の嬢や。いつも宗近が世話になっておるのを、傍で見て感謝しておったよ」
薄い光を帯びた肌に、白く長い髪。額に三日月の痣のある見目麗しい男性に、和穂は挨拶もせずに目を輝かせる。
「…………やっばい、ムネちゃん。この人なんか、エロ兄貴感が満々でめちゃ好みなんですけど」
「ほほう。和穂はなかなか良い趣味をしておるのお」
「ちょっと、エリちゃん! 美月も何言ってるの、もう!」
「あらあら。鏡命刀とツーショット写メを撮る女子高生とか、和穂ちゃんはスペック高いねえ」
和穂が横ピースで美月と腕を組んで、自撮りをしている。
「あー♪ ほくほくですっ!」
どこか顔をテカテカさせて、和穂がスマホに頬ずりをしている。そして、
「理屈はさておき、美形というのは魔力だねえ、ムネちゃん!」
とサムズアップをしてみせる。
どうやら妖威刀に続いて鏡命刀も顕現を目にすることになっても、和穂は和穂で何も変わらないようである。そのことに、宗近は自然と笑いが込みあげてきた。
「……ふふっ もう、エリちゃんはエリちゃんだなあ」
「何それ。でもムネちゃん、何か久しぶりに笑ってる顔がみれたよ」
「そうだっけ?」
微笑ましい女子二人を、ツバメと美月が見遣っている。髪を掻き上げながら、美月がぼやくように言った。
「ふむ。ワシが元気づけようとしても、然程うまくいかんかったのじゃが。やはり人の繋がりとは計り知れんモノじゃのう、ツバメ」
「そやね。宗近ちゃんはこれなら、これからも戦えるやろう。私から折り紙付けたるよ。さて」
と手を叩き、ツバメは場を改める様に言う。
「宗近ちゃん、例の話やけどね。しても大丈夫かしら? あれはもう明後日には、予定通りに大誠寺署からウチに搬入される手筈なんやけど」
宗近が美月に目を遣って、そして頷き合う。そしてツバメを向くと静かに首肯した。
「国宝――『数珠丸恒次』 の祓い、ですね。……やります」
「まさかあの、国宝の太刀、数珠丸恒次がこんな田舎に持ってこられるなんて。しかもその管理に携われるとは、これは刀顕管理課に配属になって早速ラッキーだったなァ」
大誠寺署の一室で、重々しく、そして堅牢な――まるで棺のような装飾箱に納まっている、それ。今回の刀顕管理課の事案、問題の太刀を見ながら小知は独り言ちた。手には彼の部署でなくとも、警察関係者がよく使用している白い手袋をしている。
しかし特に刀顕を検める作業の予定も、指示も彼にはない。
都心から運搬されてきた名のある逸品を、所定の手続きが済むまでと、定日時まで保管する目的で、先輩の巡査部長である宮坂とともにこの一室に運びこんだ。繰り返し述べるのなら、刀顕を……その刀身を視て、検めるという指示はなく、彼のこの際の職務は運搬と保管だけである。
だからこの時宮坂が先んじて退室し、小知一人で彼の国宝と一対一で在ることになって、彼がどういう気持ちを持ったかなどは、まったくの職務外のことである。
小知は幼い頃から、時代劇やアトラクションにおける殺陣が好きだった。親子で共に遊びに行った百万国時代村のアクション舞台などには、子供時代も助けて興奮も覚えた。そしてそこから発展して、刀顕に関しての趣味探究を個人的に行っているような人間でもあった。
で、あるから、そんな彼が真顕の刀を、それも国宝にあたる高名な太刀をその手に取り、その高貴な刃文と妙味溢れる刃中の働きを直に自分の目で鑑賞したい、という欲求にかられても、本来疑問を挟む余地はないかもしれない。
だがこの場合に本来でないというのは何かと言えば、それは彼にも職務上の立場があり、公明正大な警官たろうとするのならば、そうした行動に出ることは絶無の奇行である筈だということだろう。
重ねて言うのであれば、本来ならあり得ない事であった。彼が職務以上の行動に出ることも、その動機がこれから起こすことに対しても。
だから、棺の如き箱から太刀を手に取って、その重量感を楽しもうとだけ思ったのだと――ちょっとした稚気だったのだというのが、これこそ本来の解釈なのだろう。
しかし、手にした太刀――数珠丸恒次は彼、小知堅の心の奥を見透かしたかのように誘い、引っ張り込む言葉を響かせ、彼の心に浸透させた。
「人は迷い、悩み、答えと救いを求めている。主のそれを教えてやろう。その目に知らしめてやろう」
(何だ……? これ、は……。この 『声』 は……?)
そう思う暇もなく、身心に響きわたる 『声』 に、小知は呼応するように手を、腕を動かし、数珠丸恒次の刃を抜き視ていた。
「お前は我が視たいか。ならば存分に魅せてやろう。お前に救いをくれてやろう」
刀身の黒い光が靄の様に拡がり、小知の腕から躰へと伝わっていく。彼は声をあげることもなくその闇に呑まれ、魅せられた。