横浜ランデブー
わたしが『袋』が好きだというのは、娘も親しい友人もとおに知っている。
友人の一人は言う。
「あなたにお土産買うときは楽だわ。あれこれ迷わず袋売り場に行けばいいもんね」
そう。袋……、それも小さい袋をもらうと何だかとってもうれしい。
クローゼットの布製の吊り棚に、きちんと種分けして入っている小袋の数々……、これにもあれにもそれぞれに懐かしい思い出がある。
いま私は目の前に取り出している巾着の一つを見て、あの時のことを思い出している。
二度と味わえないかもしれない長女との楽しかったランデブーのひとときを……。
▽
この巾着は深い緑色と黄緑、それに濃いブルーのパイル生地がそれぞれにパッチワーク風に配置され、渋いパープルの綿レースで縁取りされている。
真ん中にローマ字でミシン刺繍された『Keiko』の文字。
娘と横浜元町の小物の店で、この巾着を作ってもらったのは、もう何年前になるだろう。
鎌倉に住みたいと、自分で格好の貸し家を探して、横浜から引っ越した直後のことだった。
大学を卒業して二年ぐらい経ち、最初に就職したホテルでブライダルのフラワーアレンジメントをしていた頃のことである。
それまでほとんどお呼びがかからなかったのに、「鎌倉はいいとこだから来てみたら…」とその時、初めて声をかけてくれた。
北鎌倉のひっそりとした住宅街の道を入り、鎌倉山の麓の農家の倉庫の二階に作られた貸間である。
裏には小川が流れ、小川の上を鎌倉山の雑木が覆っていた。
部屋に入ると、猫が二匹いた。
毛の長い猫の方がすぐに慣れて、私の膝の上に飛び乗ってきた。
確か連休だったような…、だから私の滞在中は外出の相手をしてくれた。
*観光一日目は鎌倉巡り――。
観光客は観光バスに乗るけれど、住民は市バスに乗るのがいいのよ、と娘は言った。
娘と私は散歩するような気持ちでふらりと、娘の貸家から鎌倉山の細い山道を上り、しばらく歩いた所で、娘は言った。
「ここ、紫陽花で有名なあじさい寺の明月院よ」
私は名前だけは知っていたので、寺の中を見て回りたいと思ったが、門前に並んでいる人の列が100mほど続いている。
あきらめようか、ということで、街へ向かってまっすぐの道を歩いて、出たところで市内バスに乗った。
観光地で賑わっているというのに、市内バスはがら空き――。
「ねっ。こういうの、いいでしょ。これが鎌倉人の穴場なのよ」
娘は鎌倉入りしたのが得意だと言わんばかりに笑った。
最初に鶴岡八幡宮でバスを下りて、二人で参拝した。
「大銀杏がみごとね」
「お昼もそろそろだから、食堂街へ行ってみようか」
うん、うん……。
言われるままに私は娘の後について、狭いけど小じゃれたお食事処に入った。
カウンターで店のオーナーが目の前で作ってくれる惣菜を堪能して、店を出た。
おいしかったねぇ。また来たいな。
ほんとにそう思って店を出たけれど……。
「お土産買いたいんだけど」
「じゃあ、鎌倉彫の店に入ろうか」
店に入ると、鎌倉彫のさまざまな手作りの品が、所狭しと陳列されていた。
あの人とあの人と……、と思い浮かべながら、予算と照らし合わせて、耳かきとか匙とかの小物を何点か買った。
自分用に鎌倉彫の小さな丸いお盆も買う。
帰りはまた市内バスに乗ったが、渋滞してバスがなかなか進めない。貸家まで帰るのに長い長い時間がかかった。
*観光二日目。
「今日はどこに行きたい?」
「買い物をしたい……」と私。
「それなら、元町よね」と娘。
早速、朝早くから出かける準備をして、近くのバス停からバスに乗って元町へ向けて出発。
私は、元町繁華街の両サイドに並ぶ洒落た店を右に左に目を移しながら、娘の後をついて歩いた。
「あんた、何か欲しい物あるの?」
「そろそろボストンバッグを買い替えなきゃと思ってるの」と娘。
「じゃあ、買ってあげるよ」
バッグ屋さんに入って、あれこれ選び、娘の気に入ったのを購入。たしか四万円あまりだったような。
「お母さんの喜びそうな店あるのよ、ここ――」
娘は、目の前の間口の狭い店を指差した。
中に入るとカラフルなパイルの生地が目に飛び込んできた。
「うわっ――、ステキねぇ」
「お母さんも一つ作ってもらえばいいよ」
じゃあ、ということで、好きな色合いの生地を選び、見本の中から巾着を指定して注文した。
お名前は?どこに入れましょうか?
ローマ字で中央にパッチで入れてください。
出来上がるのを待っている間に、
「お二階もございますからどうぞ……」
案内されて上がった2Fには、またまた目を見張るようなカラフルなパイル地の手作りの数々が……。
うぅぅ・・。うっとり。
「きれいねぇ」
素敵な色合いのガウンを人形が着ている。
「これ欲しくない?」と私。
「ほしい!!」と娘。
じゃあ、といって、確か一万円あまりだったような……。
巾着ができあがったところで店を出たふたりは、路上のオープンカフェのテーブルを挟んで座って休憩し、その日の買い物を終えて、貸し家に帰った。
うれしい!!
娘がカラフルなガウンを着てよろこんでいる。
私もそれを見て大変満足で、自分の為に作った巾着にも大満足だった。
翌日、田舎の自宅に帰るとき、娘は東京駅まで見送りにきてくれた。
新横浜の新幹線乗り場まで……。
改札口からわが子の目がこちらをじっと見ていた。
――さよなら、またね。元気で!
――またきてね。
あれから数年経ったけど、一度も娘の家を訪ねていない。
鎌倉から今は引っ越して一軒家に住んでいるが、あの貧相な農家の貸間のことは忘れられない。
猫は今も健在らしい。
子供が大人になって自立することは、うれしくもあり……、ちょっと寂しいことでもある。