可愛い女―すみれ、17歳―
この世に確かなものなんてひとつもない。
例えばどれだけ愛の言葉を囁いたとしても、それはその場しのぎの戯れ言でしかないし、人の心ほど変わりやすいものはないのだから。
だけどひとつだけ、絶対と言えることがある。
それは私が、美人だというです。
小さい頃はよく芸能事務所から子役としてスカウトされていました。そういう俗っぽいことが嫌いな母親は話もろくに聞かず追い返していたようですけど。
小学校高学年になると、近所でも評判の美少女だと噂になり、中学に入ってすぐ、5人から告白されました。
陰湿な女子から嫌われ始めたのもこの頃です。
私はまだ解りませんでした。いつも乱暴な男子達が何故私にだけは優しいのかを。
女の子達はみんな口を揃えて言います。
必ず苦笑いを浮かべて。
「すみれちゃんが美人だからだよ」
高い鼻に白い肌。二重の線がくっきりと緩い弧を描いている母親譲りの目。輪郭はシャープだし、薄い唇から見える白い歯は全て同じ大きさで統一されている。
私は思いました。薄々気付いていたけど再確認しました。
あぁ。私はやっぱり、人より可愛いのか……と。
そして今現在、18歳になった私はその自身の美しさをちゃんと自覚した上でそれに相応しい生活をしています。
振った男は数知れず。面倒くさくて途中から数えるのもやめてしまいました。
影で悪口を言う女達のことも、面倒くさくてどうでも良くなりました。
所詮は可哀相な女共の僻みでしかないのだから。
付き合った男は一人だけ。相手は一学年上のトオル先輩。かっこ良くて頭もいい人気者のトオル先輩に告白された時は、嬉しさの余りガッツポーズしたのを覚えています。
だけどいざ付き合ってみると、中身の薄いただの自信過剰な男でした。
お前、俺と付き合えて幸せだな。と言われた瞬間、氷河の如く冷めました。食べていたアイスクリームを投げつけ、それはこっちの台詞だよと捨て台詞を吐き。
バニラ味のそれはトオル先輩の黒い学ランにべったりと張り付き、彼の間抜けさに拍車をかけていました。蝉が五月蝿い8月の公園で、ただ呆然と立ち尽くしていた彼を覚えています。
何とも間抜けな光景でした。
まぁ、よく見れば唇の形も変だし鼻も低いし、ペットボトルの飲み方も嫌だったな、とそんなことを考えながら私は一人で帰ったのでした。
全学年の美人ランキングでは、当然の如く三年連続ぶっちぎりの一位を誇っています。ありがとうございます。
私が廊下を歩けば学年問わず誰もが振り返り、男たちは何とか私の携帯番号を聞き出そうと必死なのです。
だけど私は決して媚びたりしません。媚びるのは、中途半端な女のすることなのだとテレビで私の尊敬する某女優が言っていましたから。男に媚びる女のことを人は、ぶりっこやら、雰囲気が可愛いやらと掴みようのない言い方をします。
「なぁ、週末暇?」
放課後、上履きからローファーに履き替えている時、そう声をかけてきたひとりの男子生徒。
日焼けした肌が男らしい(と勘違いしてそうな)クラスメートです。
そいつの目、仕草、喋り方。全てから根拠のない自信満々なオーラが出ているのが分かります。
一般的に見ても私的にも、決してかっこいいわけではない。なのにどうしてそこまで自惚れることができるのか理解に苦しみます。
暇じゃない、とそっぽを向くが、馬鹿な男はしつこい。
「旅行、行きたくねぇ?それも京都の高級旅館に泊まれるんだぜ」
「はぁ?」
「なんなら北海道でもいいぜ。沖縄でも。うちの親父、旅行会社の社長でさぁ。金なら全部俺が出すから心配しないで」
「どうでもいい」
これだけ冷たくしているのにすがりついてくる男達はみんな馬鹿です。どうして自分達レベルでこの私を落とせると思っているのか、不思議でたまらない。
いくら運動ができても、テストの点数が良くても、そんなこと私には全く関係ないのです。要はハートの問題。
ある日の放課後、私は授業で出された課題について調べるため図書室を訪れました。
図書室には誰もいません。
忘れ去られたようなこの空間が私は嫌いじゃないのです。
一人参考書を手にとり、のんびりとイスに腰掛ける。
何の音もせず、誰の声も聞こえない。
木造づくりのこの部屋は、本と檜の匂いがする。
私はそっと瞼を閉じました。無音の中にいる安心感。癒やしとはまさにこの事。
