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弱い女 5

秀之と別れて二週間が過ぎた。

あれから彼が茉莉花と寄りを戻したのか、そうでないのかは知らない。

あんなに執着していた男の事が、びっくりするくらいどうでも良い相手になっていた。


その間に一条が会社を辞めた。理由は知らない。

秀之と別れた三日後にはもう出勤していなかった。

辞めるという連絡がきた、マネージャーがどうでも良さそうに話した。

そして『だから嫌なのよね。水商売してた女って』と吐いた。


柄にもなく少しだけ、寂しいなんて思う自分がいた。

一条はいちいち鼻につく女だけど、嫌な女ではなかった。

でもきっと、あと5日もすれば一条のことなんて皆忘れるんだろう。勿論、私も。





寒いな。


時間はもう12時を回っている。私はマンションの下の公園のベンチに座って一人、冷え切った両手を擦り合わせていた。

近付いてくる足音に気付いて顔を上げれば、すぐ目の前には陸が立っていた。

彼女はにやっと笑って、久しぶりというより先に一言、寒いねと言った。



「キミから『会いたい』なんて急に電話きたから、どんな顔して待ってるのかと思ってた」


「私どんな顔してる?」


「ん、んんー。ちょっと前髪伸びた?」


「かもね」


私はライターを取り出し、煙草をくわえて火をつけた。


「呼ばれてのこのこ出てくるアンタも馬鹿ね」


はは、と陸は笑う。そしてロングコートのポケットに両手を突っ込んだまま、爪先で小石をつついた。


「キミ、それを確かめる為にわざわざあたしの事呼び出したの?で、こんな寒いとこで一人待ってたの?」


私はその質問には答えなかった。



「今日……さっきまで、何してたの?」


「カノジョのとこ。今一緒に暮らしてんだ。まぁ、あたしが居候してるんだけど」


カノジョ――

あの色白で童顔の女だろう。

陸は家に泊めてくれるなら誰でもいいのだろうか。したたかな女。猫みたいな奴だ。


私は、ふぅんとだけ唸って煙を吐いた。

急に一緒に焼き肉を食べに行った時の事が懐かしくなった。そんなに前でもないのに、あの時私のお皿に手際よく取り分けてくれていた陸と、今の陸は別人のようだ。


「で、キミはどうしたの?なンか悲しい事でもあったの?」


「悲しい事……そうね。どうだろう。もし私が、あんたに戻ってきて欲しいって言ったら、あんたのカノジョ悲しむかしら」


陸は、目をそらして、んんーと唸った。陸の癖だ。私はそれが、結構好きだ。


「悲しまない、ね。だってあたし、カノジョのこと捨てないから」


「……酷い事言うのね」


「はは。散々言ってきたじゃない、キミ」



正直、陸はいつまでも私が好きだと思っていた。鬱陶しいくらい私の周りを彷徨く彼女は、私しか見えていない馬鹿なのだと。

そして離れても、私が少し優しくすれば何だかんだで戻ってくるのだと。

私の機嫌で動かせる女だと思っていたのに。なのにこうして、はっきり断られた。あの陸に。


私はまだ長い煙草を足元に落として靴底で踏んだ。


惨めね、本当に。秀之の事言えないわ。


陸は私の隣りに座った。長い足を真っ直ぐに伸ばして深く腰掛ける。


「あの男とはどうなったの?」


「秀之ね、別れたわ」


「だからあたしに電話したわけだ」


「そうだけど、違う……何ていうか、寂しいのかしら。私も」


「んんー。キミ、友達いないもんね」


「うるさいわね。あんたもそうでしょ。年中私の部屋に入り浸ってたじゃない」


「あたしはいるよ。ただあの時は、誰よりもキミのそばにいたかっただけで」


「そう……今はもう違うのね」


「ねェ、キミ、レズになったの?」


「いえ」


「じゃあ、何であたしの事引き止めるのサ」


自分でもよく分からない。ただ、今一番そばに居て欲しい相手が陸なだけだ。

そこにレズとか愛とか無理矢理押し込まれても困る。


「キミ、本当に自分勝手だよねェ。気分で振り回して、罵って、離れたと思ったら縋ってくる」


「あんたもそうじゃない。勝手に好きになって、勝手に周り彷徨いて、部屋に入り浸って、他に女が出来たら簡単に離れて行く。薄情よ」



自分が今まで陸をどれだけ振り回してきたかなんて自覚してる。レズの彼女を哀れみ、優越感に浸ってたのだって認める。

正直、陸のいないこの二週間、陸のことを考えすぎて頭がおかしくなりそうだった。

それをこの女が知らないまま、カノジョと乳くり合っていることが堪らなく悔しい。


突然、陸が口を開いた。


「あたしとセックス出来る?」


「はぁ?」


「……ごめん。聞いてみただけ」


「……私があんたと寝たら、カノジョの事捨てれるわけ?」


「……」


沈黙。


陸は俯いて、唇を少し尖らせた。

私は暗い空を仰いで真っ白な息を吐く。

そして言った。


「いいわよ別に。今からでも」


「やめようよ……そんな。ちょっと言ってみただけだし」


「本気よ」


「……本当に?」


「怖じ気づいたの?」


陸がじっと私を見詰める。眉間のシワも、真一文に閉じた唇も、必要以上に深刻さを増していた。


