EP 4
拒絶と嘘 ~「私の好きな人は……!」~
「……よくも、土足で踏み躙ってくれたな」
静寂に包まれたポポロ村の中央広場。
血の滲む拳を握りしめ、静かに怒りのオーラを放つ坂上真一。
だが、その殺気を受けてなお、黒虎騎士団の将軍ワイルダーは、鼻で嘲笑った。
「カカッ! なんだジジイ、その泥遊びのガラクタが惜しかったか? 人間というのは理解できんな。己の命より、そんなゴミが大事とは」
ワイルダーは、真一の足元に転がっていた皿の欠片を、さらに鉄靴でグリグリと踏み砕いた。
粉々になる『月白粘土』。
真一の額に、ピキリと青筋が浮かぶ。
「おい、そのジジイをどかせ。目障りだ。……それよりキャルル」
ワイルダーは真一から完全に興味を失い、その後ろで震えるキャルルへと向き直った。
「遊びは終わりだと言ったはずだ。これ以上俺を煩わせるな」
「……嫌です」
「あ?」
「私は、国には帰りません。あなたの『種馬』になるつもりも、所有物になるつもりもありません!」
キャルルは、両手に『夫婦茶碗』をしっかりと抱きしめたまま、ワイルダーをキッと睨みつけた。
その瞳に宿る強い光に、ワイルダーは一瞬だけ目を細めたが、すぐに不快そうに牙を剥いた。
「生意気な口を利くようになったな、月兎。だが、獣人の掟を忘れたわけではあるまい?」
「掟……」
「そうだ。絶対の掟。『女は、最も強い雄に従う』。……この大陸において、俺より強い男など存在しない。だからお前は俺のモノだ。それ以外の理屈などない」
ワイルダーの背後から、再び黄金色の闘気が立ち昇る。
それは言葉による説得ではない。圧倒的な暴力による、有無を言わさぬ蹂躙の予告だった。
「俺の腕の中に戻るか。それとも、この村の弱者どもが、一人残らず俺の部下の餌食になるのを見届けるか。……選べ、キャルル」
黒虎騎士団の獣人たちが、一斉に武器を構え、下卑た笑い声を上げる。
瓦礫の中から這い出そうとしているイグニスも、傷ついて動けない。村人たちは恐怖にすくみ上がっている。
(私が……どうにかしなきゃ……!)
キャルルの脳裏に、かつての絶望がよぎる。
だが、今の彼女の手の中には、彼が作ってくれた、温かい器があった。
それは、自分を「一人の女の子」として大切に想ってくれているという、何よりの証拠(勘違い)。
「……私には」
キャルルは、震える声を振り絞った。
「私にはもう、心に決めた人がいます!」
「……何だと?」
ワイルダーの闘気が、ピタリと止まった。
彼のプライドが、その言葉を理解するのを一瞬拒絶したのだ。
「聞き間違いか? お前、今なんと……」
「だから! 私にはもう、大好きな婚約者がいるって言ったの!」
キャルルは顔を真っ赤にしながら、胸に抱いた二つの器を、ワイルダーの前に突き出すように掲げた。
「これを見て! 獣人族の古い風習……『同じ土から生まれた対の器』! 私たちはもう、一生を共にする誓いを立てたの! だから、あなたなんかと結婚するわけないでしょ!」
「なっ……!?」
ワイルダーの顔色が変わった。
獣人である彼にとって、その風習の意味は絶対だ。それは単なる口約束ではなく、魂の契約に等しい。
自分のモノだと思っていた女が、すでに別の男と魂を交わしていた。
その事実は、彼の傲慢な自尊心を粉々に打ち砕くには十分すぎた。
「ふ、ふざけるな……! 俺以外の男とだと!? どこのどいつだ!!」
ワイルダーが咆哮する。
その怒声がビリビリと空気を震わせる中、キャルルはビシッ!と、一人の男を指差した。
「そこの……坂上のおじさんよ!!」
しーーーーん。
広場に、奇妙な沈黙が落ちた。
ワイルダーの視線が、キャルルの指先を辿る。
そこにいたのは。
粉々にされた陶芸品の残骸を前に、殺気をダダ漏れにしながら俯いている、白髪交じりの初老の男。
つまり、坂上真一だった。
「……はい?」
真一は、間の抜けた声を上げた。
彼の中では今、「どうやってこの虎の毛皮を剥いで、陶芸の窯の燃料にしてやろうか」という物騒な計画が組み上がっていたところだったのだ。
それが突然、自分の名前を呼ばれ、完全に思考が停止した。
「ま、真さん! ごめんなさい、勝手に言っちゃって……でも、私、真さんになら一生ついていきますから!」
「いや、待て。お嬢ちゃん、何を言ってるんだ。誓いってなんだ。その器はただの手伝いの……」
「(真さァァん!! 今は空気読みなはれ!!)」
瓦礫の陰から、ニャングルが必死の形相で手でバッテンを作っている。
ここで「違う」と言えば、キャルルはワイルダーに連れ去られるか、村が火の海になる。
真一はその状況を(不本意ながら)瞬時に理解した。
「…………ああ、うん。そうだ。……そういうことだ」
真一は、ポケットからコーヒーキャンディを取り出し、ガリッと噛み砕きながら、遠い目をして頷いた。
「き、貴様が……!?」
ワイルダーの顔が、怒りでどす黒く染まっていく。
彼から見れば、真一は魔力も感じられない、ただの貧相な人間のジジイだ。
そんな枯れ木のような男に、獣人族最強の自分が女を取られたというのか。
「キャルル……貴様、俺への当てつけでこんな枯れジジイを選んだというのか! 俺をコケにするのも大概にしろ!」
「コケになんてしてない! 真さんは強いもん! あなたなんかより、ずーっと強くて、優しくて、素敵な旦那様だもん!」
「ブホッ!?」
真一が(心の中で)咽せた。
旦那様。その響きの破壊力は、S級魔獣の物理攻撃よりも彼の精神を削った。
「……許さん」
ワイルダーの全身から、先ほどまでの比ではない、殺意に満ちた黄金の闘気が立ち昇った。
彼はギリィッと牙を鳴らし、腰に帯びた巨大な双剣を抜き放った。
「貴様ら、まとめて俺の『怒り』を味わえ。……おいジジイ! 貴様がキャルルの婚約者だと言うなら、証明してみせろ!」
ワイルダーは、双剣の切っ先を真一の鼻先に突きつけた。
「獣人の掟による『決闘』だ。俺に勝てば、キャルルは諦めてやる。だが負ければ……貴様の四肢を引きちぎり、この村の連中も皆殺しだ」
「……」
「明日の正午、この広場で待っている。……逃げれば、村ごと焼き払うぞ」
ワイルダーはそう吐き捨てると、部下たちを引き連れて、村外れへと陣を張るために引き上げていった。
土煙が収まった広場には、呆然とする村人たちと、顔を真っ赤にして俯くキャルル。
そして。
巻き込まれ事故で「美少女の婚約者」にでっち上げられ、さらに最強の虎将軍とデスマッチをすることになった、初老の男が一人。
「……なぁ、ニャングル」
「へ、へい……なんでっしゃろ、真さん」
「明日の昼飯は、奮発して『虎鍋』にしてくれ」
真一は、足元に散らばった『月白粘土』の欠片を拾い集めながら、極めて静かな、だが絶対的な怒りを込めて呟いたのだった。




