CALL
小学校からの親友、ジャックの家の彼の部屋。高校の同級生で悪友のギャヴィンから携帯電話に着信が入り、三人掛けソファに腰をおろしているライアンは電話に応じた。
「あ、ライアン? ごめん、明日、ダメになった」
とたん、ライアンが不機嫌になる。「は?」
「だからさ、明日のカウントダウン、行けなくなったって言ってんの」
「いやいや。前日になってなに言ってんの? オレが何人の女の誘い断ったと思ってんの?」たったの三人なのだが。
「ごめん。けど、どうしてもって言うんだもん。しょうがないじゃん」
しかたないと言われても、すんなりと納得できるわけがない。「理由を言えよ」
ギャヴィンが説明する。「お前がアニタにタイラーを紹介しただろ? で、二人が初顔合わせするのに、マリーと俺が呼ばれたの」
「二人で会わせりゃいいじゃん」
「知らないよ。最初はお前を誘うつもりだったらしいけど、お前、カップル見るとうるさいじゃん。で、タイラーはもともと俺のダチだから、じゃあ俺でいいか、みたいな感じじゃね?」
さすがのライアンも少々同情した。「お前、それでいいのかよ。しかも前日」
彼はどうでもよさそうに鼻で笑う。
「どうせ俺はお前の影武者だよ。まあ、そういうことだから、ごめん」
だが心の底から納得できるかと言われると、できるはずがない。だがどうしようもないことはわかっているので、ライアンは投げやりに答えた。
「ああ、はいはい。わかりました。オレは一から女探します」
「ん、ごめん。じゃな」
「ん」
電話を終えた。こちらから言えば誘いに乗るだろう女はいくらかいるものの、それすら面倒になった。
シングルソファからジャックが訊く。「なんて?」
「明日のカウントダウン、一緒に行くの無理とか言いだした」
「ああ、残念。でも僕は無理。言われても無理。絶対無理。ジェニーと行くから無理」
「わかってるっつーの」ライアンは立ち上がった。ソファの背にかけていたダウンジャケットを手に取る。「帰る」そして着る。
「もうちょっと待ったら母さん帰ってくると思うから、そしたら送ってもらえるけど」
「いらね。帰りにコンビニ寄るし。女探すし」
「そ。バスの中で暴れるなよ」
笑える話だ。「暴れて捕まったら、お前とギャヴィンに命令されたって言ってやる」
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ジャックの家を出たライアンは、ウェスト・ランドの住宅街を歩き、表通りにあるバス停へと向かった。
このあたりは彼の住むウェルス・パディとは違い、なにもかもが広々としている。住宅街でも通幅は広いし、広い敷地に建ち並んでいるのは大きな家ばかりだ。住宅用の月極駐車場なども見当たらないし、それぞれの家が庭に車庫もしくは駐車スペースを持っているので、路上駐車もない。同じベネフィット・アイランド・シティとは思えない。
今日は十二月三十日だ。寒いのはあたりまえとも言えるが、まだ夜の九時前だというのに、妙に静まり返っている。静かなのが苦手なだけでなく、ライアンは寒いのが苦手だった。寒さに肩をこわばらせながらただ歩く。一ブロックと少し歩けば、図書館の横の通りに出る。そうすればそれなりに車の音が聞こえると思われるので、静かだとは思わないだろう。それから角を曲がって図書館の正面のほうに行けば、車もそれなりに走っているはずで、その傍らにあるバス停に辿り着きもする。
歩道を歩きながら空を見上げた。澄んだ夜空に星が広がっている。彼は苛立ち、心の中で悪態をついた。
どいつもこいつもバカみたいにイチャつきやがって。二年になってまともに女と二人っきりで遊んだ覚えがねえ。俺のモテ期、終了? 実は大人になったらモテないタイプ? 俺、このまま一生ヤれずに人生終わるわけ?
無理無理、絶対無理。
ライアンは、女からの誘いがないわけではない。最近つるむ相手が決まりきっているせいか、以前に比べれば頻度が落ちてしまっているものの、ときどき、それらしく誘われる。だが気分が乗らない。ピンとくる女がいない。
最近は、女運が下がっている、と思っている。それを、彼は六月に自分がしてしまったことのせいにしていた。
今年六月の自分の誕生日の翌日、ジャックの主催で、誕生日パーティーがあった。同じ高校の同級生ばかりの集まりではあったものの、まだほとんと話をしたことのない女が多く参加していて、いくらかの女と知り合い、楽しくパーティーを終えるはずだった。だが、彼はやらかした。いちばんしてはいけない相手にキスをしてしまったのだ。
自業自得ではあるものの、それで女運が消えた、と彼は思っている。それどころか、魔女の力ってマジ怖い、とまで思っている。
ダウンジャケットのポケットに突っ込んでいる右手の中で携帯電話が鳴り、すぐにやんだ。それがまた、ライアンの機嫌を悪くした。舌打ちはしたものの立ち止まったりはせず、着信履歴を確認した。
──噂をすれば、魔女。
などと、彼はとんでもなく失礼なことを考えた。苛立っているところに彼女の話をしたくはないのだが、とは思ったものの、けっきょく電話をかけなおす。一度目の呼び出し音が鳴りきるまえに、受話口から彼女の声がした。
「ハイ」と、レナの声はなぜか弾んでいた。
だがライアンは不機嫌なままだ。「ハイ、じゃねえよ。なんだよ」
「なに、機嫌悪いの?」
「ワン切りされてニコニコしてる奴がいると思うか?」
