第一章 「妖雲邂刀」 1
今流行のとうらぶに通じる刀が人間の姿で出てくるお話です。無論それだけでは無く、またとうらぶに影響を受けて書いたのでは断じてなく、初書きは去年の夏だったりします。気勢に乗じて「なろう」にもアップしてみました(爆
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風が吹いていた。
季節が移ろうことに踏み込めないような、寒々とした湿り気を帯びた風。
空は薄く鈍色の雲が、こちらは自らの正当性を主張するように張り出し、遮光の意地悪さを詫びる気配も無く一面を覆っている。
だが、そうした人間の感性に対して時にビハインドの印象を与える空気の中に在って、『それ』は一度振るわれると、まったくの異質と――そして異彩を放って煌めいた。
冴え冴えと。
煌々しく。
静かに。
そして、疾くあることが使命であるように。
冷め冷めとした風を裂くことで、光熱を孕むかのように。
綺羅綺羅と大気中にあるすべての光子を纏い、反射しているかのような 『それ』
幾重にも鍛錬を繰り返し繰り返し、積み重ね鍛え抜き、鍛えあげ抜いた鋼がカタチを成した、至高にして至極の存在。
ことごとくを斬り、命あるモノを截ち葬ることを己が魂の在り方とする。
けれどそこには、囲む周囲の空気以上に硬く重たげな……そして冷徹な意思が感じられ。
優美な曲線を描きながら重厚静かで、けれど冴えた煌めきを放つ 『それ』 は――日本刀。
彼の太刀を手にする人間は、自らが手にする刃に劣らぬ程の、煌々たる意思のこもった瞳を以って、 柄を握る手の内をあらためた。幾分長さのあるたおやかな黒髪が、冷えた風に遊ばされて舞い散らされる。だが、それが 『彼女』 の意識を揺るがせることは出来なかった。
「宗近……、参るぞ。『心』 を映せ」
どこからともなく発せられた声に、彼女――棟角宗近は吽と頷いて応じる。
学生のスクールブラウスに黒のスカートという出で立ちで、優美な白刃を構え持つ宗近。その目の前には、同じく刀を構えた男が立っている。だが人間存在に対して武器を向ける意義が、すべからく対象への敵対意志の顕れであるにも関わらず、男の眼には僅かの気負いもない。否、正確を期するのならば、この男の眼はくすんだ瑪瑙玉のように “斬人” を心得た者の彩をしている。にも関わらず、その眼は手前の少女を捉えてはおらずに虚ろそのものだ。それは躰の構えをみても同様に感じられ、彼の膝は力なく内側に向けて折れ、上体は背中が脱力しているのだろう前屈み……武術を心得た者でなくとも、その弛緩した覚束なげな体の程を見受けることが出来る。
目の前の人間を、その手にある刃物で無残に斬り裂き、抹殺せしめ、刀の錆とする意思をギラつくほどに眼に宿らせながら、しかし躰はそれとはちぐはぐに……闘いに臨むそれではまったくない。
それはまるで、心が虚であるように。
さながら心が奪われて、己が内に在らざるように。
そのような有様でいながら、彼の手にある刀が血と殺戮を求め望んでいるかの如く。
薄く光を放つ黒い刀身を振るうためだけに立って、眼前の少女と向き合っているかのような。
「あれが “妖威刀” に憑かれた人の姿ですか……。まるっきり刀の操り人形ですね、宮坂先輩」
白刃の対峙する間合いから距離を置いた場所。水色と藍色の警官制服の上に防刃チョッキを着込んだまだ若い男――小知堅が、太刀を構えた少女と、相対する様相不可解な男を視界に入れて口を開いた。
彼の隣に立つのが宮坂と呼ばれた男。こちらも警官の正規服で、同じく防刃チョッキを装着している。二人は近隣の “大誠寺署” の警察官である。二人の階級は小知が巡査で、宮坂は銀に三本線の階級章が示す巡査部長だ。
引き締まった顔立ちを緩めることなく、宮坂は両者の 『太刀合い』 の光景を注視したまま返す。
「妖威刀はああして手に取った者の心を乗っ取り、肉体主の意思とは関係なく動き、人に害をなす」
「それで市外から山代まで刀をぶらさげて徘徊しているというんですから、人の迷惑極まりないですね」
「これも仕事だろう」 と宮坂は渋い顔をしてみせる。
実際、早朝からこの目標を追跡し、現在地の山代付近の薬王院温泉寺、薬師山の麓まで追い込んだが、市民の避難や各種根回しには、彼ら県警下の専門課でも多大な苦労があったのだ。小知がぼやくような事を口にするのも宜なるかな。
それに、と先輩警察官は続ける。
「おまえも刀顕管理課に配属になったなら、そのうちあれに触れることになる。心しておけ、小知」
「さながら古の妖刀の類のあれに、触らないといけないんですか……」
日本刀に多少なりともの興味があったことで、小知としても刀顕管理課に配属されたことは良かったと思う。しかし目の前で、刀の傀儡となっている人間を視ると、まかり間違えばそれが自分の明日の姿だと思えて、さすがの彼も慄く思いだった。
