恋人形は、時計の針を静かに進める
秋の夜長に、静かにこころに染み入る物語を。
そんな想いで書きました。よろしくお願い致します。
降り始めたばかりの雨の匂いが、長年の執着と同じに染み付いた研究室のオイルの臭気を洗い流す。
魔導炉に、最後の部品の一つを加えたギュリブルは、感慨深げに、けれどどこか疑わし気な陰りを宿した瞳で、じっと目の前の存在を見詰めた。
(これで、積年の想いが叶う⋯⋯はず)
詰めていた息を、細く長く吐き出す。
完成したばかりの、目の前の機械人形にその息を宿そうとするように。
最愛の妻が亡くなって十年。
彼はまだ、彼女の死を「過去」と呼べなかった。
公爵家の嫡男として生まれた者にしては珍しく、ギュリブルの婚約者に選ばれたのは、単なる政略の相手ではなかった。
隣り合う領地を治める、とある伯爵家——母親が仲の良い従姉妹同士だったこともあり、年齢の近かった両家の子供らは幼い頃から揃って交流を深めていたのだが——そこに、彼女は居た。
透き通る月の透明感を纏った、真っ直ぐに流れる銀髪を靡かせる、蒼い瞳の少女。
病弱で、体質そのままの庇護欲を掻き立てる儚げな容姿を持ちながら、けれど彼女の性質は真逆だった。自立心に富んだ彼女は、何かと世話を焼こうとするギュリブルを徹底的に鬱陶しがった。手を貸そうとすれば「余計なことを」と上目遣いに唇を尖らせ、休みがちだった学園の課題も、他人の手を借りずにコツコツと熟した。
可憐で嫋やかな容姿に、心根の強さを持った美しい令嬢へと成長してゆく彼女。そんな従妹のギャップに、ギュリブルの心は年々思慕の念を重ねて行く。
そんな日々を繰り返す中、彼女とギュリブルの婚約は調った。
「私が妻にと求める相手は、彼女ただ一人です。政略で相手を選ばねばならないのなら、私を廃嫡してください。私は唯一の愛する人に心を捧げ、魔導機械研究で身を立てて行きますから」
当主である父から婚約の話があると告げられ、ギュリブルは、話を聞く前に勢い込んで声を上げた。公爵家の令息らしくない研究者肌のギュリブルは、学園では領主教育にはそれなりの成績を治めつつも、魔導機械研究にのめり込み、寸暇を惜しんで研究に没頭していた。研究仲間以外との社交は壊滅的だったが、自頭の良さで人間関係は淡白ではあるものの卒なく行って来た。それもこれも、愛する唯一とも呼べる、幼馴染の伯爵令嬢と添い遂げたい一心で、だ。
ギュリブルの言葉は、身分を賭けた必死の交渉のつもりだった。が、父は眉間に深い皺を刻んで大きく溜息を吐き、母はコロコロと笑った。
「貴方の気持ちなんて、みんな気付いていましたよ。いつ自分から言い出すか、待ち兼ねていたくらいなんですから。ようやく聞けましたね」
早速従姉妹へ報告しなくては、とホクホク顔で告げられて、目を白黒させるギュリブルに、父公爵はさらに追い打ちをかける。
「お前は大抵のことは上手く熟してしまう、天性の要領の良さと才覚を併せ持っているが……。自分に掛かる感情の機微にだけは、どうしてそうも鈍くなってしまうのか」
呆れ返った言葉に、ギュリブルは真っ赤な顔で口籠る事しかできなかった。そんな誰の目にも明らかなほど、初恋で幼馴染の彼女に惹かれていたギュリブルの婚約は、周囲から大いなる納得を以て受け入れられる形で整った。
不器用な程に一途で生真面目な公爵令息と、儚げな愛らしさと芯の強さを兼ね備えた伯爵令嬢との婚姻は、貴族界からは「真実の愛」として羨望の眼差しを集め、持て囃された。
――けれど人の命には期限が在る。まして、もとより病弱だった令嬢なら尚のこと。
唯一最愛の彼女は、息子の成人と同時に公爵位を継がせたギュリブルが、病弱な彼女との時間を出来るだけ永く取ろうと環境を整えた直後、呆気なくこの世を去ってしまった。
冷たくも思える最期の言葉を遺して。
「ギュリブル。わたくしの生命はわたくしだけのもの。わたくしの想いも、わたくしだけのもの。わたくしは全てを抱いて逝きますから、あなたは、あなただけの未来へ――」
愛情深い上に、不器用すぎるギュリブルの身を案じた彼女が、まだ30代の若さで遺される彼の、これからの人生を思い遣った言葉だった。
けれどギュリブルには、彼女の居ない世界など考えることが出来ない程には、彼女を愛していた。滂沱の涙を流し続け、一刻も離れようとしない。
「私には、君しか考えられないんだ。君無しの人生なんて、無価値で、無意味で……」
