「数珠丸恒次」 3
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「…………という訳なんだよ」
「そっかあ。ムネちゃんはそんなお仕事をしてたんだね。それで常在任務的にいつも刀を持ち歩いていた訳だ」
「……うん。ごめんね。付き合いもそれなりになるのに、結構長い間何も言わなくて」
「うん、まあ秘密は嫌だけどさ。ムネちゃんのそれは、出来れば伏せておくことだよ。あの時ムネちゃんが 「関わらない方がいい」 って言たのも、今迄黙っていたのも、むしろ当たり前っていうか」
あの日、宗近が大般若長光の本体を追って、狂乱を脱した学生たちのいる一室を出た後。和穂は無事だった者達を説き伏せ、先程の超現象的なパニックを口外しない、ということを共通見解とした。
能面が宙を舞い、醜い形相に変容した隣人が発狂したという “あれ” を、例えこの施設の人間や、学校の教師たちに事情を説明したとしても、大方信じては貰えない。あの幽玄で彩られた怪異的な時間を。
だから、あれは夢幻だったんだよ――と、能面怪異に取り憑かれた生徒にも、それに襲われた生徒にも同様に、そう解釈して納得してもらうことにした。憶えていても、それでどうなるという訳でもなく、只の恐怖の体験なら、悪夢の片鱗として忘れた方が幸せであると、和穂はそう気を回して、皆を説き伏せた。
ただそれでも、 『現在』 であったことは拭えはしないのだけれど。
無論それは、先だって迅速にこの場の超常の存在を鎮めて見せた、彼女の友人であるところの棟角宗近を信じたからこその判断でもあった。
真面目で、凛とした姿勢と佇まいを持ちながら、穏やかな友人。けれど、現代の日常に不要なモノである筈の 『刀』 を手にする彼女には、何かがあるのだろうとは、和穂も思っていた。それが何かは、宗近も胸襟を開いて話してはくれなかったので、分からなかったけれど。
それでも駆けて行った転校生、鋒周長光が叫んでいた 『仕事』 という単語の意味を考えると、少なくともこの異常事態が、友人たちのフィールドの事柄である、ということが和穂にもなんとなく察せられたのだ。
だから、これは信頼だ。
時に人には、自分に余ることを近しい人に助力を頼り、委ねることも大切だ。
和穂は幼い頃に病気がちだった経験から、それが一方的にならないように、現在は出来うる限りに誰かに手を貸すことを望む子なのだ。その和穂が、今回の怪異的事件は宗近たちの領分であると見做したが故の、口外無用の周知。あの場に居た者たちにも、自分にも。
「そやね。妖威刀の引き起こす怪異や、人に及ぼす実害いうのんは、程度によっては命の危険にも及ぶ場合があるさかい。関わらん方がええゆうのは、業遣師とその元締めの日刀會にしても共通の了解事やしね」
冷茶を宗近と和穂とに渡しながら、ツバメがこともなげに言う。
それはそうだろう――。
しかしもう関わって、知ってしまった人間…… 『現在』 になってしまった人間に対してどう言ったところで、また言わなかった処で詮もないし、慰めにも補いにも価値を発揮しない。刀の扱いも出来なければ、妖威と戦う術も持たない彼らには、そもそもどうにかできる事柄ではないのだ。
それでも宗近が、こうして 『華月』 の場を借りて、巻き込んでしまった友人である樺衿角和穂に対して、自分の置かれる職場と、その超常の敵について語ったのは何故だったのか。
こうなってしまえば、ある程度の理解と知識を共有して、和穂のような関わってしまった人間の今後の危険を、少しでも減らすことくらいしか、もとより本来宗近たちに出来ることはない。妖威自体はそこに在って、人の世と交わる異事なだけで、過去の人間に責任を追及できない以上、誰の責任でもない面もあるのだから。勿論、だからこそ夢幻の出来事と認識させて、忘れさせるのも間違ってはいない。
それを永川鳦――自身も業遣師であり、また前線の現場働きである宗近の、数少ない理解者にして協力者――本阿弥家の末裔であり、刀顕界に関わり深い彼女のもとで申し開きをしたのは、宗近にとって負荷の少ない好手であっただろう。
江沼神社での大般若長光の一件以来、刀の手入れにツバメのもとを訪れても、気合というか、もはや宗近は生気に欠けていた。そんな彼女に、自分の所で友達に事情を説明してはどうか、と持ち掛けたのはツバメである。
土曜日の部活動を行わない休日としての時間。宗近とともに彫金工房 『華月』 に和穂がいるのには、そうした経緯があった。
昨日。払暁の中、長光の過去と彼の意志、その目的を美月より聞かされた宗近。
