第三章 「数珠丸恒次」 1
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鋒周長光という人物について思う。
突然の介入。手助け。蒔地の太刀の男。不明瞭な出逢い。転校生。再会と交流。美形。端正な顔立ち。クラスの女子の憧れを集める。しかし口を開けば粗暴。荒々しい態度。魅力とは別に、自身が他人を寄せ付けない。または寄せ付けまいとしているかのような態度。佩刀している。ぶっきら棒。辛辣なモノ言い。手厳しい。人に邪険な態度。表情を変えない。感情が読めない。総じてよく解らない。けれど子供には優しい? 誰にでも邪険ではない? 人を認めるのにハードルがある? 小馬鹿にするのは、何を見ているのか? ひねくれているのかもしれない。 素直ではない。 人と仲良く出来ない訳ではないのだから。刀技は実直。剛であり正を積む。武道に対しての姿勢は真っ直ぐだ。しかし攻撃的な色が強い。強さ。放課後。宣言。刀の錵。業遣師。備前伝。鏡命刀 『蒔』。彼も鏡命した者。刀に対する想いがある。愛着。信頼。畏敬。憧れ。精神の延長。自己の体現。顕現と響振の実体。業遣師であるのならば。
(でも。それでも、彼は、刀を破壊した…………)
暗雲が立ち込める空を照らすが如き、青紫の光。
至疾の突きが大般若長光を捉え、そしてその刀身に荷重と負荷とを与え、重ね、増し加えられて亀裂が生じた刃は、苛烈な突撃の衝波に耐えかねた。そしてその身を四散し、破壊され、鉄片へと損じ失わされた。
妖威刀、ではあった。
人に害を及ぼし、傷害を広める存在だ。それは……その最たる魂は祓い鎮めなければならない。妖威刀自身が、歴史的に価値のある存在であったとしても、妖威としての魂がわだかまったままでは、本来の刀顕としての存在を世間は、そして日刀會も認めはしない。だからこそ、妖威刀は正しいスガタへと処理する過程が必要である。
ならば、業遣師としての鋒周長光のとった行動は、必ずしも間違っていないのではないか。
彼の闘い方が辿り着いた結果は、その結果としてだけではないが、来歴のある刀を無残に砕いた。刀顕は魂が宿らない刃であると、本来の美しい煌めきを顕わさない。それは好事家のみならず、刀を振るう武術修行者全般にも通底する常識だ。刀は遣い手の魂もさることながら、刀自身の内の魂に準ずるモノがあり、それが損なわれては存在自体の価値と、光の大半を失う。
長光が砕いた大般若長光の写しの太刀も、刀顕としてはもう、死んだも同然だろう。
しかし、それでも彼のとった行動は、迅速で確実なモノであり、妖威刀事件に常に付きまとう人身被害を最小限に抑える結果を叩き出した。おそらくそれが、彼が業遣師を続けていられる根拠なのだろう。その手腕と方法が、彼の性格の一面の顕現のように、粗にして剛そのものであっても、般若の如き悪辣にして辛辣な意見で、刀に対するあらゆる人の想いを無為においやる破壊を常としていたとしても。
「壊し屋……。彼はそう呼ばれとるんやよ」
そう、耳にした。
「でもどうして! 鋒周くん! あなた程の腕なら、刀を執拗に打たなくても、妖威だけを祓うことも出来たはずなのに!」
立ち込める黒い雲。空気さえもが重い雰囲気を張り巡らせる。そんな空の下で、宗近は目の前の男、長光に叫んでいた。その表情は普段の穏やかな彼女を知る者が、痛ましく思う程に哀しみと苦痛に歪み、困惑と失望の彩が濃くにじんだ瞳からは、今にも大粒の涙が零れそうだった。
それを堪えているのは、宗近の気持ちだったのかもしれない。
長光に対して、理解してみようという想い。理解できるかもしれないと思っていた心。同じ業遣師として、その業前においても認められ、人としても少しでも同じ目線で居て、付き合えたらと。そう願う、長光への距離と向き合い方を想った、宗近らしい、優しい気持ち。
長光は必ずしも悪くないし、酷い人間ではない。それを端的に知ったからこそ、彼女の胸にそういう気持ちが在るのだし、幾度となく気持ちを逆撫でされた相手であっても、それは必ずしも理解と和解への絶対的な隔たりではない。そう考えて、彼を見始めていたのに……。
無残に。――哀れに。
もはや魂の抜けた遺骸となった鉄片としての刀に、宗近は瞳を奪われて。奪われて。奪われてしまって。
長光が血振りをして、蒔が鞘へと変じるさまも、美月が静かに震えているのにも。一切が空虚のように。精神が軋んで、霞んで、歪んでしまって、気に止まるべくを気に止まっていなかった。ただ、苦しくて、心哀しい想いで。大般若長光。写しであったとはいえ。歴史のある。名もある刀が。哀切と憐憫に満ちて、どうしようもなく、可哀想だった。