「――生き、て!」
絞り出す声で、けれど突き放す強さで。それが正真正銘、最期のひとことだった。
◇◇◇
成人したばかりの若きディセプション公爵家当主は、父親譲りの才覚と、母親から引き継いだ勤勉さで、瞬く間にに周囲の貴族らから一目置かれる存在となった。
妻亡き後、さっさと公爵邸を離れて辺境の別邸へと移り住んでしまった前公爵が、隠者の如く引き籠って顔を見せなくなってしまったのだから、領民らの為やらざるを得なかった、と云うのもある。
独り身となったギュリブルは、学生以来の魔導機械研究を再開するのみならず、世捨て人の如く周囲との交流を断って研究に没頭した。
「君を取り戻すんだ」
不器用なほどに一途で、切なる想いだけを胸に抱いて。
そして十年の月日が経った雨の降りしきる中、締め切られていた公爵家別邸の鎧戸が、晴れやかに大きく開かれた。
固唾をのんで、自身の最高傑作を見詰めるギュリブルの目の前には、一体の魔導機械人形が佇んでいる。
そこに居るのは――十年前の姿そのままの妻。
いや、妻を模した魔導機械人形だった。
染みひとつない肌は、人間離れした陶磁器の滑らかさ。けれど瞳だけは、彼女そのままの儚げでありながら清廉な蒼。
「……わた、く、しは?」
訥々とした音が、能面の如く動かない表情のままの唇から漏れ出る。
「やあ、また逢えたね」
「ギュ、リ、ブル?」
彼の名を音で刻んだ途端に、魔導機械人形の表情は、みるみる人間らしく感情を表すものへと変化した。
最後のパーツがようやく噛み合ったかのように。
瞳を潤ませ、泣きそうになるのを堪えて顔全体をクシャリと歪ませる。
彼の技術は完璧だ。
彼女の記憶の断片、声の響き、仕草の癖――それらの膨大な彼女の要素を、彼は執念で余すことなく演算可能な情報として再構築し、登録した。
「君は、私の最愛だ。機械仕掛けの肉体に尊い記憶を宿して、君として蘇ったんだ」
ギュリブルの熱に浮かされた視線に、機械人形は微かに息を呑む。
「蘇った……?」
狼狽も露わな言葉と同時に、人形は美しい双眸を零れんばかりに見開く。ギュリブルはひたと己の瞳を重ねて、視線すら片時も逃すまいと見詰め続ける。
「ギュリブル。あなたまさか、わたくしを呼び戻したの?」
彼女はそこで初めて、自身の原本が既にこの世に無い、身代わりの機械人形だと自覚した。
「ああ。逢いたかった、愛しい君」
「なんてこと」
零れんばかりの愛をひたすら注ぐギュリブル。それに反して、彼女は絶望に満ちた呟きを漏らしたのだった。
◇◇◇
再開された二人の日々は、過去の記憶を慎重に確認する様に、ゆっくりと想い出を辿るところから始まった。
彼女はまず、自分たちが居るこの場所が辺境の別邸であることに憤った。
「ギュリブル、領主のお仕事はどうしたの! わたくしたちの大切なあの子を何処にやったの!? わたくしのためを口実に、成すべきことを成さないのは許しませんよ!」
元気だったあの日々と同じ声、歩き方、仕草で、彼女らしい指摘が飛ぶ。
事あるごとに執務をほとほどに片付けて、彼女を優先しがちになるギュリブルを叱り、けど最後には「仕方ない人」と呆れながらも微笑む。
それは在りし日と同じ、そのままの彼女だった。
(研究は成功した! 彼女を黄泉から取り戻した! 私はもう二度と彼女を見送らない)
叱られることさえ、嬉しさでしかない。これまでの魔導機械人形の歴史を紐解いても、最新の研究成果として発表されているものを網羅しても、そこに故人を完璧に再現出来たものはなかった。ただ主人に従順に、定められた感情反応を還す機械人形が並ぶのみだ。
だからこそ、敢えてギュリブルは彼女に尋ねる。
「ねえ君。私を愛しているかい?」
「ばかなことを聞かないの。わたくしは貴方と共に、わたくしたちの未来へ導く舵もとるし、怠ける貴方ならお尻だって遠慮なく叩くわ。一緒に未来へ進む唯一に、そんな事を聞くわけ?」
微かに頬を染めつつ、微かに唇を尖らせて、怒りを滲ませながらも潤んだ瞳を上目遣いに向けて来る彼女。
「貴方と同じくらい、愛してるに決まってるじゃない。ばか」
聞こえるか、どうかの微かな声で呟くのも、ギュリブルがよく知る彼女のままだ。
(私の研究が、命の軛を打ち破った! 誰にもなし得ていないことを可能にしたんた! 生体情報を完璧に再現した彼女は、永遠の唯一無二の存在だ!)
