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「大般若長光」 7


         4

「学生さんもお勉強する機会を設けられたということは、既に御存知かもしれませんが、『能』 は 『神・愛・情念』 の精神世界を描いた 『謡と舞』 の物語です。それはいわゆる 『幽玄美』 を描いたお話ということですが、幽玄美というのはお解かりになりますか……」


 滔々と解説を述べていたのは、地元の錦城能楽会の係員。

 現在の座標は大誠寺の北西、八間道にある江沼神社の見学施設――その控えの間である。江沼神社は国指定文化財である長流亭が敷地内すぐ近辺にある、江戸前田家よりの歴史ある場所だ。


 宗近たちは本日、高校の体験学習の一つである、加賀能楽の参考見学に、この場所を訪れていた。三人一班の四グループでの団体行動で、一同は午前中はカリキュラム授業を免除され、電車に乗り、金沢市の中心街にある金沢能楽美術館に足を運んだ。そこで課題のレポートを書くための資料となる見学と説明を受け学び、そして昼食を挟み (繁華街でのオシャレな食事は役得である) 午後からは黒い雲が広がってきた、地元の大誠寺に舞い戻ってきた。その後、事前に打ち合わせをしてあった能楽関係者に導かれて、現在地での引き続いての勉強と相成っているという訳である。


 ここで言及しておくと、大誠寺はかつての前田家加賀藩の支藩である大誠寺藩の藩主が、それは大変に能楽を好み、宝生流などの普及に力を注いだことで知られ、地域に全国知名度の能楽の団体が存在する程なのだ。それが錦城能楽会である。


「演者の中で 『シテ』 と呼ばれるのが主人公でして、シテは現実離れした登場人物を演ずるために、面……おもてと言いますが、を着けて……これは皆さん能といって連想する能面ですな。その演者の舞う演目には 『現在能』 と 『夢幻能』 の二つがあり、大別されます」


 メモ帳にペンを走らせ、宗近は講釈された内容を几帳面に書き記している。


(現在能はシテが現実世界の住人で、人間の心情を描くことが主題。夢幻能は神・鬼・亡霊など、現実世界を超えたモノがシテとなっていて、脇役である旅人の前にシテが化身の姿で現れたり、本来の姿で現れる幕に分かれる……、と)


 この時間の活動で得た内容は、後ほどレポートとしてまとめ成果を提出することが教科として義務付けられている。なのだから、宗近のしていることが当然といえば当然の、この場合の態度であり対応である。現にこの場の十余人の大誠寺高校の学生は、こぞってそうしているし、今日はずっと同行してくれている同じ班の和穂も、あくびを噛み殺しながらも、一応の体をとって勉強をしていた。

 ただその中にあって、長光だけは片膝を立てて刀袋に納められた 『蒔』 を抱き、眠たいのか俯いている。瞳を閉じて静かにしているところを見ると、本当に眠っているのかもしれない。


 係員が一通りの説明を終えると、次いで古めかしい、しかし工芸品として品のある箱に入った能面を、一同は拝観させてもらう。三種類あるこれは、能装束とともに明治初期に奉納された歴史ある面だ。

 その拝観も終了し、一旦休憩と係りの者が退室した段になって、宗近は長光に声を掛けた。


「鋒周くん。講習はちゃんと聞かなきゃ駄目だよ。後で困るのは自分なんだから」


 と優しい声音で諭すように、また宗近でなくとも持ち前の親切心でそう声を掛けるが、


「うるさい。今集中しているんだから、黙ってろ」


 と邪険に突き返された。

 一見して眠るようにしている彼のどこが、一体何に対して集中しているのか、宗近にはまったく解らなかった。しかし黙っていろと言われて、自分も今はこれ以上強いて話す内容もないところではある。

 そこに、隣に座る和穂が、宗近を誘い出した。


「ムネちゃん、まあ取り敢えず、私らも休憩と行きましょうや」


 そして二人で見学控え室を出て、施設建物内の自動販売機の前まで移動する。値上がり傾向が目に余るペットボトルの飲料を避け、カップの安価なドリンクを購入する宗近。彼女に和穂が漏らす。それは別段、不満と言う程ではないが、まあ、ちょっとした愚痴である。