「しかし妖刀とは明らかに異なるモノだ。妖刀が持ち手の斬意を刺激し、誘発する存在であるのに対して、妖威とはむしろ “九十九神” に近い存在だからだ」
縮こまる小知に対して、宮坂は頷きつつも反駁を入れた。
「刀そのものが持った魂が、人に害を為している?」
「彼女らに伝わり云う事では、そういうことらしい。その刀のかつての持ち主や、鍛えた鍛冶の想念や妄念。時には邪念まで。ありとあらゆる人の……遣い手の 『心』 を吸って、やがてそれがカタチを以って顕れたモノ。それが妖威刀の本質だそうだ」
「そんなものに、棟角さんは立ち向かおうっていうんですか? 彼女はまだ女子高生ですよ」
視線の先の少女――宗近は、呼吸を整えて、静かに異質な存在と向き合っている。
件の妖威刀は、県下のさる刀顕蒐集家が最近入手した一品らしい。しかし抜き身の刀を観ているうちに、気付けば白刃を無辜の民衆に向けて振るい、傷害沙汰を引き起こした。本来……というか世間一般に見ればこれは、刃物を凶器とし、狂気に満ちた奇行に出た人間の傷害罪として対処するところだろう。実際、世に出ている刀顕がらみの事件の顛末は、手にした人間のメンタルが主たる原因として動機づけられ、解決に向けて確保取り押さえがなされる。
しかしである。
妖威刀は事件性においてまったくの別物であるのだ。それは多くの一般市民に目撃された異様なヴィジョンに裏付けされる。それは帯刀が廃れた時代になり、そして刀顕が管理され始めた頃になって、日本のそこかしこで散見され始めた怪異。人身事件を処理解決する職にある人間達からすれば、日本刀を人間が振るって人を傷つけた、というほうがまだ話は簡単に済んでありがたい、というのが素直な感想であるという現象。
それが妖威刀が妖威刀として顕れるということなのだ。
動じずに刃を向ける彼女の姿に反応したのか、妖威刀は不意に持つ手を小刻みに震わせ始めた。乱雑で、不快なほどに乱暴な刃鳴りが、周囲の空気を掻き乱す。
見て取るに、それは妖威に憑かれた男の躰が動いているのではない。鈍く黒光りする刀身が振動し、彼の肉体を震わせているのだ。次いでそれは、黒板に爪を掻き立てる時の様な不興を催す金きり音をたて、ほの暗い輝きを放った。
次の瞬間――刀身を覆う光は増幅し、肉が膨張していくような質感を視覚化し膨れ上がった。黒く歪に出っ張り、禍禍しく揺れ、自己を拡大していく様は、さながら人の内包する醜さをカタチにしているかのようにも感じられる。やがて光は収束し納まった時、妖威刀を包む光は人間のフォルムを象っていた。痩身の僧の様な風体に、杳杳とした深く静かな双眸、そして両の腕の手首から先が、血で変色したような色を帯びた鎌の形状をした、恐ろしいカタチ。
妖威という負の魂が顕現したスガタだ。
冷めたい裂帛が辺りに伝播する。宮坂たちは驚愕とともに歯を食いしばり、膝が震えるのに耐えて眼前の恐怖の象徴を見遣る。
「…………参ります」
凛とした声だった。
宗近という少女は、眼前の異形怪異と相対してなお、自らの冷静さに陰が指すことも無く、相互の太刀に意識を張り巡らせている。そして本性を表わした妖威刀に対して、宗近は太刀を正眼に構えたまましかし、あろうことか両の瞳を閉じた。
それでも眼前の顕現した妖威刀は、宗近を完全に斬るべき対象と認識したようだ。
屠るべき対象と認めたのだ。
そして、その意思にのっとって動く。
傀儡となった宿主の躰を、今迄の緩慢な様子が嘘であったかのように躍動させ、蟲の節足が蠢くように駆けると、瞬く間に彼女との彼我の距離を詰める。そして撃尺の間合いに宗近を捉えると、右の腕刀を振りかざし、刹那の迷いも無く振り下ろした。
傍らでその一部始終を眼にしていた小知は、年若い少女の危機に思わず声を上げ、駆け出そうとした。しかしそんな彼の肩を掴み、宮坂が制止する。
「先輩っ なにを!」
「いいから大人しくしていろ。もとより妖威刀との実戦は俺達の仕事じゃない。それに見ろ。棟角さんを」
迫りくる魂が形作った刃に対して、しかし宗近は開眼無拍子、不動の構えのままに、刀の斬尖だけでその攻撃を受け止めていた。
肉厚にして僅か数ミリの相手の刃先を、対して峯の一点で受け止めたのだ。驚嘆すべき刀技の腕前と度胸である。
しかし妖威刀にとっては、宗近の業前の冴えなどは、その精神において意に介する対象ではない。微塵の躊躇もなく――そして無慈悲に、反対の腕刀を振り下ろしてきた。
「哀れなり妖威の刀」
1ヶ月集中連載のつもりでアップしていきます。
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