質問に対する正確な回答に、感情数値を上乗せ演算する仕組みを持つ魔導機械人形ならば存在する。けれど彼女の還すソレは、言葉の選択肢として予め用意したものではなかった。
(そうだった。君って云う人はそんなつれない素振りさえ愛しい人だった)
彼が組んだプログラムは、彼女の遺伝子を解析し尽くし、精神構造を再構築したものだから。彼女の自立思考無くしては、言葉は紡ぎ出されない代物だった。
「君は何も心配する必要はないんだ。君が知るより十年の時が経つ今、私たちの息子は王都で立派に政務を熟し、家を継いでいるんだよ」
「なんですって、十年⋯⋯?」
だからこそ、歓喜に満ちるギュリブルは、気付かなかった。
最期に、ギュリブルを突き放す言葉を遺した彼女の想いも。彼女そのものを再現した魔導機械人形の彼女もまた、同じ考えに至るということを。
「あの子は⋯⋯そんなにも大きくなったのね」
呟く彼女に、温かな涙を流す機能はなかった。そしてこのとき、彼女は初めて時の経過を知った。鏡に映る己の姿は、どう見ても三十代に差し掛かるかどうかの、麗しさを湛えたもの。
ギュリブルの置き忘れた想いが、彼女の去った時間に抜けない軛を穿って、二人を留めおこうとする歪な現状を。
「ギュリブル、貴方はわたくしを愛していますか?」
「もちろん、いつまでも変わらぬ愛を君に捧げ続けるよ。これまでも、これからも」
「そう⋯⋯わたくしもよ」
呟く声の温度差。
歓喜に心を占められたギュリブルが、それに気付くことはなかった。
◇◇◇
二人は、嘗てのように仲睦まじく日常を送った。
ささいな出来事をとりとめなく語り、肩を並べてそぞろ歩く。観劇にも、芸術鑑賞にも出掛けた。
戻って来た何気ない毎日に、ギュリブルの心はようやく時間の流れを取り戻したようだった。
彼女を前に採る食事は、十年振りに味を感じたし、緑溢れる景色は心を穏やかに宥め、多くの人々が行き交う街は、様々な色彩に心を弾ませてくれる。
ギュリブルは満たされた。
「わたくしは、本当にわたくしなのかしら」
「何を言っているんだい? 君こそ唯一無二の君じゃないか」
柔らかくほころぶ笑顔には、愛しさが溢れる。
「本当にわたくしは、こんなふうに貴方を縛っていたのかしら⋯⋯?」
「愛しい人には、いくらでも縛られたいものさ」
「そんな事を言うなんて。そんなばかを言う人には、突き放す言葉しかあげられないわね」
「酷いな、もう愛してるって言ってくれないのかい?」
「愛してるわ。だからこそよ」
ギュリブルの言葉に、彼女は淋しげな笑みで応じた。
◇◇◇
いつもの時間。そっと厚手のカーテンを開ければ、朝の清々しい光が射し込む。
魔導機械人形は、目を細めることなく静かに光の元へと視線を向けた。
(音の抑揚も、色彩も、触れた感触も。どれもを瞬時に数値として知覚してしまうわたくしの想いは、分かる?)
