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草原の果てに

 やまない雨がないように、沈まない太陽がないように、終わらない旅はありません。

 ゆっくりのんびりと行くアリさんとアオムシの旅にも、やがて終わりが見えてきました。

 草原の果ては、唐突に目の前に現れました。

 絡み合う草のトンネルを抜けたアリさんたちの前に、灰色で真四角な、天までそびえる大きな大きな壁。

 それは小さな庭を囲む、コンクリートの塀だったのですが、そんなことはアリさんたちにはわかりません。

「ここが、草原の果てかぁ。あまり素敵なところではありませんね……」

 呟くアリさんの声に、いつもの元気はありません。

 どこまでも直線で、薄汚れた固くて冷たい壁は、青々とした生命にあふれた草花や生き物たちに比べて、あまり美しくないものであるように見えました。

 一生懸命歩いてきて、やっとたどり着いた草原の果てに、とても美しく素晴らしい場所を想像していたアリさんは、ちょっと拍子抜けしてしまっていたのでした。

「そんなことはないよ。ここはとても、素敵なところなのさ」

 アオムシが、さもうれしそうにからだを震わせます。

「でも、ここには優しい葉っぱも、かわいらしい虫も、きれいなしずくもありませんよ?」

 困ったようにアリさんが言うと、アオムシがミドリのからだを伸ばして、上を差します。

「ほら、見てごらんよ」

「上、ですか?……わぁ」

 うながされるままに空を見上げたアリさんは、歓声を上げました。

 そこには、黄色や紫や白の、色とりどりのチョウチョがその美しい羽根を広げて優雅に舞っていました。

 その数は、十を軽く越えていて、そこはまるで、チョウチョの楽園のようでした。


 ひらひら、ひらひらと優雅に舞うチョウチョたちが、驚いたように青空を見上げているアリさんとアオムシの周りに集まってきました。

「あらあら、あなたはタンポポ畑のアリさんね。こんなところまで来て、どうしたの?」

 黄色と黒の、透き通った見事な羽根のチョウチョが、鈴が鳴るような可愛らしい声でアリさんにたずねました。

 アリさんたちがやっとのことでたどり着いた草原の果てまでの道のりは、彼女たちにとってはお散歩のコースなのでした。

 でも、もうアリさんは落ち込んだりしません。チョウチョたちにしか見えないものがあるとすれば、アリさんたちにしか見えない素敵なものだってきっとあるのですから。

「僕は、いろいろなものを見るためにタンポポ畑からここまで歩いてきたんです。今までに見たこともない、素敵なものに、たくさん出会うことができましたよ」

 ちょっと誇らしげに、アリさんが胸を張ります。

 チョウチョはくすくすと、そよ風のようにかすかに笑って、美しい羽根を小さく震わせました。

 キラキラ、キラキラとお日様の光を反射して黄金色に輝く粉が、彼女の羽から無数に舞い散って、それはそれはきれいでした。

「素敵な旅をしてきたのね。そちらの方も一緒に?」

「は、はいっ!」

 優雅な声でチョウチョが尋ねると、アオムシはちょっとだけ赤くなりながら、急いで答えました。

「うふふ、かわいらしいお嬢さんね」

 チョウチョはまた、そよ風のように笑います。

 アリさんは、驚いたようにアオムシの方を見ました。

「アオムシさん、あなたは女の子だったんですね?」

 アオムシはちょっと恥ずかしそうに、はにかみながらうなずきました。

 そして、憧れのこもったきらきらした瞳でチョウチョたちを見つめ、それからふと思い出したようにちょっとだけさびしそうな顔になりました。

 アオムシはそのすきとおった若葉色をしたからだを伸ばして、アリさんの方に向き直りました。

「アリさん、ボクは君とお別れしなきゃならないんだ」

「お別れ、ですか?」

 驚いたように、アリさんが聞き返します。

 アオムシは、ゆっくりと全身でうなずきました。

「ボクはね……ここで、チョウチョになるんだ」

 アオムシがはにかんだ笑顔を浮かべながらつぶやいた言葉に、アリさんが目を丸くします。

「チョウチョに? アオムシさんは、あのキラキラしたきれいなチョウチョに、なるのですか?」

 アリさんは、はぁ〜、とため息をついて空を見上げました。そこには今も、色とりどりの鮮やかなチョウチョたちがひらひらと、青色の中を漂っておりました。

「……だけど」

 アリさんの声がちょっとだけ弱弱しく、小さくなります。

「お別れ、しなくてはいけないんですね……。ずっと一緒にいられるような、そんな風に僕、思ってしまっていました」

 言いながらアリさんは、だんだんとうつむいてしまいます。

「……ねぇ、アリさん。君はこれからどうするんだい?」

 アオムシが少しだけ声を裏返しながらアリさんに尋ねます。その声にアリさんは、わずかに顔を上げました。

「これから? ええっと……」

 アリさんは少しだけ考え込んで、

「僕は、もといた所に帰りますよ。家族や仲間たちが、待っていますから」

と答えました。それは消え入りそうな小さな声でしたが、話すうちにアリさんは自分の言葉にはっとしたように顔を上げます。

「そうだ、僕は仲間たちに、この旅のことをたくさん話してあげるんでした。見たこともないものにたくさんで会えたことや、いつも気づかなかったことに気づけたことや、それに……アオムシさんのことを。ふるさとで待っている仲間たちに、たくさんたくさん、教えてあげるんです」

 アリさんは胸の中に浮かんだ思いを急いでアオムシに伝えたくて、少し早口になって言いました。その声はもう、消え入りそうなものではありません。

「それは、とても素敵なことだね」

 アオムシはうれしそうに、静かにうなずきます。

「ねえ、アリさん。ボクはここで君とお別れすることになるけど、どうか悲しまないで。これからボクはボクにしか見れないものを見ていくし、君は君にしか見えないものを見ていくんだよ。それで、たくさん時間はかかるかもしれないけれど、ボクがいつか、キラキラしたきれいなチョウチョになることができたら、ボクは君の住むところへ、飛んでいくから」

 そう言って、アオムシはアリさんの目をまっすぐに見つめました。アリさんも、アオムシの透き通った目を、黙って見つめます。

 ふたりは同時に、静かに微笑みました。

『その時に、また』


 それからふたりは、くるりとお互いに背を向けて歩き出しました。それぞれの道に向かって。

 空を見上げれば、ふたりの新しい旅立ちを祝福するように、チョウチョたちがひらひらと優雅に舞い、優しい太陽の光がさらさら、さらさらとふりそそいでいました。

最後まで読んでいただきありがとうございました!

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