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墜ちる女―チカ、26歳―

あぁ、イライラする。




安いチェーン居酒屋で朋子がニットの裾からさりげなく見せたのは、ブルガリの真新しい時計だった。


「あっ!超可愛い!これ買ったの?」


真希の馬鹿が食い付いた。朋子がまってましたと言わんばかりに、これ?と腕時計を撫でる。

私とユリアは白けて顔を見合わせた。


「へぇー、自分で買ったの?」


仕方ないから私も乗ってあげることにした。ここで黙っていたら悔しがっていると思われる。

ユリアも同じ考えなのか、すごいねーと心にもないことを一言。

朋子がますます調子に乗る。


「この前グアム行った時に、旦那が買ってくれたの。こんな高いのいらないって言ったんだけどー」


旦那、という言い方にカチンとくる。前まではのぶくん、と呼んでいたのに二ヶ月前に結婚式を挙げてからすぐこれだ。

憎らしいけど、なかなかいいセンスしてる朋子の旦那。幼顔の朋子には勿体ないくらい、上品なデザイン。つーか、似合ってないよ。


「いいなぁー!私もそんな人と結婚したいな〜」


真希がいつもの甘えた声でそう言うと、朋子が余裕の笑みで返した。どうして真希は素直にそういうことが言えるのだろうといつもながら感心する。


私達は、大学時代からの友達だ。

就職やら結婚やらで疎遠になる友達も多い中、どういうわけか、生活環境も服の趣味もバラバラなこの4人だけは月に一度集まって飲みに行くのが恒例になっていた。


もう今年で26。卒業して、もう3年。


「チカは?」


朋子の声にハッとした。

普通だよ、と笑顔で答えてからさりげなく手元の携帯をチラリと見たけど、着信もメールも来ていない。いつもの不安で、みぞおち辺りがまた重くなった。


「元春くんと結婚しないの?」


朋子がまた聞いてくる。ちっ。うっせーな。こっちはそれどころじゃないんだよ。


「モトはまだ今の仕事始めたばっかだし。私も今は仕事が楽しいから結婚は考えてないかなぁ」


始まった、私の嘘が。我ながら呆れる。

仕事が楽しいなんて大嘘だ。上司にぐちぐち怒られてはうんざりしている。本音はさっさと辞めて結婚したい。だけどそれにはモトの問題を解決しなきゃいけない。

また携帯を見る。着信のLEDが光ったような気がした。勘違いだった。


「でも元春くん、新しい仕事見つかって良かったね。この不況だし」


「ん、まぁね……」



そこでユリアがさりげなく話題を変えてくれた。ありがと、と視線を送ると、テーブルの下で彼女の足が私の足を小突いた。どういたしまして、と。


このメンバーの中でユリアと一番気が合う。真希はどうも素直すぎて手に余るし、常に人よりも上に立ちたがる朋子と話していると疲れる。

なのにどうして集まるのか、自分でもよく分からない。








「おかえりー」


狭いワンルームに帰ると、テレビを見ていた元春がこちらを振り向かずに言った。

同棲して半年の彼氏。友達の紹介で出会った元春とは、初めましてと頭を下げたその日のうちにセックスをした。

付き合ってほしいと彼が言ったので、私は頷いた。その一ヶ月後、さりげなく元春は私の家に転がり込み、気付いた時には同棲していた。もう二十代も後半にさしかかった私は、結婚も考えるようになっていた。


もうとっくに0時を回っているのに、元春はシャワーも浴びてないようだ。

バラエティ番組を見ながら呑気に笑っている。丸まった背中が、上下に揺れた。

私は呆れながら言った。


「早くシャワー浴びて寝なよ。明日も仕事じゃん」


「あー、大丈夫。辞めたから」


「辞めた?」


思わず声を張り上げてしまった。元春はやっとこちらを振り向く。細い目をもっと細くさせて、いたずらをした子供のようにヘラヘラと彼は笑った。


「うん。なんか、違うかなーって」


「は……」


「えー、だから、よく考えたら俺が本当にやりたいことじゃないなーって。やりたくないことやってるつまんねー奴になりたくねーし。やっぱ生きてる限り楽しいことしたいっつーか」


何を言ってるんだろう、この男は。やっと転職し、保険会社の営業を始めてまだ2週間しか経っていないのに。なのに、辞めた?


