EP 4
仁王、歯噛みする ~一線を超えた悪党たち~
翌朝。ポポロ村は、焦げ臭い煙の臭いで目を覚ました。
「火事だ! 畑が燃えてるぞ!」
村人の悲鳴が響き渡る。
東の空が、朝日とは違う禍々しい朱色に染まっていた。昨日、傭兵たちが踏み荒らした『陽薬草』の畑が、真っ赤な炎に包まれているのだ。
「あいつら……! 本当にやりやがった!」
自警団の詰め所で待機していたイグニスが、窓の外を見て歯噛みする。
彼の手の中で、戦斧の柄がミシミシと音を立てた。今すぐにでも飛び出してブレスで火を消し止め、放火魔たちを叩き潰したい衝動に駆られる。
だが、彼の脳裏には昨夜の真一の言葉が焼き付いていた。
『――俺が合図を出すまで、絶対に動くな』
あの冷徹な瞳。普段の温厚な真さんとは別人のような、絶対的な命令者の目。
野生の勘が「逆らってはいけない」と告げていた。
「くそっ……! まだなのかよ、真さん!」
イグニスは血が出るほど唇を噛み締め、その場に踏みとどまった。
†
炎の勢いが増す中、村の中央広場に、バッカス商会の面々が我が物顔で乗り込んできた。
先頭を歩くのは支店長のゴズハラ。昨夜の深酒のせいか顔は赤くむくんでいるが、その表情は嗜虐的な喜びに満ちている。
彼の後ろには、完全武装した数十人の傭兵たち。彼らの槍の穂先には、まだ新しい血糊が付着していた――畑の番をしていた村人たちの血だ。
「オラオラァ! 村長を出せ! あのウサギ女はどこだ!」
ゴズハラががなり立てる。
逃げ遅れた村の老人や子供たちが、広場の中央に引きずり出され、一箇所に固められた。
傭兵たちが彼らを取り囲み、槍を突きつける。
「ひいっ! お助けぇ!」
「誰か、誰かぁ!」
泣き叫ぶ子供の声に、ゴズハラは下卑た笑みを浮かべた。
「おい村長! 聞こえてるんだろ! これ以上隠れているなら、次は畑じゃなくて、このジジババどもを燃やすぞ!」
その脅しは、決定打となった。
集会所の扉が開き、一人の少女が姿を現した。
「――やめて!」
キャルルだ。
彼女はいつもの村娘の服を着ていたが、その顔面は蒼白で、小刻みに震えていた。
彼女の背後には、戦闘装束に身を包んだニャングルとリーシャが控えていたが、キャルルは彼らを手で制して前に進み出た。
「あらら、やっとお出ましか。愛しの月兎ちゃん」
ゴズハラがねっとりとした視線をキャルルに向ける。
「村長さんよぉ、話は聞いてるだろ? お前さんが大人しく俺たちの『商品』になれば、この村には手を出さないと約束してやるよ」
「……嘘よ。あなたたちは約束なんて守らない。畑を焼いたのがその証拠だわ!」
「ハハッ、あれはちょっとした挨拶代わりさ! さあ、どうする? お前が拒否すれば、この村は今日で地図から消える。老人とガキの悲鳴を聞きながら死ぬか、それとも……」
ゴズハラは、人質に取った老人の髪を乱暴に掴み上げ、短剣を喉元に突きつけた。
「やめてぇ!」
キャルルが悲鳴を上げる。
彼女の脳裏に、かつて王宮で「物」として扱われた屈辱的な日々がフラッシュバックする。
籠の中の鳥。自由のない、ただ愛でられるだけの存在。
あの地獄に戻る恐怖に、足がすくむ。
だが、彼女の目の前には、彼女を温かく受け入れてくれた村人たちの命がある。
(私が……私が我慢すれば……)
キャルルはギュッと目を閉じ、震える拳を握りしめた。
爪が食い込み、掌に血が滲む。
「……わかったわ」
彼女は掠れた声で言った。
「私が……あなたたちに同行します。だから、みんなには手を出さないで」
「キャルル! アカン! そんなことしたら!」