錵の気配も、刀としての煌めきも。その美しい太刀姿も。一切が砕かれ、蹂躙され、破壊されたスガタ。その様に、叫ばずにはいられなかった。怒りと、恨みと、怨嗟と、哀しみと、痛みと。それらをない交ぜに、奔流の如く含んだ叫び声を、長光に向けずにはいられなかった。
「…………どうしてッ どうしてこんな事が出来るの! 非道いよ、非道すぎるよっ!」
自らの刀を握る力が、あらんばかりに強さを増し、拵えを震わせる。見かねて美月は声を掛けた。
「宗近、あの小僧はの……」
「お前は甘いな…………」
と長光は冷たく、よく透る声で、精一杯の自分への敵意を向ける少女へと、言った。
「妖威刀は人に害なすモノだ。人にとって危険なモノだ。妖威が顕現するたびに取り憑かれた者や周囲の人間は、その邪な刃によって不幸に遭う。それで身と心に痛みを負った人間は数知れねえ。だがそれであるにも拘わらず、妖威が祓われた刀顕は、めでたく美術品として価値あるモノになるなんてな。それは日刀會の都合でしかない。それで救われる人が居るとでも思うのか。傷ついた人間の哀しみや苦しみが、それで癒えると思うのか。晴れるとでも思うのか?」
「だからって、こんなのないよ! 悪いのは刀に宿った負の念だけだよ。それが祓われたら、刀にそれ以上の責は無い筈だよ!」
刀は人によって振るわれ、扱われるモノならば、人に害を為す危険物としてあるのも、また人の心の在り方の結果。命を殺す利器であるのも、また人の心次第。
だが。
「そうだったところで、ならば、憎しみはどこに行く? 哀しみはどう癒す? 失くなったモノはどうやって取り戻す?」
静かだった――長光は。
冴えた顔立ちに感情の彩はない。それはまるで、さながら能の面の無機質さの様に。
「知っているぞ、棟角宗近。三条の末裔としてだけではない、お前の一族の事をな。祖母と父が妖威刀に傷を負わされ、あるいは刃にかかって死んでいる。お前もまた傷と痛みを妖威刀から受けた人間であるのだとな。それで何故そんなことが言える。
刀を大切にする想い? 人を傷つけず護る? あいつら妖威刀とそれを携える者どもに情けをかけて何になる。あいつらはクソもいいとこの、この世の掃き溜めの汚物そのモノだ。斬り截ち、砕いて、四散せしめて尚、微塵に砕きつくして、元の砂鉄にまで還してやらにゃ、報われる人間はいないんだよ」
「鋒周くん…………ッ」
自身の内の、奥に在る記憶。
否。記憶にあるという程に鮮明なモノではない。
人の口から入って来た情報としての、故人の――家族の記憶。
妖威刀に奪われた命。
大切な人たち。
温もりの残滓。
記憶と云うよりも、繋がりの中の存在。
しかし、確かに宗近の中に在る、触れてほしくない、繊細で敏感な処。
感じてしまう。
感じて――痛み……悼んでしまう。
哀しみが、心の中心に在る彼女の願いと、その手段への意志を、風にさらされるような気分にさせる。それは冷たく、寒く、寂しい。
そして気付く。――気付かされる。
「お前は、俺だ。だが、お前の甘さと弱さが、刀に対しての情けや慈しみとなっているのだとしても、俺はそんなモノを截ち斬る。突き崩し、打ち砕く。それが俺の業遣師として在る理由だからだ」
「鋒周くん……。あなたは、刀を憎んで…………いるのね……。でも、刀は……、業遣師は…………っ」
宗近の耳に、障りのある音が響いてきて、鳴り止まなかった。その聴覚を害する音に抗うように、混濁のそこから徐々に意識を揺り動かし、助けを求めるように覚醒する。
「…………業遣師……は…………」
気付くと宗近は、自宅の、自室。布団の中で目覚めていた。
視界に入る見慣れた天井。それに向かって右手を伸ばしている自分。声は、言葉を紡ぎ切れずに、部屋に響く音に覆い隠されていた。
連続して止まない電子音。枕元に手を伸ばし、その発信源である携帯電話を取り、アラームを切る。時刻は午前五時。早朝早くで、寝起きの支度をして、道場で朝稽古を行う時間だった。
いつもなら、気合とともに躰を起こして、自身のタスクであるそれらを行うべく、活動を開始する宗近。しかし、今の彼女は、気分が優れない。気持ちは、まだ微睡の中に意識があるように、一日を始めることに踏み切るその気合を生み出さない。それでも気怠げに上体をなんとか起こし、いつも一室の脇にある刀掛けの美月を見遣る。
「…………おはよう」
「うむ。おはようじゃな」