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雨の草原で

 草原の果てを目指すアリさんとアオムシは、今日も歩き続けていました。アオムシの歩く速さに合わせて、ゆっくりとふたりは進んでいきます。

 時折、背の高い草にまぎれてそっと咲く小さな花や、風にゆらゆらと揺れる、丸くて青い草の実や、でこぼこな土の上をせわしなく駆けては何かに驚いてまん丸になっているダンゴムシを見つけては、ゆったりとそれを眺めたりするもんですからなかなか先に進みません。

 けれども、それでもふたりは少しずつですが確実に、前に向かって進んでいたのでした。

 ある日、草原に雨が降りました。きらきらと透き通った水のしずくが茶色い地面や背の高いまっすぐな草なんかにぶつかっては弾け、小さなかけらをあたりに飛び散らせている、激しい雨でした。

 激しい雨の中でも、アリさんとアオムシは休むことなく歩き続けていました。草原の中で育ったふたりにとって、雨はともだちなのでした。冷たい天然のシャワーが二人のからだを優しく伝い、洗い流していました。気持ちよさそうに目を細めてそれを受け止めながら、ふたりは歩いていきました。

「雨が降ると、一度見た景色もまた新しい景色になりますね」

 アリさんが微笑みながら言うと、アオムシはからだを伸び縮みさせてうなずきました。

「そうだね。ほら、この黄色い花なんて、雨のしずくできらきらと輝いて、まるで宝石のようだよ」

「あ、本当ですね。僕はね、雨の日が大好きなんです。みんなが優しい水のしずくで、きらきら、きらきらと、喜んでいる気がするんです」

 そんなことを言いながら、二人がさらに歩いていきますと、やがてゴウゴウというかすかな音が聞こえてきました。

「あっ、アオムシさん。あそこのところ、川みたいになっていますよ」

 そう言ってアリさんが、道の先を指差しました。アオムシも、その透き通った緑のからだをいっぱいに伸ばして道の先に目を凝らします。

 アリさんの言ったとおり、道の先は降り注ぐ大粒の雨のために、茶色く濁った水がゴウゴウと音を立てて流れる川のようになっていました。

「大変だ! あれでは先に進めませんよ」

 アリさんが、あわてたように言いました。

 雨によってできた川は、とてもとても小さなものでしたが、アリさんやアオムシにとってはじゅうぶんに大きく、また流れも速いものでしたので、とても渡ることはできなそうでした。

「あれ、川のところに誰かいるよ」

 アオムシが、がっかりしてうなだれているアリさんに声をかけました。

 その言葉に、アリさんがゆっくりと顔を上げます。

 川のほとりでしゃがみこんでいたのは、前にアリさんが出会った、精霊バッタでした。

「やあ、アリさんじゃないか。それにアオムシさんも」

 二人に気づいたバッタが、親しげに声をかけてきました。

「これはこれはバッタさん。こんなところで何をしているんです?」

「いや、草原の向こうまで昼ごはんを食べに行こうと思っていたんだけどね。でもこんなになっているんじゃ、いくらオイラでも渡れないやと思ってね」

 バッタが、ひょいと肩をすくめてみせます。その言葉に、アリさんがさらにがっかりした顔になりました。

「バッタさんでも無理なんですか……」

「うん。だから、今日は諦めて帰ることにするよ。君たちも諦めたほうがいいと思うよ〜」

 そう言いながらバッタは、ぴょん、と地面を蹴って去っていきました。相変わらず、素晴らしい跳びっぷりでした。

 去っていくバッタの姿を見送ったアリさんは、ゴウゴウと音を立てるコーヒー牛乳のような色の川を見つめてふぅ、とため息をつきました。

「僕たちでは、この川を渡ることはできませんよねぇ」

「じゃあ、待っていようよ」

 力のない声でつぶやいたアリさんに、アオムシが普段と変わらない、明るい小さな声で言います。

「待っている? 何をです?」

 不思議そうな顔で聞き返したアリさんに、アオムシが嬉しそうに体を震わせて答えました。

「雨がやむのを、だよ」

 それを聞いたアリさんが、灰色の空を見上げました。分厚く重なった重そうな雲からは、水色の雨のしずくがとめどなく流れ落ちてきています。

「やみそうには、ありませんよ?」

 不安そうなアリさんを慰めるように、その透き通った緑の体をゆっくりと横に振って、アオムシは風のようなかすかな声で優しく言いました。

「そんなことはないさ。やまない雨なんて、ないんだよ」


 ふたりは、川のほとりに腰をかけて、ゆっくりと雨がやむのを待ち続けることにしました。

 待つことを決めた二人には、時間はたっぷりとあります。今までゆっくりとは言え歩き続けていましたから、こうして腰をかけてじっくりとあたりを見渡す機会はありませんでした。

 立ち止まってふとあたりを眺めてみると、今まで見えなかった細かなことまで見えてくるのです。

 雨のしずくが川に飛び込むときにできる小さな輪っかの数が、ちょっとずつ違うこと。

 細長い緑の葉っぱが雨のしずくを受け止め、それがだんだんと葉っぱの先に集まって、ぽちゃん、と澄んだ音を立てて川に落ちること。

 じっとりと濡れた青い小さな花が優しい風に吹かれて身を震わせると、細かくなった水の粒をまわりに飛び散らせ、それが静かに煙になって空に昇っていくこと。

 そんなことは、ゆっくりと腰を下ろしてじっくりと周りを見渡さないと見えないものでした。


 長い長い時間が経ちました。

 二人は飽きることもなく、雨に濡れた花や地面や川を見渡してははしゃいだ声を上げています。

 ふと、アリさんが空を見上げました。

「あ、雨がやんでいますよ!」

 いつの間にか、分厚い雲は薄くなり、降り続けていた雨はやんでいました。

「ね、やまない雨はないでしょ?」

 得意そうに、アオムシが言います。

 雨でできた小さな川はまだ残っていましたが、流れが緩やかになってゴウゴウという音もなくなり、水の量もだんだんと少なくなっていくのがわかりました。

 空もだんだんと明るくなっていきました。薄い雲の隙間から、柔らかで暖かい午後の日差しが、静かに顔を出します。

「あ、ねぇ、見てごらんよ」

 アオムシが体を伸ばして、空を見上げながら言いました。

「どうしたんですか?」

「虹が、出ているよ」

 嬉しそうなアオムシの言葉に、アリさんも空を見上げました。

 七色の虹が、うす明るくなった空のキャンバスに架かっていました。

 それはとてもとても美しくて、まるで神様がふたりにくれた、素敵なプレゼントのようでした。

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