「キャルル、早まらないで!」
ニャングルとリーシャが叫ぶが、キャルルは首を横に振った。
その瞳には、絶望と諦めの色が浮かんでいた。
「へへへ、賢い選択だ。最初からそうすりゃよかったんだよ」
ゴズハラは満足げに頷き、キャルルの方へ歩み寄った。
そして、彼女の美しい白銀の髪に、脂ぎった手を伸ばす。
「さあ、こっちへ来い。まずはその体に商品価値があるか、俺様がじっくりと……」
「――触るな」
その声は、決して大きくはなかった。
だが、燃え盛る炎の音も、村人たちの悲鳴も、ゴズハラの下品な笑い声も、全てをかき消すほどの、絶対的な重みを持っていた。
ゴズハラの手が、キャルルの髪に触れる寸前で止まる。
キャルルが驚いて顔を上げると、いつの間にか彼女の隣に、一人の男が立っていた。
坂上真一。
昨夜までのにこやかな好々爺の仮面は、そこにはもうなかった。
「……あ?」
ゴズハラが不快そうに眉をひそめる。
「なんだテメェは? 昨日の隠居ジジイか? すっこんでろ、邪魔すると殺すぞ」
傭兵たちが槍を真一に向ける。
だが、真一は彼らを一瞥すらしなかった。彼の視線は、ただ一点、ゴズハラだけを射抜いていた。
その瞳の奥には、凍りつくような冷たさと、煮えたぎるマグマのような怒りが同居していた。
「よく頑張ったな、お嬢ちゃん」
真一は、震えるキャルルの肩に、そっと大きく分厚い手を置いた。
その手の温かさに、キャルルの張り詰めていた糸が切れそうになる。
「真……さん……?」
「もういい。十分に我慢した」
真一はキャルルを自分の背後に庇うように一歩前に出た。
ゴズハラは、このジジイの雰囲気が昨日とはまるで違うことに、本能的な恐怖を覚えた。
だが、自分には数十人の部下がいるという奢りが、その警鐘を無視させた。
「ハッ、何が『もういい』だ! ジジイ、英雄気取りか? そんな錆びた体で何ができるってんだ! おい、こいつを串刺しにしてやれ!」
ゴズハラの命令で、三人の傭兵が槍を構えて真一に殺到する。
村人たちが悲鳴を上げた。
だが。
真一は動じない。
彼はゆっくりと、羽織っていた上着のボタンに手をかけた。
「……忠告しておく。俺の背中に立つなよ」
誰に向けたともしれない呟き。
次の瞬間。
真一の体から、爆発的な魔力と闘気が噴き上がった。
ドォォォン!!
目に見えない衝撃波が周囲を薙ぎ払い、突っ込んできた三人の傭兵が、まるで木の葉のように吹き飛ばされた。
「な、なんだ!?」
ゴズハラが尻餅をつく。
舞い上がった土煙の中、真一が上着を脱ぎ捨てるシルエットが浮かび上がった。
シャツが破け、露わになったその背中。
そこには、筋骨隆々たる肉体全体を覆うように、憤怒の形相をした『阿吽の仁王』が彫り込まれていた。
そして、その仁王の両目が、真一の怒りに呼応するように、カッと赤く発光したのだ。
「ひっ……!」
「な、なんだあの刺青は……!?」
傭兵たちが後ずさる。
ただの絵ではない。その背中からは、物理的な熱と圧力が放たれていた。
それは、数多の戦場を駆け抜け、敵を屠ってきた者だけが纏う、本物の「死」の気配だった。
真一は、腰に帯びていた布包みを解いた。
現れたのは、黒鉄の巨大な刃と、無骨なリボルバー機構が一体化した異形の武器――銃口剣『不知火』。
彼はそれを片手で軽々と振り回し、切っ先をゴズハラの鼻先に突きつけた。
「……随分と好き勝手やってくれたな、三下ども」
その声は、地獄の底から響くようなドスが効いていた。
「掃除の時間だ。……一人残らず、懺悔の準備はできているな?」




