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可愛い女 2


朝一番に嫌な顔を見た私は思わず声を漏らしました。


「うわ……」

「オイうわって何だ、うわって」


通学中の駅でばったり会ってしまった城戸健介。

まさか同じ電車を使っているなんて知らなかったのです。

それとも、今まですれ違っていたけれど、城戸健介という人間を特に意識していなかったため視界に入らなかっただけなのでしょうか。


何はともあれ、私が無視して電車に乗ると、城戸も続いて乗ってきました。あろうことか私の隣りに立っています。


「ちょっと、」

「あ?」

「違う車両行ってよ。激しく目障り」

「テメェが行けよ」

「嫌よ。この車両が一番改札に近いんだから」

「俺だってそうだよ」

「じゃあせめて離れてよ!」

「離れてぇけど満員で動けねぇんだよ!」

「痴漢!」

「殺すぞ!」


後ろに立っていたサラリーマン風のおじさんが迷惑そうに咳をしたことで、私達の言い争いは終わりました。

馬鹿馬鹿しい、と私は城戸を視界に入れないよう顔を背けます。

こんな茶髪馬鹿と一緒にいたら、私まで馬鹿に見られる。それだけは御免なので。


電車が駅に着くと、早足でドアを抜け、アイツの姿を確認することなく改札を出ました。

あぁ、今日はろくな事が無さそうだ。

そう思いながら開けた靴箱。

上履きの上にバナナの皮が置かれています。


「……」


どいつもこいつも馬鹿ばっかり。

コソコソ嫌がらせするしか脳のないブス共が、せっせと私の靴箱に悪戯しているのでしょう。ご苦労な事です。それにしても、バナナの皮は初めてでした。きっと知能も猿並みなのだと思います。

私はバナナの皮をペッと床に投げ捨て、中に画鋲が入っていないことを確認してから上履きを履いきました。この間、画鋲に気付かず履いてしまい、靴下に血を滲ませてしまったので。

普通の人なら毎日毎日繰り返される陰湿な嫌がらせに気が狂いそうになるかもしれませんが、私は違います。こんな事でいちいち痛める心や、流す涙など持ち合わせていません。

だって私、可愛いもん。

そりゃあ、嫉妬の100や200買うでしょう。時々ブスが羨ましい。だって嫉妬とは無縁ですから。

しかしそれが私の宿命なのでしょう。美しく生まれた者にはそれなりに背負うリスクがあるのです。そう考えると、人生って平等です。いや、それはない。やっぱ世の中顔だと思います。







「おい!城戸!」


移動教室への最中、廊下中に響き渡る馬鹿デカい声。

誰もが声のした方を驚いて振り向くとそこには、生徒指導の田淵に首根っこを掴まれている体育のジャージを着た城戸健介の姿がありました。


「んだよ、うるせーな」


ふてくされた様子で城戸が言うと、田淵は顔を真っ赤にしてまた怒鳴りました。

その周りでは、城戸の友達と思える数人の男女がニヤニヤしながら、城戸をからかっています。馬鹿は友達が多いのです。


「城戸お前、昨日図書室の掃除サボって帰っただろう!」

「サボってねェーよ!ちゃんと行ったわ!」

「嘘つくな!」

「嘘なんてついてねぇ……」


パッと城戸と目が合いました。

わざと意地悪く、にやっと笑ってやると(多分この顔すら可愛い)彼の眉間にシワが寄りました。


「あ、安達すみれ!なァなァ、昨日図書室で会ったよなァ!」


馴れ馴れしい、と私は舌打ちしたくなるのを抑えました。


城戸の一言に廊下がざわつきました。誰もが私と城戸を交互に見ています。

こんなアホと友達だなんて思われたらたまったもんじゃありません。


「安達、本当なのか?」


田淵先生までが、半信半疑という表情で私に話を振ってきたので逃げられなくなりました。くそ、余計な事を。


「……本当です」


周りの生徒が『え!安達さんと城戸って仲良いの!』という顔をしているのが分かり、血の気の引く思いです。

城戸が安心したように息を吐きました。

私はにっこりと満遍の笑みで田淵先生に笑いかけて言いました。


「でも城戸くん、私に散々暴言吐いてから何もせずに図書室から出て行きましたけど」

「なにィ!本当か!」


今度は皆、『えっ、あの安達さんに暴言を!』という表情で城戸を見ました。単純な人達だな、といつもながら思います。ですが、単純こそ幸せだということを私は知っているので、羨ましいとも感じます。

生徒指導室へ連行されてる城戸を見送りながら、私はこっそり呟きました。

哀れな奴、と。


私は何事もなかったかのように踵を返し、科学の教科書を抱えて次の授業へと向かうのでした。







「全員揃ってんなー」


理科実験室の教壇に立った江奈先生(27)は、気だるそうにそう言いました。

無造作な髪の毛に少し垂れ目がちの目。背は高く痩せ型のスタイル。白いシャツの袖を肘まで捲った江奈先生は、同世代の猿に毛が生えたような男の子達とは違い、男の色気がムンムンと漂っています。