「しかし堅苦しいったらないね。古式ゆかしきは現代人センスにかなりのエンコード能力を強いるというか。きっと私は、本物の舞っている能楽を観たら、居眠りしちゃうこと相違なしだよ」

「でもまあ、これも学生の本分の一環ということでね、エリちゃん」

「この地元ならではの学習内容なのはどうかと、突っ込みを入れたいね。その点で鋒周くんは転校して来たタイミングがイマイチだったね。二学期ならこの見学もなかったろうに」


 和穂の言い様に、宗近は苦笑で返す。


「うーん……。そこまで考えて転校してくる人は、普通いないでしょう。あ、でも鋒周くんは、大誠寺高校を選んだのは総刀部があるからだって言っていたよ」

「へー。ってかムネちゃん、どしたの? 割と鋒周くんの話題でも冷静だね。これは何かあった? あっちゃった?」


 口元をにやつかせて、しかし単純に疑問にも思ったのだろう、和穂の質問。それに対して宗近は、酸味のある飲み物で口唇を湿らせて、ぽつりと返す。


「ううん、別にね。鋒周くんも鬼の面だけじゃないんだなあ、ってね。そう思えただけだよ」

「おりょ。それはまた、本当に何があったのやら。ムネちゃん」


 そこで宗近は、先日の日曜日に 『華月』 で長光と会ったこと。そこで軽く悶着しつつも、垣間見た彼の一面を話して聞かせる。一通り黙って聞いていた和穂は、缶ジュースの中身をゆらゆらと混ぜながら、宗近を見て口を開く。


「ふうん。なーるほどっ。それでムネちゃんは、鋒周くんの子供に優しい一面を見て、いやんっ ステキ! ってなっちゃったのかな? うんうん、ギャップって大切だよね」

「別にステキってなってないです」


 刀ケースの上ではあるが、美月の柄で和穂の脇腹を小突いて、宗近は笑う。


「でもね。ただ、鋒周くんが私に厳しいのって、それは単純に私のことを認めていないと云うだけの事なんだなあ、って。そんなことが解ったんだ。それなら、別に今すぐ仲良く出来ないのも仕方ないことだなって。それでそう考えると、そんなに腹も立たない感じになっちゃって」


 真面目な顔で語る宗近に、和穂は一息つき、次いでニヤリと笑ってみせる。


「あは。そりゃ良かったじゃん。仲良くなれるといいよね!」


 彼女の言葉に、宗近は口元に笑みを作り、声を発しようとした、その刻――。廊下に音を立てて猛然と駆けてくる者がいた。手には刀袋から抜かれた太刀が握られている。


「あれ? 鋒周くん」

「本当だ。どうしたの? 鋒周くん」


 掛けられた声にも構わずに、一気に走り抜け――そして長光は叫ぶ。


「来たぞ! 棟角、俺らの仕事だ!」


 長光の言葉に、宗近は瞳に険しい彩を走らせて、そうして刀ケースの美月に問う。


「美月、感じていた? 近いの?」

「……いや、今言われて気付いた。確かに近づいて来ておる」


 傍目から見て、誰にとも判じられない会話をする宗近に、隣に立つ和穂は怪訝な表情で問う。


「何してるの? ムネちゃん。一体何と話して、何を言っているのかは解らないけれど、仕事って……」

「エリちゃん。取り敢えず今はここにいて。私は行くから。出来れば関わり合いにならない方がいいから。……今は詳しく話せないんだけれど」

「ムネちゃん…………」


 友人が秘密を抱えていて、自分にそれを話せないという。

 しかし、宗近ならばきっと、自分を慮っての事だということくらいは、和穂にも得心がいく。だから頷いて、彼女を送り出そうとした、その時――。


「うわぁぁあッ 何をしている? やめろぉ!」


 と誰の声かは判然としないが、離れの一室から、緊張に満ちた叫びが連なりあがった。

 その声の異常性に、二人は顔を見合わせて、そして何事かと狂声のもとの方へと向かう。




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