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火が消えるまで

作者: 澪来-MIRai-
掲載日:2026/07/18

私は、おばあちゃんが嫌いだった。


八月十六日の夜、鴨川沿いで、私は大文字に火が灯るのを待っていた。

鞄の中には、今日見つけたばかりの古い手帳がある。


今年の春、おばあちゃんは死んだ。


あの人は、最後まで強い人だった。

弱音を吐かず、誰にも頼らない人だった。


私が自作の物語を書いていると知ったときも、口から出たのは説教する言葉だった。


そのくせ、私が物語を書くようになったきっかけは、おばあちゃんの家に一冊だけ置かれていた絵本だった。


「物語なんか書いて、何になるん」


台所に立ったまま、おばあちゃんはそう言った。


「優しいだけの話なんて、誰も読まへん。

夢ばっかり見てたら、いつか痛い目に遭うで」


私は、その言葉がずっと許せなかった。


おばあちゃんと会うたび、私たちは言い合いばかりしていた。

本当は、私の物語を読んでほしかっただけだった。

けれど最後の日も、やっぱり喧嘩になった。


「おばあちゃんなんか、大嫌い」


そう言うと、おばあちゃんは何も言い返さなかった。

ただ、少し目を伏せただけだった。


その顔を、私は今でも覚えている。


一晩眠れば、カッとなった頭は冷めた。

謝ろうと思った。


けれど、仲直りする前に、おばあちゃんはいなくなった。



今日、母と遺品整理をしていると、仏壇の引き出しから一冊の手帳が出てきた。


「あんた、これ」


黄ばんだ表紙には、小さく「絵本」と書かれていた。


お互い、驚いた顔で見合わせた。


母は黙って首を振った。

その表情だけで、母も何も知らなかったのだと分かった。


中には、狐や女の子や、星の降る町の絵があった。

日に焼けた紙の上で、鉛筆の線も文字もところどころ薄くかすれている。

どれも途中で止まっていた。


けれど、最後のページだけは違っていた。


紙の色は同じように黄ばんでいるのに、そこに描かれた線だけが、やけに濃かった。


母が、そっと息をのんだ。


「……おばあちゃん、絵、上手やったんやね」


声が少し震えていた。


隣を見ると、母の頬に涙が伝っていた。

母はそれに気づいていないみたいに、じっと手帳を見つめていた。


その横顔を見ていたら、私まで泣いてしまいそうで、奥歯を噛みしめながら手帳へ視線を戻した。


そのとき、手帳の背表紙の隙間から、一枚の便箋がするりと滑り落ちた。


私はそれを拾い上げ、書き出しを見た瞬間、息をのんだ。


「……たぶん、おばあちゃんの最後の日記だ」


震える手でその日記を読む。


『あの子は、やさしいものを書く。


けど、やさしいまま生きていけるほど、世の中は甘くない。

そんなこと、私はよう知っている。


だから、きついことを言うてしまった。

物語なんか書いて、何になるん。

夢ばっかり見てたら、いつか痛い目に遭うで、と。


けれど本当は、あの子のやさしさを折りたかったわけやない。


昔、私は絵本の夢を捨てた。

描きかけの絵も、物語も、夢を見ていた証拠みたいなものは、全部手放した。


それでも、一冊だけ捨てられへん絵本があった。


あの子が小さいころ、その本をきらきらした目で読んでいた。

その姿を見るたび、昔の自分を思い出して、うれしいのか、怖いのか、よう分からんかった。


今日、久しぶりに絵本の手帳を開いた。


あの子が物語を書いて、私が絵を描く。

今さら遅いに決まっているのに、二人で作る絵本なんて夢を見てしまった』


日記を読み終えた瞬間、堪えていたものが崩れた。


息がうまく吸えなくなって、私は便箋を握ったまま泣いた。

隣で、母も声を殺して泣いていた。


「不器用だよ……おばあちゃん」


好きなくせに、好きだと言えない。

守りたいくせに、傷つける言葉しか選べない。


まるで、あの絵本のきつねみたいだった。


涙でにじむ視界の端に、引き出しの奥が映る。

そこには、一冊の古い絵本があった。


『とげとげきつねの花束』


幼いころ、私が何度も読んだ絵本だった。

その隣には、寄り添うように、真新しい手帳が置かれていた。


母が、それを見て、また小さく息を詰まらせた。


おばあちゃんは、終わらせたかったんじゃない。

もう一度、始めようとしていたのだ。



だから私は、古い手帳を鞄に入れて、ここへ来た。


おばあちゃんを送るために。

そして、どうしても送れないものがあると知るために。


鴨川の向こうで、人々が小さく息をのんだ。

そのとき、大文字の火が、夜の山に浮かび上がった。


送り火は、亡くなった人を送るための火だ。

でも、おばあちゃんの夢まで送ってしまいたくはなかった。


おばあちゃんは、私の夢を否定していたんじゃなかった。

きっと、自分と同じように夢で傷つく私を、見たくなかったのだ。


傷ついたことも、傷つけたことも、なかったことにはできない。

それでも、あの人が捨てきれなかった夢だけは、私が受け取りたかった。


おばあちゃんを送るために来た夜だった。

けれど私は、あの人が遺してくれた小さな夢を、これから連れて帰る。

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