「いないでしょうね。今月、電話しすぎて料金がまずいのよ」
危険なのは彼も同じなのだが。「知るかよ。それはあやまってるつもりか?」
「そんなつもりはない」
そしてまたライアンが不機嫌になる。「もういいから、用件を言えよ」
「なんか機嫌悪いから、やめとく」
「犯すぞアホ」
電話が切れた。
彼は暴れだしたいほど不機嫌になった。バス停に着くまえにやらかしてしまいそうだ。もう一度レナに電話をかける。今度は、先ほどよりもさらに早く呼び出し音が途切れた。
「用件を言えって」
「機嫌なおったら電話して」
なおる気がしない。「んじゃ、なんかおもしろい話してくれ」
「あんたの好みなんか知らない」
彼女は本当に、彼を苛立たせる天才だ。
「お前、単に暇なだけじゃねえの?」
「あ、ばれた?」
不機嫌さが募る。「切っていいか?」
「用件はあるわよ。ただ、気が乗らないうえにあんたの機嫌が悪いから、なんか微妙」
「へえ。それはオレの機嫌がよくなる話?」
「さあ」
苛立ちよりも、面倒に思う気持ちのほうが強くなる。「頼むから、話を進めてくれ」
「勘違いしないでほしいんだけど。私は、あんたと一緒に出かけたくなんてない」
やはりまた苛立った。「同感だ」
「けど、頼まれたら行かなきゃ仕方ないと思わない?」
ライアンは即答した。「いや、断ればいいと思う」
「お姫様ドールみたいにすっごく可愛い顔した子に、甘えた声で懇願されたら?」
意味がわからなかった。「お前、実はそっちの気があったのか」
「あるわけないでしょ。でも、ホントに可愛いのよ。お姫様みたいなの」
「オレ、そういう甘えた声とか出す女は好きじゃない。高確率で面倒なことになる」
「うん、あんたにはもったいないと思う」
「じゃあやめろ」
「でももう、誘ってみるって言っちゃったの」
「なんにだよ」
「十、九、八、七──」
今度は呆れまで出てきた。「お前、なんかテンション変じゃね?」
「変? どこが?」
「お前がオレと長電話するなんて、気が狂ったか大雪になるかだぞ。しかも酔ってるみたいに、なんか、変」いつもなら、用件だけを言って悪態をついてサヨナラだ。
「ホントに?」とレナ。「ウィスキーボンボンて、やっぱりお酒なの?」
「チョコレートの中にウィスキーが入ってるわけだからな。なんだ、食ってんのか」
「そう。レオにもらったの。クリスマスに遊べなかった女の子にもらったらしいんだけど、まずいからって。ホントにまずいんだけど、なぜか食べてる」
レオというのはレナのふたつ下の弟だ。だがそれよりも、ライアンは酒とチョコレートに反応した。
「お前、今どこ?」
「今? 家に決まってるじゃない」
「今から持ってこい、それ」
「は?」
「今、ジャックの家からの帰り。もう図書館前のバス停につくんだけど、乗らずにそっちに行くから、それ持ってこい。オレが食う。お前は食うな。これ以上食うな」
レナの家は、図書館前の通りをまたいで入る住宅街、ハーバー・パディにある。かつては漁師町として栄えた場所で、今は工業団地があり、ハーバーもあり、海もありの小さな町だ。
彼女が言う。「え、意味がわからない。この寒い中、わざわざあんたのために外に出ろっていうの?」
「お姫様の話、するんじゃねえのかよ。チャリで迎えにこい」
「ああ。え、でも私、自転車持ってない」
「レオのがあんだろ、借りてこい」
「ええ?」
「いいから早くしろ。寒いんだよ。拒否られたら電話して、オレが言う」
「勘違いされたらどうしてくれるわけ?」
「アホ。オレとお前でなにをどう勘違いするんだよ」
「しょうがないわね。ちょっと待って」
ライアンには衝撃だった。電話を切らないらしい。一定額を超えれば小遣いから引かれるというのに、それを奪う気なのか。
「レオー。自転車貸して」
普通に喋ってるし。
「やだ」
即答かよ。
「お願い、なんか買って帰るから」
交渉方法はどこでも同じ。
「じゃあ、ゲームソフト?」
同じじゃねえ。
「は? なんでちょっと自転車借りるのにゲームソフト買ってこなきゃなんないの?」
正論。欲張りすぎ。
「だって壊されたら嫌だし。俺バス嫌いだし」
自転車って、そんな簡単に壊れるもんじゃないよ?
「壊さないから、お願い」
寒い。
「まえの前の自転車、壊したじゃん」
壊したのかよ。
「なんか釘みたいなの踏んでパンク以上のことしたあげく、鍵なくしたとか言って思いっきり蹴って、錠壊そうとしたじゃん。しかも鍵はポケットから出てきたし」
どんだけ? 魔女やべえ。
「いつの話してんのよ。っていうか、ちょっと待って。もしもし、ライアン?」
存在を忘れられていると思っていた。「ん」
「いやだとか言ってる」
お前のせいだと言いたかったが、やめた。「代われ」
「ん」
「うそ、ライアン?」
「よ」
「なにしてんの?」レオが言った。「まさか姉ちゃんとデートする気じゃないよね?」
「そんな気はない。っつーかチャリ貸して」
「いいけど、俺も行っていい?」
「とりあえず、ダメ。大人な話するから」
「なにそれ。まあいいけど」
「なんかいるか? 終わったらレナに持って帰らせるけど」
「じゃあスナック菓子。くれるんならコーラも」
「相変わらずそんなんばっかだな。太るなよ」
彼が笑う。「へーき。んじゃ、姉ちゃんに代わる」
一分一秒でも早く電話を切ろうという考えは、この姉弟にはないのか。
「もしもし? 鍵もらった。今から行く」