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「妖雲邂刀」 2


 迫りくる腕刀を、宗近は今度は下から払いあげて凌ぐ。

 また響いてくる声は、察するに男のモノらしかった。しかし彼の声の主の姿が見当たらない。

 二手を防がれた妖威だが、それで勢いを殺がれる心など無いとばかりに、今度は両の腕刀を交互に繰り返し振るう連撃を見舞ってきた。


美月(みつき)――顕現」


 宗近の呼吸と共に放たれた太刀風が、夕闇に二筋の光を煌めかせた。

 その軌跡は宗近の斬撃の太刀筋。あたかもその光は連なる弧月のようであったという。

 振り抜かれた宗近の太刀が止まった時、妖威の両の腕刀はその根元から截ち斬れていた。

 この時、妖威刀に躰を乗っ取られた男の眼と……そして宮坂と小知の眼にも、はっきりとその所業をやってのけた少女と、彼女の手にする太刀が映っていた。

 そのスガタは、先程までの刀としての当たり前の彩と、煌めきだけに収まらないモノが在った。刃先に光を含んだ薄い蜃気楼の様に浮かび上がる美しい刃紋。そして刃中の働きには、無数の三日月型の打ちのけが姿を現していた。


「鏡命刀――三日月宗近 『美月』、推参」


 宗近の声と先程の男の声が重なる。


「今宵も妖威刀を狩るか……。お主もいい加減酔狂よの、宗近」

「これも臥薪嘗胆の道の一歩よ。私に力を貸してね、美月」

「ふふん。可愛い相方の頼みは無下にできんのう」


 緊迫した状況下にあるにも関わらず繰り広げられる遣り取りに、小知は理解し難いモノを視る目で宗近を指差す。


「先輩、棟角さんは一体誰と話しているんですか? 確かに誰かと会話していますよね? 先輩にも男の声が聞こえていますよね?」

「彼女が会話しているのは “鏡命刀(きょうめいとう)” だ」

「……鏡命刀? それは妖威刀の一種ですか?」

「理解が早い後輩で嬉しいよ。魂のカタチである妖威刀が、宿主の力以外で物理的に人間を殺傷しうるのは、刀の内から実体化しているからに他ならない。だが顕現していても、俺達の様な普通の人間が仮に刀を振るったとしても、妖威を本当の意味で斬れないんだ」


 そして宮坂は、元あった腕から切り離され、アスファルトに突き刺さっている、今や実体から仄暗い光の粒子へと霧散し始めた腕刀を指し示す。


「それが出来るのが鏡命刀だ。刀の内にある魂を我が身に映し、そして同調することで意思を通わし、己の刀の刀身に纏わせることで妖威を祓う刃を形成する」

「そんなことが……」


 では宗近と会話している声の発信源は、彼女の手にしている太刀そのものからということか。


「彼女たちはそれが出来る人間だ。この国に両の手ほどの数しか存在しない、刀の魂と共に在る者。――“業遣師(ごうけんし)”。それが棟角宗近という少女だ」


 『美月』 を携え、宗近は太刀を振りかざす。

 太刀の軌跡に沿って、三日月の黄色い煌めきが残像の様に粉に舞い散る。


「それで美月。解ったの?」


 宗近の問いに対して、鏡命刀の魂である美月は答えを返す。


「ああ……。あれは “陀羅尼勝家(だらにかついえ)” じゃな。加賀刀のひとつじゃ」

「今回の目標の遺失物に間違いないわけね」


 得心と共に、自らの目標を見据え直す宗近とは対照的に、しかし美月はつまらなそうな嘆息を以って返す。


「ふん。しかし名も顕現した姿も紛れもなく法僧で在りながら、刃を振りかざし人を襲うか。我が同朋というべき 『刀』 の一振りであればこそ、哀れに尽きぬよ」


 それが一度、強い負の想念に取り憑かれ、妖威刀として成った刀のスガタ。

同じ刀の魂が発現した存在でありながら、片や人に仇名し、片や人と共に在り助力する。

 だからこそだろう、そんな憐憫と哀愁を抱く相棒に対して、しかし宗近は毅然とした声を発する。


「だからこそだよ。だからこそ、私は人が心を以って帯び携えた刀が、人に忌み嫌われる立場にあり続けるのを見過ごせないから。妖威の邪念想念を祓い、刀の魂を在るべきスガタへ還したいと思う。業遣師はそのためのお仕事なんだよ、美月」


 美月の煌めく刀身が、微かに振動した。

 可笑しくて、笑っているのだ。この棟角宗近という少女の、一途が過ぎるまでの刀に対する愛情に。

 自分というかつての “小鍛冶” と冠されて呼ばれる名刀工の作、三日月宗近の 『写し』 の太刀である自分に対して、魂が視える程に愛着を持って手にした、奇異で危篤な年若い女子。

 そのうえ自らの所持する刀に飽き足らず、見聞きするに及ぶモノの……今の場合は白刃を振りかざす危険な 『敵』 としての刀まで、愛し、救おうとする。彼女の年頃ならば他にしたい事など、掃いて捨てる程にあるはずなのに。

 実際のところ、彼女のその豊かなふくらみを持つ胸の内には、確かに “願い” の火が揺らめいていることを、美月は共に在って当然知っている。知っているからこそ、この少女の健気さと可憐さに動かされるモノがあって、こう思う。


(哀れで可愛い、我が遣い手よ……)


