PLACE
一月二日、夜。
自宅に集まった母方の親戚が帰り、しばらくしたあと、ライアンは自室に戻った。メールを確認する。
《あと一週間で冬休みが終わるね。その前にもう一度、ライアンと遊びたいな。暇な時があったら教えてください。エリカ》
なんなら今から予定を詰め込むこともできるので、そんな日はない。
昨日と今日、エリカには、一時間に一度のペースで返事をした。やはり自分のことを詳しく語る様子はなく、質問でなければ考えや理想など、思うことを送ってくるだけだ。
何度か、なにか訊きだそうと色々な質問をしてみた。中学時代の思い出や、冬休み中、以前の学校の友達とは会ったか、男とつきあったことはあるか──等、女と知り合えばひととおり話すだろう、なんてことのない内容だ。だがエリカは返事に困ると、返信に一時間ほどあいだを空ける。そして、全然関係のない話を振ってくる。なにをしていたかとか、なにを食べたかとか。メール攻撃を避けたければ、そういう質問をすればいいらしい。――とても嫌味な気はするが。
彼は携帯電話を持ったままベッドに転び、閉じた右腕で両目を覆った。
エリカではない女と遊びたい。それも、ベッドに連れ込める女と遊びたい。もうそういうのはやめると、せめてつきあってからにすると、決めはしたけれど。
けっきょく、つきあってもいいと思える女がいなかった。一年近くもだ。
運命の相手というのは、本当に存在するのか。あのドラマのアダムとイヴのように、ずっと小さな頃から一緒にいてというのはもう、無理だ。
それでも、こいつしかいないと思える相手ならいるかもしれないと、そう信じてきた。だが、早くも諦めかけている。何年かあとに出会うのかもしれないが、そんなことを言いだせば、それまでの色恋沙汰が無駄な気がしてしかたない。
そもそも束縛されて冷めたり、冷たいから別れるというのは、もう“運命”ではない。せめて人生で一度くらい、誰かに執着してみたい。
ライアンの中で、また“それ”がはじまっていた。嫌な感覚。愚かな感覚。自己嫌悪。現実逃避への願望。
海が見たい。癒されたい。壮大な景色が見たい。そんなもので癒されたことはないが。
もう、疲れた。
彼の左手の中で携帯電話が鳴った。顔の上に乗せていた腕をおろし、画面を確認する。
魔女レナの降臨だった。意外だと彼は思った。もう二度と、メールも電話もしないと思っていた。
再び目を閉じ、ライアンは電話に応じた。「ん」
気まずそうな様子で彼女が切りだす。「今、平気?」
そんな態度をとられると、すでにおかしな状態に陥っている彼は、さらに微妙な返事になってしまう。
「なんとか」と彼は答えた。「どした」
「──気に、なって」
エリカのことだ。「もうちょい待って。なんか、別の話、ない?」
「別のって?」
「笑える話」とは言ったものの、彼女は自分の好みなど知らないのだったか。
だがレナは答えた。「──今日、レオが、イトコの小学生の女の子とおままごとした。女の子が奥さん役で、レオが旦那さん役。ただいまとかおかえりなさいとか言って、ごはんにするかお風呂にするかとか。あげく抱きつかれて、キスされてた」
その光景を想像し、ライアンは口元をゆるめた。彼もメグが今より幼い頃、相手をさせられそうになったことがある。さすがに恥ずかしいうえ、どうすればいいのかがわからず、ジャックを巻き込んだ。
彼は質問を返した。「お前は? 参加しなかったの?」
「私はしてない。レオがものすごく助けを求める表情でこっちを見てくるんだけど、笑いながらずっと観察してた。あとでものすごく文句言われた」
彼は小さく笑った。「ひどいな」だが、そういう光景を見るのは好きだ。「で、なんだっけ」
「ええと──エリカから、ぜんぜんメールがこなくなったの。私もメールしたわけじゃないんだけど、なにかしたのかなと思って」
「なにもしてねえよ。ただメールの相手してるだけ。扱いかた、わかってきたから」
「そう――。なんか、ごめん。あの娘にメールしようかなとも思ったけど、なんて送ればいいかわからなくて」
「べつに、きたら返すだけにすればいいじゃん。わざわざ嫌な思いしにいくことないだろ」自分が言うのも変なのだが。「たぶん、かなり疑り深い性格なんだわ。あと、嘘つかれんのが嫌いなんだと思う。思い込みが激しくて、自分にやさしくしてくれる相手に執着しやすい。自分を好いてると思ったら、なによりそいつを優先する。だから今は、オレが一番。すげえ勘違いだけど。思い込んだら、周りが見えなくなるんだろうな」自分とは、合わない。
「――やっぱり、あんたにしてよかった」
彼らは、先日の喧嘩が嘘だったかのように穏やかに話をしている。
「珍しいな。褒めてんのか」
「ん――私じゃ、そのうちあの娘を傷つけてたと思う」