背後を振り返れば、静かな寝息を立てるギュリブルの寝顔。愛し気に微笑を浮かべながら一晩中見守る彼女に、睡眠は必要ない。食事も。月に一度の魔導核への魔素の注入、それのみで事足りる。
(わたくしは、人ではない。けれど、この人は誰よりも人らしく、弱い。義務で心を鎧った貴族にもなり切れない、目の離せない愛しき弱い人)
横たわるギュリブルの髪をそっと撫でる。精密な機械でしかない彼女の手は、彼が嘗てより年齢を重ねている事実を無情に伝えて来る。
「過去に縋って欲しいなんて、わたくしは思わない。貴方が未来へ進めるよう、支えたくて共に時間を過ごしたわ。わたくしはあなたの悲しみを癒すためにいるの。あなたを縛るためじゃない」
ひとりごとだった。けれど、彼は愛しい相手の声には敏感に反応してしまったらしい。
「……きみは……」
まどろみから抜けきらない声を発したギュリブルが、ぼんやりと視線を彷徨わせ、すぐに彼女を認めて安堵の色を宿す。
「貴方が前に進めるようになるまで、そばにいる。それが、今のわたくしの役目」
強い決意を宿した瞳は、ギュリブルには見覚えがあった。
彼女が最期の言葉を叫んだあのとき——
「――生き、て!」
あの時の、胸を引き裂かれる想いと光景が、ありありと心に蘇った。
◇◇◇
数日が過ぎた。
変わらない日常だった。
けれど、ギュリブルは気付いていた。あの日以来、彼女の柔らかい笑みの中に、ひっそりと息衝く淋しげな色を。
伯爵令嬢として、表情を取り繕うことのできる彼女ではあるけれど、長年彼女を見詰め続けたギュリブルだからこそ分かる、微かな感情——
彼女の心の陰りの理由に、ギュリブルはようやく向き合うことが出来るようになって来た。だからこその気付きではある。
けれど彼女の望みは、到底受け入れられるものではない。
そう思っていた。
「ギュリブル、気付いているかしら」
「何をだい? 何も恙無く、毎日を重ねているじゃないか」
柔らかく微笑み合いながら、けれどギュリブルは指先が震えるのを止められなかった。
「わたくしは、生命を模した魔導機械人形です。どんな些細なものでも、はっきりと表される数値として、受けとめる存在なの。そこに曖昧な感情なんてない。非情なほどに正確な数値情報が、わたくしの感情を無視して入り込むの」
人は、朽ちる。機械は、壊れる。
地上に存在を得たモノ全てに、限りがある。
「気付いていたのかい?」
「自分のことですもの。きっとこれを言うのは、以前のわたくしも同じだったのでしょう?」
精緻を極め、技術の粋を尽くして造り上げた魔導機械人形の彼女ではあったが、再びの生を得た直後から「劣化」は始まっていた。存在するどの生物よりも早く。緩やかな老化とは異なる、精密機械ならではの説明の付き難いエラーでの不具合。それが稼働からひと月を経た今では、無視できなくなっていた。
夜、眠る必要はない彼女が、意識を消失している時間が延びて行った。雨の降る日は、手足の動きが鈍くなった。日が強く照れば、少しの時間動いただけでも思考回路が熱を持ち、再び始動するまでに冷却に時間を掛けなければならなくなった。
そんな「消失」「鈍化」「冷却」の時間が日々伸びている。
今では、人間の睡眠時間以上の停止時間を設けなければならないほどに。
それはギュリブルが十年前に、彼女を看取った時の経過とよく似ていた。
「まあね。私は否定して、君は納得いかない様子だったけど」
「でしょうね。けれど、今のわたくしは、残念ながら限りなく正確なの」
「はは⋯⋯否定はしないよ。私の最高傑作であり、最愛の君なんだから、中途半端には造り上げてないさ」
「良かった。そこを否定されたら、十年もかけて中途半端な研究成果しか遺せない貴方の道楽を、お尻を蹴り上げてやめさせなければならないところでしたわ」
「これは辛辣だな。だからこそ、君だ」
終焉の話を、微笑を湛えつつも出来る。ようやくここまでやって来れた。
「長いお別れの挨拶期間でしたわね」
「私には必要だった。何より君への色褪せない想いが、私から溢れんばかりに暴れ回っていた。それを宥める時間が必要だった」
「最期にわたくしに掛ける言葉として、何が合格なのか、ようくお考えなさって? わたくしは辛辣ですわよ?」
