第二章 「大般若長光」 1
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棟角宗近は平素、大変穏やかな少女である。
それは彼女の性格がありのままでそうなのであり、また業遣師という荒事仕事に携わっていて、かつ人間の魂の負の顕現たるモノをまざまざと瞳に映していながらも、何ら悪い影響を受けずにいて、その心持ちは宗近が宗近らしく在るカタチだ。
武道を修める人間の高尚な在り方として、宗近が獲得した精神が、心に静けさを持つというある種の境地に至っているとも、言って言えなくはない。しかし心の穏やかさということに限っていうのならば、宗近という少女は性根の部分で――かつ根幹的に――人や大きな障害に対して対立することを基本姿勢としない、平和で平穏を好む人格をしているのだ。それは宗近と付き合って分かる、正確なところの彼女の人と成りなのだ。
そんな彼女を表わすエピソードにこんなモノがある。
「私、歴史の時代でいつが好きかって問われれば、それは血沸く争乱の戦国時代でもなく、意志と決意の奔流たる幕末維新でもなく、天下泰平の江戸時代なんだよ」
二年次の科目選択後の歴史の授業、そのレポートをまとめる際に出た一言である。
それに対して、彼女の友人の樺衿角和穂は疑問を呈した。
「平和な時代が好きってこと? なら、じゃあ現代はムネちゃんの好感範疇には入らないの?」
宗近の答えはこうである。
「え? うーん。刀を振るわない時代の人間と社会に、真からの魅力があるとは思えないよ。それは戦いを常とするとかじゃなくて、文化の死滅と近似していて、そんな社会は平和であっても存外というか、もっぱらの現代人が思う様につまらない世界、というモノだよ、エリちゃん」
と、何の疑問も、まして微塵の悪びれるところもなく言うものだから、和穂としては返す言葉に困ったモノである。
というか、後半はかるく要注意人物みたいにも受け取れるが。
この子は本当に真面目なのだろうか。
ともあれ。
対立や争乱を嫌う傾向にある少女、棟角宗近。
その 『戦いを好まない』 という性分の規範には、しかし戦うための道具であるところの 『刀』 が、彼女の中で大きな質量を誇って中心を占めてはいるのだが、しかしこれは宗近に言わせれば 『料理をするのに包丁の手入れを怠らない』 という姿勢と類似し、殺傷闘争の主要アイテムであるところの刀と、戦いを嫌う性分とは分別されないとのことだ。また彼女が愛しているのはあくまで 『刀』 の美しさの在り方であり、人間を斬滅せしめるという刀本来の究極の目的とは同存しないそうである。
また彼女が自身の願いの成就の足掛かりとしての 『業遣師』 という荒事である生業を、付加価値として由としていたとしてもである。普段の彼女のスガタを見ていれば、それが仮初……あくまでも一面にすぎないということを、よくよく知り得ることとなる。
にも関わらず、そんな日向ぼっこをして刀顕鑑賞をしているのが似合いそうな彼女――この二日間の宗近は――どうにも様子が違ったようだ。
何処を切り取ってみて違うという程の、重大な顕著さではないのだが、しかし彼女の言動の節々に、胸の内にぐつぐつと煮え滾るかのような、アンプレセンテンスとフラストレーションを感じ取ることは見ていて容易で、和穂も御巫山戯を手控えざるを得ない状況であった。
「ムネちゃん、そんなに合わないと思うんなら、もう話しかけなきゃいいじゃん。班編成も鯉朽先生に頼んで変えてもらうとかさ。正直こんなムネちゃんは視るに堪えません」
「………………」
大誠寺高校――二年八組の教室では、現在お昼時。隣同士の机をドッキングさせて仲良くランチタイムである宗近と和穂は、持参したお弁当をもきゅもきゅと咀嚼しながら、そんな会話を交わしていた。
もきゅもきゅ、もきゅもきゅ。
和穂は横目で、宗近の弁当箱の中身に視線を遣る。それは卵黄と何やらが煮込まれたのだろうあんかけに、黒と緑の甘納豆とおぼしきをトッピングした料理。弁当のおかずにしては、一種絢爛豪華に見えなくもないが、それは傍目には突飛でサイケデリックな色合いにも見える作品だった。これを作ってくる宗近の料理センス (特に盛り付けのセンス) もさることながら、彼女の舌はそれを美味しいと判別しているのだろう。箸を動かす手を止めることなく食べ続けて、もきゅもきゅもきゅと咀嚼し、呑み込んで。持参した水筒の緑茶をカップに注ぎごきゅごきゅごきゅと飲み干して。食事中のおしゃべりも疎かに終始無言で、ガンッと音高くカップを机に叩き置いた。その様子はまるで、居酒屋で呑んだくれが酒を飲み干したカップを乱雑に置いているように、和穂の目にはそう映った。
昨日もその傾向があったが、今日はその二割増しというか、持ってくる弁当の状態が加速度的に破天荒になり、もともとの健啖ぶりが更に輪を掛けて増しているし。
(やれやれ。これじゃ学校に来て受けるストレスを食べることで解消しているスパイラルだよ。またムネちゃんの胸が育ってしまうではないですか……!)
和穂がそんな冗談めいた思考を脇でしつつも、宗近の荒みっぷりを視て思う。和穂の知るところの宗近という子が、こうも日常のスタイルに変化……というか大概に悪い影響……をきたす程に怒ったり、また不機嫌になるのは、彼女たちの間柄において知り得ない事だな、と。
だから心配にもなるし、心配もする。友達である。