私は呆れ果ててしばらくの間言葉が出ず、目の前の能天気な馬鹿を見つめていた。すると、それを反論できないからとカンチガイした元春が、調子に乗ったのか得意気に話はじめた。


「やっぱ満員電車とか乗ってつまんねー仕事してるサラリーマンにはなりたくないわけよ。分かる?見つけたいんだよね、俺にしかできねーやりがいのある仕事?みたいな。女にはわかんねーかな。アキもさぁ、本当にやりたいこと探した方が人生楽しいぜ」


後半部分の言葉にキレた。

持っていたハンドバッグを床に叩きつけた。中から化粧ポーチや携帯電話が勢いよく飛び出したのを見て、元春は目を丸くした。


「なに言い訳がましいこと言ってんのよ!あなた馬鹿ですか?どっかの夢見るストリートミュージシャンですか?サラリーマンもできない奴が偉そうな口叩いてんじゃないわよ!金はどうすんの?大体、ここは私の家よ!あんたの言うように私が!やりたくもない!でもやらなきゃいけない仕事で!家賃を払ってるの!あんたが好き放題使ってる水道も、電気も!タダで貰えないって、教わらなかった?大した夢もないくせに!自分の年齢考えて喋れ!もう25だろーが!」


はぁはぁと息切れしながら、私は元春を睨み付けた。


私だって、仕事なんて今すぐ辞めたい。だけどそうもいかないからこうして踏ん張って、あんたの分の生活費まで払ってるのに。本音は早く寿退社したいのに。


しばらく無言のあと、絞り出すように元春は言った。


「チカこそ……もう26じゃん」


「そうだけど……」


よりによって、そこだけ拾わないでよ……。


無神経な言葉に涙が出そうになった。自分の年齢のことで一番焦っているのは自分自身だ。

学生時代の友達は順調に結婚への道を辿っているというのに私の彼氏は金なし家なし甲斐性なしの年下。


いつもなら、元春にごめんなさいと言わせるまで怒るのだけど、今日は駄目だ。気力がない。それは朋子のふっくらとした白い腕で光っていたブルガリの時計が頭から離れないせいかもしれない。


私が深い溜め息を吐くと、元春は子犬のような目でよってきた。


「チカ、大丈夫?疲れてんの?」


あんたのせいだろ。

だめだ、この男。結婚なんてあと何年かかるか分からない。


「……もういいよ」


「なにが?」


「もういい。ほんともういい。疲れた。荷物まとめて、明日までにこの家から出てって」


「なんだそれ、いきなり」


「いきなりじゃないよ。ずっと考えてた」


「じゃあ俺、明日からどこで寝ればいいの?ひでぇよ」


伸びてきた元春の腕を乱暴に弾いて、私は散らばったバッグの中身を黙って拾い集める。


「チカ、ごめん。でも次の仕事はもう決まってんだ」


「……なによ」


「実はさ、地元のツレに紹介してもらう仕事があるんだよ」


「だから、なに」


そこで彼は言葉を濁す。そんなに言いにくい仕事なんだろうか。


「えー、その。裏ビデオの……販売……」


「それ犯罪でしょ」


「まぁ……そうだけど。でも、そんな、大したことねーよ!結構金になるらしいし、座ってるだけでいいって言ってたしこれなら続くかなーって。そしたらさ、チカにネックレス買ってやるよ。欲しいって言ってたろ、なんとかって、ブランドの」


媚びるように笑った元春は、得意気にそう言った。私は床を見つめたまま、答えた。


「分かった。それがあんたにしかできない仕事ってやつね」


「え?あぁ……まぁ、それは」


「訂正するわ。やっぱり今すぐ、出てって」


こうして、私達は別れた。













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