そうだな、と呟きつつギュリブルが、笑う。女はソレを温かく見守る。
別れの時は、すぐそこまで近付いてきていた。
史上初に世界にもたらされた、故人と同じ価値観と考えを持つ魔導機械人形は、日々その機能を衰えさせ始めていた。
直せる者は――まだいない。
ギュリブル自身、今はまだ、その技術を持ち合わせてはいなかった。
けれど、再び直すかどうか――以前なら、即座に直すと答えたその質問に、今の彼は即答できなくなっても居た。
◇◇◇
その日は、彼女が二度目の誕生を迎えた日と同じく、雨の降りしきる日だった。
いつもなら、優しく髪を漉く彼女の手の感触で目覚めるギュリブルだったが、その日は殊の外静かで、その静寂に妙な胸騒ぎを覚えて慌てて目を見開いた。
静まり返った寝室には、雨が窓の外の葉を細やかに叩く音が、微かに響く。怪訝に思い首を巡らせれば、いつもなら彼が起きるまでは固く閉ざされたままの窓が、今日は大きく開け放たれている。
更には、ここのところ目立って来た、彼女の身体が発する作動音も全く聞こえない。
「どこに⁉」
上体を起こすとともに、愛しい彼女の姿を探したギュリブルは、すぐにその姿が窓際に置かれた椅子に腰掛ける形で停止していることに気付いた。窓は目に入っていたはずなのに、ただの置物と化して動かない彼女は、その存在感を失って居た。
「どこにも行かないわ」
静かな言葉が、魔導機械人形の唇から零れ落ちる。苦笑を滲ませた声音ではあるが、表情は既に伴っていない。
「わたくしは、貴方の中にずっと在るわ。以前のわたくしも、今のわたくしも、変わらず貴方を見守り続けているわ。わたくしたちは貴方の未来を望むから」
滑らかな言葉ではあるけれど、発する人形の身体はぴくりとも動いてはいない。
「ねえギュリブル、わたくしの最期の言葉を遺すわね」
聞き捨てならない言葉に、ギュリブルは「聞かない! 最後だなんて」と即座に否定する。けれどその声は、発する言葉の内容とは裏腹に、力ない。彼自身、静止の刻限が迫ってきているのに気付いてはいるのだ。
それを、受け入れつつもある。
「また、以前のわたしと同じことを言うかもしれないけれど、聞いてくれると嬉しいわ。
生きて、ギュリブル。わたくしは、貴方が愛してくれた二人分の過去を抱いて逝きますから、貴方はあなただけの先の未来へ、前を向いて生きて行って。わたくしたちの分も、未来を見て欲しいの。夫婦は補い合い、支え合うものでしょう?」
奇しくも、同じ言葉が繰り返された。けれど、所々補われたその言葉は、最初に聞いた突き放す言葉としてではなく、思い遣りに溢れた言葉としてギュリブルに響いた。
「あなたを愛してる」
言葉を紡ぐ機械人形に表情は無い。けれど万感の思いは伝わって来た。
「私からも言わせてくれ、愛している」
「知っているわ。ばかね」
「ああ。私は馬鹿だ。だから何度でも繰り返すよ。愛している。それと……ありがとう。馬鹿な私の我儘に、何度も付き合わせてしまったね」
「それこそ馬鹿よ。苦じゃないもの。貴方に逢えて嬉しいのはわたくしも同じ……愛しているわ。だから、今度こそ未来へ――進んで」
「ああ、君たちの分も、思いの丈を抱いて進むよ。ありがとう」
雨が止み、黒い雲の隙間から射し込み始めた朝の光が窓辺に届き始める。窓辺に座る魔導機械人形にも。
朝日が彼女の白い肌を照らし、人間離れした風貌を殊更強調して浮かび上がらせる。
「ありがとう」
告げた言葉に、もう彼女は答えを返すことは無かった。けれど、ギュリブルは静かに彼女の手を取り、言葉を紡ぎ続ける。
「ありがとう。私を救ってくれて。私を、前に進ませてくれて」
照らし出された人形の面が静かに微笑んで見えた。
さっと外から朝の爽やかな風が吹き込む。風に紛れて雨粒が吹き込んで来たのか、人形の頬を透明な滴が一粒、そっと流れ落ちた。
「ありがとう。私をずっと見守ってくれて」
その言葉は、瑠璃の胸に刻まれた機構に届くことはない。
だがギュリブルは知っていた。
彼女は、彼の心の中で微笑んでいる。
そして――
満ちる想いは、永久に愛した記憶と共に、心を温めてくれることを。
お読みいただき、ありがとうございました。




