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可愛い女 3

これが他の先生からの命令なら間髪入れずに断っているところですが、世界一愛しい人の頼み。断るわけにはいきません。それに、これを機に江奈先生からご褒美が貰えるかも…なんていう邪な考えに至り、私は3日間だけ城戸の補習相手を引き受けたのです。


「あー。腹へったわ。まじで。ねみーし。この教室あちー」


「……」


目の前の馬鹿は予想以上の馬鹿でした。

先程から文句を言うばかりで一向に終わる気配のない課題プリント。私は何度ため息をついたでしょう。


「さっさと解いてよ。帰れないじゃない」


「んー」


「これがあと2日も残ってるなんて地獄」


「うっせーなぁ。今考えてんだろーが。口うるさい女は好かれねーぞ」


「大丈夫。あんただけには死んでも好かれたくないから」


「大丈夫。もし世界で俺ら二人きりになってもお前だけは抱かねぇ。それくらい嫌いだから」



……死ね。




しばらく流れた沈黙。

時計の針がカチカチと異様に響いています。

目の前の城戸は相変わらず頭を抱えたまま動こうとしません。


もう5時45分。夏の夕方は、まだまだ暗くなる気配がなく、誰もいない教室と、静かな廊下。

少し、図書室にいる時の感覚に似ているかもしれません。


城戸の茶髪が、窓から入ってきた風に揺られるのを見ました。同じく私の髪も。


ああ、そうか、同じ空間にいるからか。と、当たり前のことにハッとしました。

そういえば、誰かとこんな風に向き合ったのは初めてかもしれません。こうやって、自分以外の人と教室に残ったり、喧嘩をすることも、勉強するのも。だって私は……


「できた」


突然かけられた言葉。気付くと気だるそうな顔した城戸がプリントを私の方に差し出していました。


「あ、うん……」


それを受け取り、採点していきます。ほぼ不正解でした。


「あんた、本当に馬鹿なのね」


呟くように発した言葉に、城戸は反論してきません。

どうしたのだろうと顔を上げると、頬杖をついた城戸と目が合いました。私が採点している間、ずっとそうして見ていたのでしょうか。驚いて反射的に視線を反らしてしまいました。


「お前さぁ、何でいつも一人なの」


馬鹿にしているわけでもなく、心配してる風でもない。

純粋に疑問に思ったから尋ねてきたのでしょう。



「別に。友達なんかいらない。面倒でしょ。自分のこと話したり、相手のこと聞いたりするの」


「だから誰ともつるまねーの?」


「うん」


ふぅん、と城戸が息を吐く。

少し微笑んでから彼は言いました。


「強いね」


「別に……」


別に……なに?

