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横浜ランデブー

作者: 笹峰霧子

わたしが『袋』が好きだというのは、娘も親しい友人もとおに知っている。

友人の一人は言う。

「あなたにお土産買うときは楽だわ。あれこれ迷わず袋売り場に行けばいいもんね」


そう。袋……、それも小さい袋をもらうと何だかとってもうれしい。

クローゼットの布製の吊り棚に、きちんと種分けして入っている小袋の数々……、これにもあれにもそれぞれに懐かしい思い出がある。


いま私は目の前に取り出している巾着の一つを見て、あの時のことを思い出している。

二度と味わえないかもしれない長女との楽しかったランデブーのひとときを……。


この巾着は深い緑色と黄緑、それに濃いブルーのパイル生地がそれぞれにパッチワーク風に配置され、渋いパープルの綿レースで縁取りされている。

真ん中にローマ字でミシン刺繍された『Keiko』の文字。


娘と横浜元町の小物の店で、この巾着を作ってもらったのは、もう何年前になるだろう。


鎌倉に住みたいと、自分で格好の貸し家を探して、横浜から引っ越した直後のことだった。


大学を卒業して二年ぐらい経ち、最初に就職したホテルでブライダルのフラワーアレンジメントをしていた頃のことである。


それまでほとんどお呼びがかからなかったのに、「鎌倉はいいとこだから来てみたら…」とその時、初めて声をかけてくれた。


北鎌倉のひっそりとした住宅街の道を入り、鎌倉山の麓の農家の倉庫の二階に作られた貸間である。

裏には小川が流れ、小川の上を鎌倉山の雑木が覆っていた。


部屋に入ると、猫が二匹いた。

毛の長い猫の方がすぐに慣れて、私の膝の上に飛び乗ってきた。



確か連休だったような…、だから私の滞在中は外出の相手をしてくれた。


*観光一日目は鎌倉巡り――。


観光客は観光バスに乗るけれど、住民は市バスに乗るのがいいのよ、と娘は言った。

娘と私は散歩するような気持ちでふらりと、娘の貸家から鎌倉山の細い山道を上り、しばらく歩いた所で、娘は言った。


「ここ、紫陽花で有名なあじさい寺の明月院よ」


私は名前だけは知っていたので、寺の中を見て回りたいと思ったが、門前に並んでいる人の列が100mほど続いている。

あきらめようか、ということで、街へ向かってまっすぐの道を歩いて、出たところで市内バスに乗った。


観光地で賑わっているというのに、市内バスはがら空き――。

「ねっ。こういうの、いいでしょ。これが鎌倉人の穴場なのよ」

娘は鎌倉入りしたのが得意だと言わんばかりに笑った。


最初に鶴岡八幡宮でバスを下りて、二人で参拝した。

「大銀杏がみごとね」


「お昼もそろそろだから、食堂街へ行ってみようか」

うん、うん……。

言われるままに私は娘の後について、狭いけど小じゃれたお食事処に入った。

カウンターで店のオーナーが目の前で作ってくれる惣菜を堪能して、店を出た。


おいしかったねぇ。また来たいな。

ほんとにそう思って店を出たけれど……。


「お土産買いたいんだけど」

「じゃあ、鎌倉彫の店に入ろうか」


店に入ると、鎌倉彫のさまざまな手作りの品が、所狭しと陳列されていた。

あの人とあの人と……、と思い浮かべながら、予算と照らし合わせて、耳かきとか匙とかの小物を何点か買った。

自分用に鎌倉彫の小さな丸いお盆も買う。


帰りはまた市内バスに乗ったが、渋滞してバスがなかなか進めない。貸家まで帰るのに長い長い時間がかかった。



*観光二日目。


「今日はどこに行きたい?」

「買い物をしたい……」と私。

「それなら、元町よね」と娘。


早速、朝早くから出かける準備をして、近くのバス停からバスに乗って元町へ向けて出発。

私は、元町繁華街の両サイドに並ぶ洒落た店を右に左に目を移しながら、娘の後をついて歩いた。


「あんた、何か欲しい物あるの?」

「そろそろボストンバッグを買い替えなきゃと思ってるの」と娘。

「じゃあ、買ってあげるよ」


バッグ屋さんに入って、あれこれ選び、娘の気に入ったのを購入。たしか四万円あまりだったような。


「お母さんの喜びそうな店あるのよ、ここ――」

娘は、目の前の間口の狭い店を指差した。

中に入るとカラフルなパイルの生地が目に飛び込んできた。


「うわっ――、ステキねぇ」

「お母さんも一つ作ってもらえばいいよ」


じゃあ、ということで、好きな色合いの生地を選び、見本の中から巾着を指定して注文した。


お名前は?どこに入れましょうか?

ローマ字で中央にパッチで入れてください。


出来上がるのを待っている間に、

「お二階もございますからどうぞ……」


案内されて上がった2Fには、またまた目を見張るようなカラフルなパイル地の手作りの数々が……。

うぅぅ・・。うっとり。

「きれいねぇ」


素敵な色合いのガウンを人形が着ている。

「これ欲しくない?」と私。

「ほしい!!」と娘。


じゃあ、といって、確か一万円あまりだったような……。


巾着ができあがったところで店を出たふたりは、路上のオープンカフェのテーブルを挟んで座って休憩し、その日の買い物を終えて、貸し家に帰った。


うれしい!!

娘がカラフルなガウンを着てよろこんでいる。

私もそれを見て大変満足で、自分の為に作った巾着にも大満足だった。


翌日、田舎の自宅に帰るとき、娘は東京駅まで見送りにきてくれた。

新横浜の新幹線乗り場まで……。

改札口からわが子の目がこちらをじっと見ていた。


――さよなら、またね。元気で!

――またきてね。


あれから数年経ったけど、一度も娘の家を訪ねていない。

鎌倉から今は引っ越して一軒家に住んでいるが、あの貧相な農家の貸間のことは忘れられない。

猫は今も健在らしい。


子供が大人になって自立することは、うれしくもあり……、ちょっと寂しいことでもある。


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