WHAT I WANT
ケイラは颯爽と帰っていった。唖然としながらも、ライアンは再びベンチに腰をおろした。
二年ほど前だったか、つきあっている男がいるというのは聞いていた。まさか今も続いているとは思わなかった。
「──失恋?」
レナが訊き、彼ははっとして我に返った。
「妬いてんのか」
「失恋してるじゃない」
「まあ、そうだけど。いや、違うし」今日は、わけのわからないことばかりだ。厄日なのか。
「──てる」レナがなにかをつぶやいた。
だが聞こえない。「あ? なに?」
彼女はまた、立てた脚を抱えこむ。顔を伏せた。
意味がわからず、彼は呆れるしかなかった。「帰る?」
無言。
本当に嫌になる。なぜこう、どこに行って誰に会っても、面倒なことばかりになるのだろう。
などと思いながら、彼は気づいた。さきほどよりも、レナに近い場所に座っている。袋ひとつぶんの距離だ。
彼はまたベンチの背に肘をつき、頭を手で支えた。
「なあ。帰んねえの?」
無言。
キレる。「んじゃ袋の中、見る。いい?」
「ダメ」
以前、不機嫌ベラがぼやいていた。ベネフィット・アイランドだけでいいから、サンドバッグを町のあちこちに設置して、自由に使えるようにしてくれないかな、と。そんなものよりオンライン対戦できるゲームがいいと答えたが、今は彼も、その気持ちがわかった。
せめて顔上げろ、などと思いながら、ライアンは溜め息をついた。
「──ケイラ。さっきの女だけど。オレのイトコで。高校の時、自殺しようとしたの」
レナは顔を上げ、彼の視線を受け止めた。驚いている。
彼は続けた。「ずっといじめられてて、耐えてたらしくて。三年の夏休みの終わり、学校に戻りたくなくて、手首ズッタズタ。アホだから。けど、今はアレ。意味わかんねえだろ」
彼は、右腕に顔を伏せた。
「つきあってたとかじゃねえよ。好きだったわけでもない。イトコだし、そんな趣味ないし。ただ、オレは小学生の時、その場面、見ちゃったもんだから。普段は思い出したりもしないし、会えば普通に話すんだけど、今日は、思い出して」
記憶は、残酷なものほど、消せない。消えない。
「一昨日、家にくるはずだったのに、仕事が忙しいとかで、こなくて。しょうがないってのはわかってんだけど、親戚のガキ共の相手すんの、オレとあいつの役目なのに、あいつがこないから、疲れて」
ケイラは、自分のためだけに、赤いものを身につけなくなった。
「そんでたぶん、お前にいろいろ、あたり散らしたんだと思う」
赤だからといって、それを思い出すとは限らないのに。バカだ。
ライアンは顔を上げた。
レナは、泣いていた。
「──なんで、お前が、泣くんだよ」
ライアンは、泣かない。だがときどき、泣きそうになる。
気づけば、右手をレナの首にまわし、あいだに置かれた袋越しに、彼女の顔を肩まで引き寄せてた。
脆い女は、好きではない。ケイラのように、バカなことをする可能性がある女は、好きではない。なのに自分は、つきあった女を傷つける。
束縛は、弱い女のすることだ。自分を信じていないから、そうなる。
ずっとそう思ってきたけれど、自分だって、強いわけではない。だから、見えないものを欲しがるのかもしれない。
なにが強さなのか、なにが弱さなのか、けっきょく、なにがいちばん正しいのか、なにもわからない。脆くない人間など、いないような気もする。強いように見せて、実は脆かったり、とても脆かったのに、いつのまにか強くなっていたり。
昔のケイラよりも、今のケイラのほうがいい。アホなことに変わりはないが。
自分が欲しいのは、強い女だ。残酷な経験を乗り越える力を持っている女。そんな経験、ないほうがいいに決まっているが、それでも、強い女のほうがいい。
“運命”を信じれば、一度別れた女でも、強くなって、また戻ってくるはずだ。連絡をとりあっていなくても、“運命”をとおして、また会えるはずだ。
──けっきょく、誰も戻ってきていない。
ライアンはまた、苛立ってきた。「帰るか。寒いし」
「──ん。」
そこでまた、彼は気づいた。また、おかしなことをした気がする。「もう手、離すぞ? いい?」
「うん」
手を離す。するとレナは顔を上げ、ライアンにキスをした。
彼は、あっけにとられた。
唇が、離れる。
彼はまだ、あっけにとられている。「──そういうの、やめろっつったのに」
顔はまだ、近い。「キスくらいなら、いくらでもしてくれるって、言った」
確かに言った。「とうとう惚れたか」
レナは微笑んだ。「うん」
そう答えてまた、キスをする。今度は少し、長かった。
ライアンは、かたまっていた。
唇を離して彼女が訊く。
「──キス、する時。目、閉じないの?」
彼の思考は停止しかかっている。「──お前が、意味わかんねえこと、言うからだろ。閉じる暇なんて、ない」
「ああ、それは言えてる。──帰ろっか」
レナが、壊れた。
「明日、ちゃんと行くのよ。せっかく約束したんだから。マリーに、迎えに行ってって頼んである。だから、ちゃんと起きて」
レナが、壊れた。