得心いくこともあり、肯定できる故もあり。また共感を受ける部分もあり。彼の悲壮を解って――判って――分かって。その気持ちで切なく悼み、涙をながした宗近。
泣いて、すっきりした。というわけでもない。
けれども、彼に目的とそれを為す意志があるように、自分にもまたそうしたモノが決然として在る。
祖父と父の名誉を取り戻す。
そのために業遣師として妖威刀を祓い、日刀會に貢献する。
行きつく先は、長光とは当然に違うだろう。その手段における実際行動――祓いのカタチも、宗近は長光とは反する姿勢と価値理念を持っている。それだけではないが、それだけでもこの事実は二人を別つ大きな分水嶺であり、また業遣しとしての意義も変えるのだ。
同じ 『刀』 に心を映した者でありながら、こうも異なるスガタと道を征く。そのことに宗近は、幾ばくかの思う処が胸にある。
だが、それでも。
互いに反目し、対立し、相容れない闘いの途であったとしても、自分が自分の歩みを止める理由にはならない。
そう在ってはいけないのだ。
それは甚だ仰々しくも、行き違った勘違いに根付くからだ。取り違って、履き違えるに他ならないからだ。また現実問題として、そう在っては、自分の意志も願いもカタチを失い、宗近が祖父たち――正峰と父、要慥や祖母たち、そして離れて暮らす母への――大切な想いを意味のないモノにする愚挙にほかならない。
だから宗近は、歩みを止めまいと、自らの身と心に鞭を打つ。
辛く、痛く、哀しいけれど、長光という少年が……自分と同じくらいに刀と心を通わせた者が……その意味に反して刀を破壊するという 『業』 ――それを思うことで、歯を食いしばるように。宗近には、とても心を斬りつけるような感覚を刻んだことではあるけれども、それでも、立ち止まるまいと思った。
だから始めとして、自分の意志表明として、手を着けられずにいた友人への説明から、宗近はまずは踏み出すことにしたのだ。この踏み込みは、ツバメに背中を押されたモノではあったけれど。
「それにしても、ハードな人生を送っているね、ホントに。あ、冷茶美味しいです」
「ほんになあ。難儀なことを抱えこまんでも、人は生きていけるにしても、心に重いモノ背負っている、ままならんモノやねえ。京都のええお茶なんよ」
「そうだね。鋒周くんは普通じゃないから。だからあんな風に、人と積極的に交わらないようにしているのかな、やっぱり……。お茶美味しい……」
うつむき加減の宗近を視て、和穂とツバメは顔を見合わせる。
「いや、それももっともかもだけれどさ、ムネちゃんもだよ。ムネちゃんも普通じゃないと言ってはばかりない、ハードで見てられない生き方をしてきているよ」
和穂の言葉が幾らか寝耳に水だったのか、宗近は顔をあげると首を傾げる。
「私…………? そうかな、私は普通だと思うけれど……」
「何言ってんの、ムネちゃん!」
和穂は身を乗り出して、大きく口を開く。
「モノ心つく前にお父さんが亡くなって、家族で一緒だったお祖父ちゃんも小学校に入る頃に亡くなって、それからずっと一人で暮らしてきて、武道の稽古や家の手入れに学校やらしながら、業遣師の仕事も中学二年からこなして来て、それで私らがひーひー言ってる学校の成績も平均水準をキープとか! どんだけ頑張ってるのよ! どんだけ苦労しているのよ! あんたはもう、可愛いな! かわいいかわいい苦労人だよ、ムネちゃんは! それで普通だなんて言って痛くないふりするなんてね、私は認めないよ!」
ひと息にまくし立てる和穂に、宗近は受け太刀も出来ずに直打ち面一本を喰らったような、驚いた顔をする。
どうにも友情がほとばしってしまい、セーブが利かない和穂に、それでも宗近は感じ入る気持ちが自然に湧いてきて、けれども和穂に素直に抱き着いて泣いてしまっていいものかと、生真面目に思考する。
「まあ和穂ちゃん、そうたぎりなさらんと。宗近ちゃんが自分を普通言うのんはね、おそらく自分の大切な人達への想いとか、そういうのを言うとるんやないかと思うんよ。ね、宗近ちゃん」
こくり、と頷く宗近に、和穂はぶはーっ と大きく息をつく。
「はぁ~~っ そっか。何か悔しいな。私はムネちゃんとは高校からの付き合いだけれどさ、少しは理解できているって感じていたのよ。けど、私は何にもムネちゃんのことを分かってはいないみたいで、申し訳なくなるよ」
「いいんだよエリちゃん。私は今日、こうして全部話せたことで、エリちゃんとの間合いが自在になったみたいな気分だから」
「? 間合いが自在って……? どういう意味?」
「踏み入らせても平気、いう意味合いやよね」
またこくり、と頷く宗近。そんな彼女に、
「へへっ。そっか、嬉しいなっ 正直に」
と和穂はにんまりと会心の笑みで返した。