おそらくエリカは、神経が図太いようで、実はかなり脆い。「オレも、それは怖い」脆い人間は、壊れるとなにをしでかすかわからない。「けど、まあ、どうにかする」できるかどうかは、知らないが。
「――うん。今度、肉まんとピザまん奢る」
明日は大雪か。そうすればメグが喜ぶか。「それはいいけど。海とか行ったら、勘違いするかな」
「エリカと?」
「うん。誘われてんだ、冬休み中にもう一回遊びたいって」
「──一緒に、行こうか」
「まさか。マシューももう、いいっつってたし。マシューがダメだったら、他の奴もダメだと思う。だから、いい。オレ一人で行く」
「平気?」
「さあ。でも、まあ、どうにか、する」できるかは、わからない。「大晦日とか、散々陰で悪口言ったし。その罪滅ぼしに」する必要があるのかどうかは知らない。
「──ん」
「で、どうなんだ? 海って。勘違いするか?」
「どうかしら。私は、あの子とは違うし」
それはわかっている。「んじゃお前は? 勘違いする?」
「状況しだい」
状況と言われても。「オレと二人で電車に乗って海に行きました。当然、周りに人は誰もいません。寒いし冷たいので裸足になって海に入るようなこともしません。バカみたいに追いかけっこもしません。ただ海を見ながら、寒いわアホ! 潮くさいわボケ! とか叫ぶの」
レナは笑った。
「無理。ただの嫌がらせ。行ったとしても、絶対に後悔するもの」
「だよな」けっきょく、景色などに意味はない。「んじゃ、お前が癒されるものってなに?」
「そうね──可愛いもの。ぬいぐるみとか、キャラクターのストラップとか。あと、動物。小動物」
「ゲーセン? で、クマのぬいぐるみ取るとか?」
「私はいらない」
「やらねえよ。お前じゃねえよ。アホか。ボケか」彼は勢いまかせにつっこんだ。「いや、けど、買い物とか嫌だし。ヴィレに一緒に行くとか、さすがに無理だし。誰かに会ったらどうすんだ」
「うーん。動物園?」
彼が即答する。「くさいからイヤ」
「わがまま。──あの娘はきっと、どこでも喜ぶと思うけど」
その可能性は高いが。「じゃ、お前が行きたいとこ。けど、オレが知ってる奴に会う可能性があるところは無理。ヴィレとかはナシ」
「ん──遊園地」
「どこのだよ。絶対無理。勘弁してください」
「なら、あんたが行きたいところでいいじゃない」
ホテル。違う違う。行かない行かない。絶対無理。「わかんねえ。どこも行きたくない」
「出かけるの、好きでしょ」
「そうだけど」行きたいところ。一箇所だけ、昔から行きたかった場所がある。「──遊郭」
「──は? 遊郭? いつの時代の話してるの?」
ドラマでいえば──いや、何年くらい前だ? 中世の設定だったような気がするが、明確な時代設定はなかったような。いや、そういう問題ではない。女を連れて行く場所ではない。その前にそんなところは、この時代にはない。
「ああ、もうダメだ。現実逃避だ」
レナはまた笑った。
「私はね、夜景が綺麗なところ。それなら、癒される。気がする」
「乙女っぽいこと言うな。アホか」
「失礼ね。──でも、夜なら、いい。港でも、公園でも、川でも──山はイヤだけど。それ以外なら、けっこう、どこでもいい気がする」
「そうしたいところだけど、夜はまずい。よけい勘違いする」
「じゃあもう、海で。ハーバーで。あの娘、インレット・パディでしょ?」
「らしいな」とライアン。
「少し行けば、デイ・ピークの海岸がある。もう少し行けば、ハーバーも」
彼ははっとした。「それでいいや。海でいい。ローア・ゲートの海しか浮かばなかったけど、そっちのほうが近いし」
そこならバスで行ける。ここからでも三十分ほどで着く。そんな場所に、知っている人間がいるわけがない。
「うん。なんなら私も誰か誘って、その近くにいるけど。電話してくれたらすぐに行く」
本音は、頼みたいところだが。「デートの邪魔する趣味があったのか」
「え、ないけど。っていうか、あんたに言われたくない」
彼は笑った。「だよな。けど、とりあえず一人で話してみる。ちょっと気になることもあるし」
「なに?」
「まだ言えねえ。確実じゃないから。でも、とりあえず四日かな。終わったら電話する」
「気になる」
「気にするな。とりあえず、オレはこれからシャワー浴びてゲームする。適当な時間まであいつのメールの相手しながら」
忘れていたが、そろそろ返さなければまずい。
「わかった。じゃあ、夜はいつでも家、出れるようにしておく」
彼はぽかんとした。「は? 家出すんのか?」
「そうじゃなくて。肉まんとピザまんが食べられるように」
納得した。「そんなにオレに会いたいか」
「うん」
またアホモードに突入しているらしい。「正気を取り戻せ」
「正気だけど。ま、いいわ。がんばって、ね」
レナが、変だ。