「大般若長光」 2
食事を終えた弁当箱をしまいながら、ふと教室の一角に目がいったのだろう、宗近は般若の如き目つきで顔を高速で戻している。その一角――教室後方の窓辺では、鋒周長光が購買で買ってきたパンをたいらげ、ストローから野菜ジュースを飲んで、窓外の薄く白い峰を眺めていた。
「……もう。まだ鋒周くんが転校してきて二日だっていうのに、ムネちゃん、そんなので今後どうするんだか」
「むむ……。でもでも、ですよ。こちらから歩み寄りはしているつもりだよ」
「ふむ。例えば?」
「それは……、班行動での話し合いでも私から話し掛けて、テーマや役割を相談したりとか。普段でも露骨に避けないで、みんなと同じような姿勢で会話するようにしたりとか……」
頬杖をついて嘆息を返す和穂。
「ムネちゃんの主体だねえ」
「……それはそうかもしれないけれど、でも鋒周くん自身が何も話して来てくれないから、こっちも本当はどういう風に接していいのか、よくわからないんだよ」
宗近の言葉に和穂は、今度は腕を組んで天井を見上げる。
「うん。それはまあ、もっともだな。でも人の世話を焼くのが気苦労じゃない私に言わせるとね、そういう人っていうのは常態で何も困っていないことが多いんだよね。ムネちゃんが鋒周くんになるべく良く接しようと思うのは、彼が転校生で何か困っているところがあるかもしれない、という気持ちに端を発してのことだと思うんだよね」
こくり、と頷く宗近。
「けどね、傍から見て問題と思えることを、問題としていない人間。当事者にとってそれが些事であるっていうのは、実のところ結構あってね、そういう人は構われるとウザがるもんだよ」
「でもエリちゃん。それは鋒周くんの現在のスタンスであって、人に対して棘があることの根底理由とは、きっと言い切れないんじゃないかなあ。あの人は素で人に向けて厳しいモノ言いだよ。何気なく話し掛けて、それであんな交差法を喰らわされたんじゃ、誰だって険悪ムードになっちゃうものでしょう」
「そうだねえ。まあ、それはその通りだけれど」
和穂はちらりと長光を横目で見遣って、次いで宗近の顔を見つめる。
「でもムネちゃん、だからさ。嫌いな人と無理に付き合い続けなくてもいいんだってばさ。それを今のムネちゃんが見切りをつけないという処にさ、ムネちゃんが彼に抱いている本当のところがある気がするんだよね」
怪訝な顔をして宗近は和穂を見返す。
長光の顔を視界の隅に入れて、そして瞳を閉じる。
…………思い至るところは、ない。
「どういう意味? 解からないよ」
「ま、ともあれね、肯定的にも否定的にも、ポジティブでもネガティブでも、また形而上であれ形而下であれね、何はともあれ人にはそれぞれの意思や目的があってのインターフェイスだし。それに怒っている顔が全てじゃない、とでも言いますか」
「解かるようで解からないよ、エリちゃん」
「ムネちゃんも文系じゃん。見た目が菩薩でも内面は鬼っていうこともある、っていう話を知っているでしょう? その反対が言えるって事」
珍しく冗長な和穂の語り口に、宗近は少々うんざりしてきた。和穂と話すのが、ではなく話題が長光であるということに、である。
「つまり?」
「鋒周くんはああいう人を突き放すモノ言いをしているけれど、その胸の内では何を考えているかってこと。そのことにもう少し想像を膨らませてみてもいいなじゃないかな、って。彼を本当に嫌って、隔絶するかどうかは、それから決めても遅くないと思うんだ」
「…………そうかなぁ…………」
完全に納得がいかないとばかりに難しい顔の宗近に、和穂は破願して肩を叩く。
「まあ、性格が悪くてもイケメンじゃん、彼。ムネちゃんも経験の一つとして、ああいう男を知っておいてもいいんじゃないかな、とかねー」
途端、宗近は椅子から立ち上がって和穂に上体で詰め寄る。
「エリちゃん、私にも選ぶ権利というモノがあります! 面白がってるんなら、怒りますよう……」
と宗近にとっての精一杯の悪い顔の半眼で睨めつけるので、和穂は苦笑いだった。
「ハハ……、もう怒ってるじゃーん。冗談だよ、ごめんね、ムネちゃん」
机の脇で密かに二人の遣り取りに耳を傾けていた美月が、人知れず溜息を洩らす。
(キャピキャピと若いのう……。おや?)
二人と一振りが、その場に近づく気配に気づく。宗近が振り返ると、そこには長光が仏頂面で (しかし美形である) 立っていた。
「お前、この学校の 『総刀部』 の部員なんだってな、棟角」
予期せず、長光の方から話し掛けて来たことに、不意を突かれた宗近は、今迄和穂と話していた会話の内容もあり、しどろもどろになってしまう。
「な、ななな何かな? ぶ部活?」
「総刀部がどうかしたの、鋒周くん」
取り乱し気味の宗近に、和穂が助け船を出す。
「今日から俺も総刀部に顔を出すからよ。お前、放課後案内してくれ」
手にした刀袋を見せて、長光が鷹揚に告げる。
宗近はネジが飛んだおもちゃのようにぎこちなく笑うと、頷いて返した。
「まあ、適当に頼むぜ……ムネちゃん?」
そう言って自分の席に戻って行った長光を、忘我で見送る宗近と、そんな両者をにまにまとした顔で見遣る和穂。
この場でただ一人……否、一振りの美月だけが、確かに感じる “気配” に怪訝な感を抱く。
それでも三者が三者とも、沈黙を以って長光の冴えた横顔を見ていた。