突然、図書室の扉が勢い良く開きました。乱暴な音が静寂を保っていた部屋に響き渡るのを聞いて先程までの穏やかな気持ちが一気に下がった。
入って来たのは、明るい髪色をした一人の男子学生。顔を見た瞬間にピンときました。
悪い噂しか聞かない人物。
中学の時人を刺したとか、入学当時三年に呼び出されて逆にボコボコにしただとか、九九は5の段までが限界だとか。名前は……忘れた。
同じ学年なのは確かだけど、一度もクラスが被ったことはないので。
相手は私を見ると、一瞬眉をしかめた。
「うおっ。安達すみれじゃん」
いきなり呼び捨てにされ、決して気の長くない私も眉をしかめます。
一度も話したことがないのに、彼はどこか敵意を含んだ瞳でツカツカと歩いてきました。腰まで下ろしたズボンが鬱陶しい。
「へぇ、意外」
彼が言った。
「勉強とかするんだ」
「悪いの?」
「別に。終わったならどけよ」
……そう、この私に。
「嫌よ」
すかさず私は睨み返します。
彼は益々不機嫌そうな顔をしました。私にこんな態度を取った男は初めてです。
「そこは俺の席なんだよ」
「あんた馬鹿?それともイスに名前でも書いてんの」
「今決めたんだ」
「どうでもいいけど私から一番離れた席に座ってよ」
「うるせえ。いいからどけよ、ブス」
「ブス?あんた今、私にブスって言った?」
「うん、てめぇに言った」
憎たらしいくらいの笑顔。こいつ、ムカつく。
すると彼は私の目の前のイスに座りました。にこにこと笑顔を浮かべているけど、腹黒さが滲み出ている。
「前々からてめぇは気に食わなかったんだ」
「そんな風に言われる筋合いないんだけど」
「気付いてねぇの?」
「あんたの名前すら知らないし」
「城戸健介」
「自分から名乗ったくせに、次に私と廊下ですれ違ってもシカトされてもっと傷つくことになるわよ」
「高飛車な勘違い女が」
「あんたこそ調子乗ってんじゃないわよ」
何て嫌な男でしょう、城戸健介。
しかし多分それは相手も同じ。
だけど恨まれる覚えなんてありません。
過去に振った男たちの一人かもしれないと城戸の顔面をまじまじと見てみるけど、ハニーフェイスを気取ったこの男と喋った記憶さえありませんでした。
「お前は」
城戸が口を開いたと思えば、
「性格が悪い」
真っ直ぐした瞳でそう言い切った。
先ほどまで穏やかだった図書室の雰囲気がガラリと重いものになっています。全てこの男のせいだ。
私も負けじと睨みつけた。
「お前は俺の友達に酷いことを言った」
「はい?」
「5組の佐々木って知ってるだろ」
5組の佐々木……あぁ、そう言えばそんな名前の奴が前に告白してきたこともあったっけ。
私は拙い記憶を辿ったが顔はおろかどうやって告白されたかも思い出せませんでした。私は記憶力が良い方じゃないのです。
「お前、佐々木の告白になんて返したか覚えてるか」
「覚えてない」
「お前は、こう言ったんだよ」
『私を好きって?それがどうしたのよ。どうせアンタ、何の取り柄もない馬鹿でしょ。えーっとほら、さっきだって頭悪そうな友達と来てたじゃない』
「……」
暫く沈黙が続いた。
本当にそう返したのか覚えていないけど、私なら言いそうです。
「その時、安達すみれに告白するから着いてきて欲しいと佐々木に頼まれ、そして着いて行ってやったのが俺だ」
「あぁ、その、いわゆる……頭悪そうな友達ね」
「テメェ!」
あぁ、うるさい。だから馬鹿って嫌いなのよ。
「ちょっと、図書室では静かにしてよ」
「あぁ、悪い」
「あ、そこは素直なんだ」
「文句あんのか」
「もう、うるさいってば」
露骨に顔を歪めて耳を塞ぐ仕草をした。
とにかく、と城戸健介は立ち上がった。
「男が全員、お前の事を好きだなんて思ってんじゃねーぞ」
「アンタここに何しに来たの?」
「うっせぇ!何でもいいだろ!用があったけど、テメェがいたから帰る!」
「そう。じゃあ気をつけて」
「ほざけ」
来た時と同じように、大きな音を立ててドアを閉め、城戸健介は帰っていきました。騒がしい男です。知性の欠片もありません。いちいち声を張り上げ、暴言を吐く。私の一番嫌いな人種です。
そして私は今日も、自分の靴箱に入った女子の仕業であろう『死ね』と書かれた紙を丸めて捨て、道行く男達の視線を奪いながら家路をたどるのです。