陸の手がすっと伸びる。それは私の耳に触れ、近付いてきた彼女の唇が自分の唇に重なった。

私は動けず、膝の上に置いた手をぎゅっと握り締めた。


陸は顔を離すと、クスクスと笑い始めた。

自分の顔が熱くなるのが分かった。


「震えてる」


陸の言うとおり、緊張のため体が小刻みに震えていた。


「無理しなくていーよ。キミはノンケで、あたしはレズ。これは変えようのない事実だし」


「……そうね。無理したかもしれないわ」


私は自分の唇を指先で触れてみた。当然ながら女とキスしたのは初めてだった。


「でも、嬉しいね。死ぬほど緊張した。生きてて良かったよ、ほんと」


大袈裟ね、と私は言った。陸はそれでも笑っていた。そしてその笑い声に、涙が混じっていた。


「ちょっと……なに泣いてるのよ」


私は驚いて陸を見る。長い髪の毛のせいで彼女の横顔はよく見えないけど、地面に落ちた涙は本物だった。

どうすればいいか分からず戸惑っている私に陸は言った。


「あたしネ、昔からこんなだから、普通の恋愛なんて言われても分からなくてさ。初恋は、中学の先輩だった」


「女?」


「ん。まァ話しかけることもできず、卒業式に花束渡しただけで終わったんだけど」


「……」


「それから誰好きになっても辛くて、試しに男と付き合ってみたりもしたけど全然駄目だった。未だに処女だよ、あたし。多分、この先ずっと」


「そうでしょうね。でも、仕方ないんじゃない?そういう風に生まれたんだから」


「仕方ない、か……」


「えぇ」


「そうなんだよね。そう思うんだけどさ、『仕方ない』じゃ割り切れない部分もあるわけで……例えば、んん、好きな人の子供産む事とか」


「それは……確かに。子供欲しいの?」


「欲しいってゆーか、子供連れの家族とか見たらいいなァーって思うよね。それが手に入らないって分かってるなら尚更。で、何か無性に悔しくて、悲しくなって、あァーもぉーってなる。ははっ」


自嘲気味に陸が笑う。

私は何だか胸が痛くなった。


「キミには、一目惚れだった。何か分かんないけど、一瞬で好きになった。あたしの好きでそばに居たわけだけど、やっぱり色々考えると、ね。離れた方がいいよなァーって。キミは男が好きだし、多分将来、普通に子供も産むだろうし。その時あたしはいらないやって思ってたらどんどん離れなきゃって思ってきて。でもね……」


「……」


「キミから連絡来たら出ちゃうし、会いたいなんて言われちゃ飛んで行くしかないし、駄目だね。あたし離れたく、ないです、やっぱり……」


「だから……何で泣くのよ」


戻って来ていいって、私が言ってるじゃない。なのに何で泣いてるのよ。


耳障りなしゃっくりと鼻を啜る音。

わけが分からずイラついた。陸の泣く姿なんて見たくなかった。そんなものを見る為に呼び出したんじゃなかった。

前みたいに、私の言葉のひとつひとつを拾って一喜一憂する彼女が見たかった。

そして、出来れば笑って欲しかった。


「また私の所に来ればいいじゃない」


陸は首を横に振った。


「どうしてよ。好きなんでしょ」


今度は深く頷く。

もうわけが分からない。


「好きだから、居られない」


「はぁ?」


「だってキミは、時間が経ったらまた他の男を好きになるよ。絶対。そしたらあたしはまた、いらなくなるし。ここで別れなきゃ同じ事の繰り返しだよ」


「そんな事ないわよ。もしそうなってもあんたとは良い友達で、」


「その残酷さは、天然?」


涙でぐちゃぐちゃになった陸の瞳が私を睨みつけるように見た。

思わず言葉を失った。

陸のそんな顔を見たのは初めてだった。



「ねェ、順子さん。あたしの事、解放してよ」



冷たい風が、吹いた。








再び一人になった公園のベンチで、私は電話をかけていた。

8回コールで彼は出た。


「もしもし」


時間は1時過ぎ。寝ていたのか、秀之の声は少しかすれている。


「順子……?どうしたんだ、急に」


「茉莉花と、あれからどうなったの?」



急な話に秀之は『えっ?』と素っ頓狂な声を出した。


「茉莉花とは別れたままだけど……ていうか、今何時?」


「1時25分」


「あ、さんきゅ」


「仕事どうなったの?」


「社長には何とか許して貰って、茉莉花と二度と会わない約束で会社には残してもらえた。で……何の電話、コレ。俺明日も朝早くてさ」


「そう。ごめんね。明日仕事終わってから時間ある?」


「いいけど……本当にどうしたんだよ、突然電話なんて」


電話の向こうの秀之が動揺しているのが分かり、思わず笑みがこぼれた。


陸は公園を去る時、泣きながらこう言った。



『弱くて、ごめんね』



真っ赤になった陸の目を見ながら、きっと明日の朝は瞼が酷く腫れているだろうな、と漠然と考えていた。

みんな馬鹿ね。

でも私が一番馬鹿で――弱いわ。



「私が、茉莉花の代わりになってあげる」



弱い人、と誰かが笑った気がした。


その瞬間脳裏をかすめたのは、陸でも茉莉花でもなく何故か、一条あやねの顔だった。








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