その姿に今日も見とれ、思わず熱い溜め息を吐きました。

そう、私は今、恋をしているのです。化学の教師、江奈紀一先生に。

だから化学の授業がある日は風邪を引いたって絶対に休みません。


無気力・適当・女好き(但し20歳以上の女に限る)が江奈先生の代名詞。

だから授業に遅刻してくることも少なくないし、いつも授業終了のチャイムが鳴る五分前には必ず終わります。

でも他の先生達とは違い、スカートが規定よりも短い女子やピアスを開けた生徒を怒鳴るなんてつまらないことはしないし、細かい事も気にしないので男女問わず人気があります。


「じゃあ、先週やったテスト返すからな」


江奈先生はそう言って、束になった全員分の解答用紙を見せ、順番に名前を呼び始めました。


「俺、今回点数良かっただろー!」


クラスのお調子者、秋田君が一番後ろの席から叫びました。

先生は溜め息混じりに秋田君を呼ぶと、その長い指に挟んだプリントを渡しました。


「テメコノヤロ秋田。全然最悪だったわ」

「嘘だぁ……げぇ!55点!赤点ギリギリじゃん!まじやべー親に殺される!」

「な、やべーだろ。やべーんだよ、ホント。俺の立場もねーから。校長に殺されるから。頼むからちゃんと授業聞け。次、安達ー」


「はい」


私は両足を地面にしっかりとつけ、真っ直ぐ江奈先生の方へ向かいます。

私は、江奈先生が私の名前を呼んでくれるだけで胸が切なくなるのです。あぁ、緊張で手が震える。

江奈先生の目の前に立って恐れ多くもその顔を見上げました。この高校に入学して3年目、見慣れた筈なのに、どこか上品で端正な顔立ちに私の顔が熱くなります。先生の伏せた瞼から伸びる睫につい視線をとられました。


「ん、」


先生の手からそれを受け取り見れば、プリントの右端に赤い百点の文字。嬉しさの余り、やったぁ……と小さく呟くと、頭の上に影ができました。


「安達だけだわ、優秀なのは。まじで」


にこりともせずにそう言った先生の大きな手が、ふわりと頭に乗りました。

息を止める。体が動かない。呼吸困難になるかと思うほど。みるみるうちに顔が赤くなっていくのが分かり慌てて俯きました。

嫉妬に駆られた男子達が『江奈ちゃん、安達さんにセクハラすんなー』と野次を飛ばしてきます。

この学校にいる生徒達のほとんどは男女問わず、江奈先生のことを『江奈ちゃん』と呼んでいます。

江奈先生の教師らしからぬ風貌と、誰に対しても平等で友達のように気軽な性格がそうさせるのでしょう。

だけど私は、『江奈ちゃん』なんてふざけた呼び方は絶対にしません。他の皆と同じ事をしていては意味がないのです。


男子達から投げられる嫉妬の言葉と、女子達の白けた視線が突き刺さる中、先生は私の頭に置いていた手をどけて面倒くさそうに首を掻きました。


「うっせーガキ共。頭撫でて欲しかったら百点取りやがれ。あと俺がセクハラしてぇのは釈由美子だけだ。はい次、石川ー」








授業が終わり、クラスメートは全員実験室から出て行きました。昼休みで購買に走る者が多かったので、あっという間に私一人になり、それが好都合でした。

先生はいつも授業が終わると奥の準備室にいます。

私はノックをしてから準備室に入りました。


「あの、江奈先生」

「あ……なんだ、安達かどうした」


江奈先生が少し焦ってこちらを振り向きました。

その薄い唇にくわえている煙草からは既に細い煙が上がっています。

火災報知器に引っかからないよう、窓を開けて煙を逃がしているところでした。


「あの、」


私が口を開いた瞬間、準備室のドアが大きな音を立てて開きました。

驚いて振り返ると、天敵城戸健介が立っています。


「あ!安達すみれ!」

「……」


え、デジャブ?図書室プレイバック?


愛の告白を見事邪魔された私は怒りすら通り越し、ただ呆然と目の前の空気が読めない男を見ていました。

城戸健介はそんな私の心境など何も分かっていない様子で通り過ぎ、真っ直ぐ江奈先生の元へ駆け寄りました。


「江奈ちゃーん、お願いがあるんだけど」

「何だ城戸か。どうせ成績上げてくれとかそんな事だろ」

「おしい!今度の補習見逃して!」

「無理。今回赤点なのお前だけだぞ」

「じゃあいいじゃん!江奈ちゃんも補習なんてするの面倒くさいだろ」

「やらねぇと上からグチグチ言われんだよ。遊んでねぇで真っ直ぐ家帰って進研ゼミでもやってろバカヤロー」

「ケチ!準備室でいつも煙草吸ってること他の先生に言うぞ!生徒に悪影響だ!」

「……」


学期末テストで40点以下の赤点を取った生徒は、一週間の補習授業があるのです。

しばらく睨み合う二人でしたが、江奈先生が仕方なさそうに煙草を消しました。


「しゃーねぇな。今回だけ特別だぞ。俺も正直だるいし」

「やったー!さすが江奈ちゃん!」

「サービスで3日にまけてやる」

「え……」

「そんで教えるのは俺じゃなくて、」


忘れられたように突っ立っていた私を江奈先生が見ました。嫌な予感に汗を滲ますと、江奈先生の口端がにやりとつり上がります。


「安達、よろしくな」



あぁ……その笑顔が眩しい。









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