EP 8
祭りの後と、弟からの手紙
バッカス商会による襲撃事件から数日が経った。
ポポロ村は、いつもの穏やかな日常を取り戻しつつあった――いや、少しだけ様子が違っていた。
「あ、真さん! ……いえ、公爵閣下! おはようございます!」
「閣下! 今日の陶芸のご機嫌はいかがですか!」
「閣下! 肩をお揉みしましょうか!」
村を歩くたびに、村人たちが直立不動で敬礼してくるのだ。
畑仕事中のおばあちゃんまで、鍬を置いて最敬礼してくる始末である。
「……勘弁してくれ」
坂上真一は、深々と溜息をつきながら、縁側でコーヒーをすすった。
平和な隠居生活を求めていたのに、あの「お白洲」での一件以来、村人たちの見る目が「気のいい隠居ジジイ」から「生きる伝説」へと変わってしまったのだ。
「ええやないですか、閣下。村の箔がつきますわ」
ニヤニヤしながら現れたのは、財務担当のニャングルだ。
彼は黄金の算盤を弾きながら、羊皮紙の束を真一に見せた。
「見てみなはれ。今回の件で、帝国政府とグレイベルク侯爵家に請求した『慰謝料』と『迷惑料』の明細ですわ」
「……ゼロが多すぎないか?」
「『鬼の軍神』の名を使わせてもろてますからなぁ。向こうも『公爵閣下のご機嫌を損ねるな』言うて、言い値で払うてくれましたわ。これで村の道路舗装と、イグニスが壊した集会所の修理代が出ます」
ニャングルは「毎度あり〜」とホクホク顔だ。
真一は苦笑するしかない。自分の威光が、こうして村の役に立つなら悪い気はしないが、やはり「閣下」と呼ばれるのは背中が痒い。
「俺はただの隠居だ。……そう伝えておいてくれ」
「へいへい。あ、そうそう。帝国の『あの人』から、至急便が届いてまっせ」
ニャングルが差し出したのは、ルナミス帝国の最高級封蝋で閉じられた一通の手紙だった。
その封蝋に刻まれた家紋を見た瞬間、真一の顔が引きつった。
「……チッ。嗅ぎつけるのが早すぎるぞ」
†
場所は変わり、ルナミス帝国・帝都グランド・ルチアナ。
皇宮の奥深くにある「宰相執務室」。
そこは、書類の山が雪崩のように積み上げられた、過労死寸前の戦場だった。
「……胃が、痛い……」
書類の山に埋もれるようにして呻いているのは、一人の青年貴族だった。
神経質そうな細面の美男子だが、目の下には濃いクマがあり、頬はこけている。
彼の名は、クラウス・サカガミ。
真一の腹違いの弟であり、兄が隠居した後、ルナミス公爵家を継ぎ、帝国の宰相として国を回している超エリートである。
「宰相閣下! 東部国境の警備予算についての決裁を!」
「閣下! ワイズ皇国との貿易摩擦について陳情が!」
「クラウス様! 貴族院の会議が始まります!」
次々と飛び込んでくる官僚たちに、クラウスは死んだ魚のような目で応対していた。
彼は震える手で、真一が置いていった「地球製の強力胃薬」を水なしで飲み込む。
「処理する……全部処理するから……あと五分だけ休ませてくれ……」
クラウスは優秀だった。あまりに優秀すぎた。
だからこそ、兄である真一は「お前なら大丈夫だ」と言って、全ての権限と責任を押し付け――もとい、譲渡して姿を消したのだ。
(兄上ぇ……! どこへ行ってしまわれたのですかぁ……! あなたがいないと、軍部の古狸どもが言うことを聞かないんですぅ……!)
クラウスが心の中で号泣していると、窓から一羽の「伝書グリフォン」が飛び込んできた。
脚には緊急報告書が結び付けられている。
「……なんだ? ポポロ村周辺での小競り合いについて?」
クラウスは気のない手つきで報告書を開いた。
そこには、バッカス商会が壊滅した経緯が記されていた。
『――突如現れた謎の老人が、S級魔獣を一撃で粉砕』
『老人の背中には、赤く発光する“仁王”の刺青あり』
『使用武器は、剣と銃が一体化した“銃口剣”と思われる』
「ぶふぅッ!!」
クラウスは飲んでいたお茶を盛大に吹き出した。
ガタガタと椅子を蹴倒して立ち上がる。
「に、仁王!? 銃口剣!? そ、そんな人間は世界に一人しかいない!!」
間違いない。
あの破天荒で、強引で、でも誰よりも頼りになる、敬愛する兄上だ。
「あ、兄上が……見つかったぁぁぁ!!」
クラウスは歓喜の叫びを上げた。
涙が止まらない。これで、この地獄のような激務から解放されるかもしれない。兄上が戻ってくれば、軍部は黙り、貴族たちはひれ伏し、自分はゆっくりと温泉にでも行けるのだ。
「すぐに手紙を! いや、私が直接迎えに……行きたいけど会議がある! くそっ!」
クラウスは羽ペンを走らせた。
便箋が涙で濡れるのも構わず、魂の叫びを書き綴った。
†
ポポロ村。
真一は、縁側でその手紙を開封していた。
横からキャルルとイグニスが覗き込む。
「真さん、誰からの手紙?」
「……俺の、不幸な弟からだ」
真一が読み上げる。
『拝啓 敬愛する兄上へ
兄上! 生きておられたのですね! クラウスは感涙にむせび泣いております!
ポポロ村で仁王が出たという報告を受け、居ても立ってもいられず筆を執りました。
兄上、戻ってきてください! 今すぐ! 秒で!
領地の書類が山積みなんです! 軍部の予算会議が紛糾しています!
私の胃壁はもう限界です! 兄上が置いていった胃薬も残りわずかです!
今なら、公爵家の全権限と、私の秘蔵のワインコレクションをお付けします。
どうか、どうかこの哀れな弟をお助けください。
追伸:もし戻られない場合、私は兄上の“若かりし頃の武勇伝(中二病時代のポエム)”を貴族院で朗読する覚悟です。
弟 クラウス・サカガミより愛を込めて』
「…………」
真一の額に青筋が浮かんだ。
キャルルが「ぷっ」と吹き出す。
「ま、真さん、ポエムって……?」
「……見なかったことにしろ」
ボッ!!
真一の手から炎が上がった。
彼は手紙を揉みくちゃにし、魔力で瞬時に焼却処分したのだ。
灰がハラハラと風に舞う。
「真さん!? 燃やしちゃっていいの!? 弟さん、泣いてるよ!?」
「知らん。俺は何も見ていない。手紙など届いていない。……いいな?」
真一は、これ以上ないほど真剣な眼差し(鬼の形相)で二人を睨んだ。
その迫力に、イグニスとキャルルは「は、はいッ!」と直立不動になる。
「俺は隠居だ。……誰が何と言おうと、ここではただの陶芸好きのジジイなんだよ」
真一はそう言い捨てると、新しいコーヒーを淹れるために台所へと逃げ込んだ。
だが、その背中は少しだけ丸まって見えた。
(すまん、クラウス。……胃薬は『酒保』で追加注文して送ってやるから、強く生きてくれ)
こうして、ポポロ村の英雄・真一の元には、定期的に「帝国の宰相からの悲痛な叫び(怪文書)」が届くようになったという。
だが、それが彼を再び表舞台に引きずり出すのは、また別の物語である。
「……ふぅ。コーヒーが苦いな」
真一は空を見上げた。
今日もポポロ村は平和だ。弟の悲鳴以外は。