「聞こえているよ、美月。お爺さん臭いことは言いっこなしでね」

「やれやれ。せめて保護者とか、親戚のイケメンお兄さんとか言えんかのお」


 鏡命刀は魂を共鳴させて顕現する。その際に、お互いの意識をもある程度共有しているのだ。

 己の迂闊な感傷に対しても嘆息すると、美月は現状をもって、最重要に気を払うべきである目の前の敵に意識を戻す。

 濁とした影を纏う僧は、苦痛を感じているのか、それとも己の負の想念を完遂できないことを恨み、身を捩っているのか、自らの寸断された腕を振り乱していた。

 しかしそれも僅かの間。宗近が静かに間合いを詰めようとすると、突然先程の顕現した時を凌ぐほどの異音を発した。ともすると断末魔ともとれそうな悲壮なそれは、しかし妖威刀の留まるところを知らない妄念の発露であったようだ。耳障りな音が納まるころには両の腕の先に、先程よりも刃渡りも身幅も長大な醜悪な彩の大鎌を再生させていた。


「…………! 先輩、あれは俺達も何か加勢した方がいいんじゃ」

「仮に拳銃を持っていたとしても、顕現している妖威には効果がない。それにな、業遣師はただ闇雲に妖威を斬って、それで一件落着ではないんだ」


 轟と腕刀が空を裂き、烈風を宗近の身に叩きつける。

 勢いの衰えぬどころか、先にも増して兇悪な妖威刀のスガタに、いささかの緊張感のこもった声で、美月は宗近に語りかける。


「やはり外包の光膜を斬っていてもきりがないの。宗近よ、やはり常策通りに太刀合うぞ。顕現の刃はワシが引き受ける」

「了解だよ」


 二人が言うや否や、先に動いていたのは妖威刀。宗近が様子見にとっていた互いの刃圏の外から、一気に――躊躇することなく宿主の躰を駆け込ませると、顕現している右の刃を振りかざす。そして暗澹たる風を纏って僧衣を翻し、大鎌を振り下ろした。

 その刹那、美月の刀身から光彩が溢れる。そして乱れ舞う三日月の粒子が膨れてカタチを成した。


「……あれは⁉」


 息を呑む小知たちの視界で顕現したのは、眩い白金色の毛並に、豊かな尾を持つ獣のスガタ。

 額に三日月の痣を持つ、白金の狐だった。

 金属が衝突し、甲高く軋む音が、この場にいる者達の耳をつんざいた。

 剛然と迫り来た妖威刀の刃を、本性を顕わした美月が、その鋭利な牙で文字通りに喰い止めたのだ。

 互いの刃が交わる。

 だが鎬を削るのも数瞬。


「左が来る!」「わかっておるよ」


 意識でやり取りする宗近と美月。その電光のような速度は、美月が先の腕刀を振り払い、続けざまに襲い来る左の大鎌を喰い止めるには、動くに裕なものだった。

 そして二人は、意識で阿吽の呼吸を交わす。

 両の腕の間がこじ開けられた形になった妖威刀に、僅かな隙が垣間見える。黒い光で形成された肉の根元――取り憑かれた人間が手にしている、陀羅尼勝家の刀本体が剥き出しの状態になる。その刀を目がけて石火の機で宗近は太刀を薙いだ。

 三日月宗近の煌めく刀身……鏡命刀の一撃が、鈍く黒光りする妖威刀の刀身を捉えた。

 取り憑かれている躰それ自体に、斬撃に耐える意思も踏ん張りも本来は無い筈である。しかし妄念が宿主の筋肉を異常に硬直させている結果だろう、刀は宿主の手元からこぼれることはなかった。そしてだからこそ、鏡命刀による打ち込みは衝撃の波となって意識のない肉体と、次いで顕現している本体に伝播、拡散していく。

 美月の牙が捉える大鎌の実体が、一瞬にしてひずんで揺らいだ。

 その瞬間に、美しい白狐の化生である美月は収束し、次いで宗近の手にする太刀に、より一層の煌めきと(にえ)が強まる。

 妖威を祓う刃。

 宗近は気合とともに踏み込むと、たわむ僧のスガタと陀羅尼勝家に真っ向からの斬りおろしによる一撃を打ち込んだ。

 轟、と重烈な光を帯びる斬撃が、妖威刀の黒く纏わりつく包光を裂いた。

 四散する三日月の光の粉に紛れて、今度こそ断末魔ととれる奇怪音が発せられた。それにともなって顕現していた、不気味で恐るべき僧のカタチは、周囲の黄昏と混じり合う彩の光の粒子となって霧散していく。ついで取り憑かれていた男の眼から異様なギラつきがふ、と抜けると、彼は膝をつき刀を握ったまま地に伏した。

 残心の位からその光に眼をやっていた宗近は、先程までの緊張に漲った凛々しい口元を緩めた。


「刀は人を斬るべくして生まれたモノではあるけれど、今の世はそういう心で遣われるべきではないんだよ。あなたも静かにお休み。そしてその美しさで人の心を動かすことをして、生きてね」


 そうして、


「美月、ありがとうございました」


と謝意とともに血振りをする。光の膜が千々に散ることで、美月も今回の仕事における役目は完了したと心得たのだろう。鏡命刀として顕現した刃の光も納まっていく。そして腰のベルトに帯執で佩かれていた鞘に納刀する。鞘は本家の三日月宗近に倣った黒漆塗黄色糸巻。太刀姿はねずみ色の太刀緒の革包太刀の拵えだ。




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