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「散らかっていますが」
と言いながら案内されたクロードの執務室の机の上には、大量の書類が山積みされていた。机のほかには、本棚や応接用のソファ、テーブルがあるだけのシンプルな部屋だ。リリスは「どうぞ」と勧められたソファに座ると、対面に腰かけたクロードをじっと見つめた。
肩までほどの金の髪。いつもにこやかな笑みを浮かべる彼は、ダリウスに付き従う、優秀な副官であるということをノエからも聞いていた。
「わがままを言ってごめんなさい。でも、ダリウス様とは話ができないし、あなたにしか聞けないと思って」
リリスがそう言うと、クロードも笑みを崩さぬまま「いえ、私もあなたとは少し話してみたいと思っていましたから」と返す。
「それで話というのは」
本題について切り出されると、リリスは改まった様子で、ひざに置く手をぎゅっと握りしめた。それからクロードをまっすぐに見つめると、「単刀直入に聞くわ」と、前置きした。
「昨日、ダリウス様が行っていたのは娼館でしょう」
室内に沈黙が走る。リリスの言葉に、クロードは眉ひとつ動かさなかった。
「……なぜ、そう思われたのです?」
リリスから一切視線を逸らさず、質問を質問で返したクロード。
「ダリウス様から甘い香りがしていたわ。娼館で働く女性たちが身にまとう、男を誘うための香りだと、私の護衛係だった男から聞いたことがあるの。それと、同じ香りだったから」
クロードはそう指摘されても、やはり表情を変えなかった。じっと、探るようにリリスの目を見つめている。多少の居心地の悪さは感じたが、リリスは目を逸らしたりはしなかった。しばらく、その状態が続いたあと、小さく息を吐いたクロードが、おもむろにその沈黙を破った。
「……それで、ダリウス様の浮気を疑われていると?私に尋ねたいことは、その真偽についてですか」
責めるような口ぶり。呆れたような声。クロードはふと俯くと、「別に、いいじゃないですか」と呟いた。そんなクロードをじっと見つめたまま、リリスはただ黙っていた。
「失礼を承知で申し上げますが、ダリウス様はあなたに、ここでの生活は自由にしろとおっしゃった。その代わり、こちらに干渉するな、とも。……もともと政略結婚なのですし、それならば割り切って互いが好きなように暮らす方がよっぽどいいのではありませんか」
クロードの声が室内に静かに響いた。束の間の沈黙。それからクロードはふと頬を緩めると、ソファに座るリリスに近づいた。ぎしりと軋むソファの音。
「……例えば、夫以外の男と愉しむ、とか」
クロードが妖艶な笑みを浮かべて、リリスの長い髪をひと房取り、ぐっと距離を詰める。だが、リリスは頬を赤らめた後、「からかうのはやめてください!」とふいと顔を逸らした。それからギュッと両手を握りしめ、俯く顔。
「……確かにあなたと言うことは一理あります。ダリウス様がこの結婚に乗り気ではなかったことを私は知っていますし、彼の態度を見れば私を嫌って遠ざけているのは明らかです。ですが──」
リリスはそこで言葉を一度つぐんだあと、クロードの目をしっかりと見つめて言う。
「私はどんな形であれ、巡り合ったこの縁を大切にしたいのです」
まっすぐな目と、まっすぐな言葉。
「私たちは、結婚式の日に会ったばかりで、お互いのことをまだ何も知りません。今のまま理解しようとすることなく、割り切って過ごすことは確かに容易いことでしょう。余計な労力をかけずに済むのですから、そちらの方がきっと楽だと思います。……ですが、私は初めから何もしないまま、一生夫である彼を理解することを放棄して、このような関係を続けたいとは思いません」
一言一言に心がこめられた、確かな言葉だった。クロードは何かを言いかけたが、また口を閉じてしまう。その様子は、何かを堪えているようにも見えた。リリスは苦悩する横顔を見つめながら、「それに」と続けた。
「私が聞きたかったのは浮気疑惑の話ではありません」
予想外の言葉に、クロードの手が止まった。浮気疑惑の話でないのなら、一体何も聞きたかったというのだ。
「だったら、何の話を」
呆然とするクロードに、リリスはにこりと笑った。
「娼館特有の甘い香りに混じって香った、ニンギスの薬草の香りについてです」