自分で言ったそのあとの言葉が続かずに口を閉ざしました。城戸はそれ以上何も言いませんでした。




やっと城戸が全問解けたのは辺りがすっかり暗くなってからでした。

意外なことに職員室に江奈先生の姿があり、つい胸が高鳴りました。

江奈先生の性格的にさっさと帰っていたのかと思っていたけれど、どうやら先程までほかのクラスの生徒から恋の相談を受けていたらしいのです。絶対女子だ。チッ。


「んじゃ、もう帰っていいぞー。安達、ありがとうな」


「いえ……」


「あ、城戸。もう外暗いからちゃんと安達送ってってやれよ」


「へいへい」


何て優しいんでしょう、さすが江奈先生。女子への配慮完璧です。

それに比べて茶髪馬鹿はひとりさっさと職員室をでてった行きました。


「江奈先生、あの……」


「ん、どうした安達。やっぱ補習の手伝いなんて嫌か?」


「いえ……その、」


「お前も悩み事か?女の子は大変だなぁ」


「……何でもありません。失礼します」



きょとんとする江奈先生をあとに、私も職員室を出ました。

廊下には誰の姿もありません。あいつは私と同じ電車に乗りたくなくて、先に帰ったのです。好都合でした。私も城戸と一秒でも長く同じ空間にいたくないので。


下駄箱につづく階段を降りながら、先程まで見ていた江奈先生の顔を思い出しました。

江奈先生に相談したという女子は、一体何を相談したというのでしょう。

毎日靴にゴミや画鋲や死ねと書かれた紙が入っているよりも深刻な悩みでしょうか。


「言えなかった……」


つい声に出してしまいました。

私と江奈先生以外誰もいない職員室。告白するには絶好のチャンスだったのに、フラれたら次に行けばいいだけなのに、好きですと言えなかったのです。この私が。


どうしてなのか考えても分かりませんでした。

分からないまま下駄箱へ着きました。


「おせーぞ」


靴箱にもたれかかってズボンのポケットに両手を突っ込んで立っている城戸がいました。

彼はもうスニーカーに履き替えています。私を待っていた?はっ。まさか。


「先に帰ったと思ってたわ。というか、そうしてほしかったけど」


「いや、さすがにもう暗いし」


「ふぅん。あんたでもそういう気も遣えるのね」


城戸が嫌な顔をしました。私は気にせず自分の靴箱に向かいます。

そして靴を取り出した瞬間、どこの身の程知らずが書いたか分からないラブレターがひらひらと地面に落ちました。

城戸が興味深そうにそれを拾ってまじまじと見つめました。


「おーラブレター。お前何でモテるんだろうな。誰よりも性格わりーのにな」


「誰よりも可愛いからよ」


私はラブレターと城戸を一瞥してからローファーに履き替えました。

そして、おや、と首を傾げました。

いつもお約束のようにあるはずの嫌がらせが今日はないのです。


「なぁ、これ誰が書いたか見てみようぜ」


「え?あぁ……」


彼女たちは低レベルな嫌がらせに飽きたのでしょうか。私が何も反応しないことに。


城戸が面白そうに封筒を開けました。中から手紙を出てきます。

胸騒ぎがしました。


「……やめて!」


私がそう叫んだのと、城戸が手紙を開いたのは同時でした。そのあとすぐ、城戸の顔が強張ります。あぁ、やっぱりかと私は思いました。


「……名前書いてねぇわ。つまんね」


城戸はそう言ってすぐに手紙を封筒に戻しそのまま小さく丸めて自分のカバンに入れました。

そして、早く帰ろうぜとさっさと歩き始めます。


「なんて書いてたの」


「知らね。ちゃんと見てねーし」


「返してよ、私のよ」


「嫌だ」


「いいから。別に今更、傷付いたりしないから」


そう言うと、城戸は歩みを止めてゆっくりとこちらを伺うように振り返りました。


「返して」


もう一度、今度は先程より強くいいました。城戸は少しの間躊躇したあと、ぐちゃぐちゃになった封筒を私に差し出します。

私はそれを受け取り、丁寧に開きました。


死ね。


いつもと同じ文字が赤のマジックペンで大きく書かれています。

そして封筒の中には、ご丁寧にカッターの刃先が入れられていることに気がつきました。

私はこのことよりも、これを城戸のような男に見られたことを恥じました。


「これで死ねって?下らないわ」


そのまま歩いて近くのゴミ箱に投げ捨てました。

城戸は何か言いたげに私を見ています。私はいつも通りの表情で、髪を左手で靡かせてから下駄箱を出ました。


「お前、いじめられてんの?」


あぁ鬱陶しい。


「馬鹿言わないで。いじめられてるのはブサイクに産まれてきた彼女達の報よ。本当にブスって、哀れだわ」


「誤魔化すなよ。いつからだよ。俺からやめるように言ってやろうか?」


「あんたに関係ない」


「でもあんなの酷すぎるだろーが。カッターまで……」


「忘れて。誰かが気にしてると私まで気にしなきゃいけないでしょ。大丈夫なのに」


「大丈夫って?そうは見えねえな」


「大丈夫だってば。大丈夫じゃなかったら私、まるで可哀想な子みたいじゃない」



私は絶対に、可哀想じゃない。

自分で自分を可哀想なんて思わない。だって、美しいもの。可哀想なわけがないもの。



城戸がよく分からない、微妙な表情をしました。泣きそうなのか、怒ってるのか。そうだとしたら、なぜ彼がそんな感情にならなければいけないのか。

でも私は分かっています。城戸は私に同情しているのです。こいつみたいな人間はたくさんいます。人の粗に首を突っ込んできて勝手に大騒ぎする、友達も多くて明るい性格の偽善者なのです。


「安達、」


「なに」


「お前、泣いたことある?」


「ないわ。哀しくて泣くのはブスの役目でしょ」


城戸を振り切るように私は走りました。同じ電車に乗らないように。




泣いたことある?――



どうして城戸はそんなことを聞いたりしたのでしょう。


あぁ、見られたくなかった。

だって私はこれしかない。

この美しい顔しか持っていない。

他には何も……ない。





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