【3】定期券、拝見します〜無言で前蹴り〜 (2011年春)
【シリーズ】「ちょっと待ってよ、汐入」として投稿しています。宜しければ他のエピソードもご覧頂けますと嬉しいです。
【シリーズ】ちょっと待ってよ、汐入
【1】猫と指輪 (2023年秋)
【2】事件は密室では起こらない (2023年冬)
【3】定期券、拝見します〜無言で前蹴り〜 (2011年春)
【4】アオハル (2011年初夏)
【5】アオハル2 (2011年秋)
(続編 継続中)
エピソードゼロ
僕、能見鷹士は三十路を前に一念発起し、中小企業に特化した個人コンサルタントとして起業した。そして何故かいつも探偵業を営む汐入悠希の無茶振りに巻き込まれてしまう。この間も猫探しの依頼に巻き込まれたばかりだ(【1】猫と指輪)。そんな汐入と腐れ縁の始まりは高校生の時分に遡る。
第一章
「その制服がこの時間の電車で遅刻しないの?」
唐突に駅のホームで話しかけられ、振り向くと、この付近ではお嬢様学校の扱いの東亜細亜女子大附属第三高等学校(通称アジ三)の制服を着た女子。
「うん。間に合うよ」
と答えたものの、確かに、少し電車が遅延すれば間違いなく遅刻だ。だが一本前だと20分も前になる。それは朝の弱い僕にとっては辛い。四月も間もないこの季節なら尚更。春眠不覚暁、だ。
話しかけられた流れで返事をしたが、このアジ三女子は誰だっけ?知り合いなのにこっちが一方的に忘れているパターンだと気まずいな、と逡巡する。
するとアジ三女子が
「そっか。ところで確か能見と言ったっけ。同じ中学だったね。ワタシは汐入悠希だ」
ああ、そうだ!汐入だ。話したことないけど、確かに同じ中学校だ。お嬢様学校に行くようなイメージはなかったから全く気が付かなかった!
「あ、僕は能見鷹士」
「知ってるよ。貴様はワタシの話を聞いていなかったの?」
電車がホームに近づいてくる。電車の音で会話がし難くなるので、お互い沈黙。とりあえず電車に乗る。
「その制服は、いや正確に言えばその校章は龍ケ淵高校だね?」
「うん。ブチ高。校章がなければ何の変哲もない学ランだね」
「ワタシの学校の最寄り駅の二つ先だね。ワタシより12分、行動パターンが遅いって事になるね。遅刻しないよう健闘を祈る」
と、言ったきり、汐入は耳にイヤホンを突っ込んでしまった。
そして次の駅で何事もなかったように電車を降りていってしまった。目を合わせ礼をするでも、手を振るでもなく。
次の日の朝、「おはよう」と無機質な女子の声が後ろから聞こえた。振り向くとアジ三の制服、汐入悠希が立っている。僕はおはよう、と答える。
取り立てて話題もなく、言葉が続かない。電車がホームに到着し、僕たちは電車に乗り込む。
不意に汐入が口を開く。
「能見、貴様、ベクトルはわかるか?」
えっ?なんのこと?首を傾げる僕に汐入は続ける。
「ベクトルの和は直感的に理解できる。外積も空間ベクトル同士の位置関係と大きさを表現しているからなんとなくわかる。でも、内積というのがどうもしっくりこないんだ。大きさとなす角のcosの積が意味するスカラー量ってなんだろうな?」
数学的な話であろうことは辛うじて読み取れたが、さっぱりわからない。
「ごめん。よくわからないや」
「そっか。唐突に悪かったね」
と言うなり、汐入はイヤホンを耳に突っ込んでしまい、そして次の駅で昨日と同じように電車を降りていった。
次の日。僕は途方に暮れていた。定期券を無くしたのだ。今日は切符を買ったものの、これを毎日継続するわけにはいかない。
おはよ、と汐入の声。おはよう、と答えて、
「今日、ちょっと凹んでるんだよね」
とそれを話のネタにしようと言葉を継ぐ。
「どうした?飼っている犬が逃げたとか?」
「えっ?何で知ってるの?」
「えっ?逃げたの?」
「いや、逃げてないけど、何で犬を飼ってるって知ってるの?」
「ズボンの膝から下に犬の毛が付いてるよ。あと腕の袖口にも。真新しい制服だと目立つね。特に学ランは黒だからね。家を出る時に可愛がってやっているんだね」
電車が来る。乗り込んでから会話を再開する。
「犬じゃなくて、定期券を無くしてしまったんだ」
「そっか。それは災難だね。駅員には聞いた?」
「昨日聞いた。それと鳥井駅と学校の最寄りの龍ヶ淵駅の近くの交番にも。芳しい情報はなかったよ」
「そっか。今日、学校が終わったら龍ヶ淵駅に行く。改札の中だ。そこで待っていて欲しい」
と言うと汐入は今日もイヤホンをしてしまった。
第二章
下校時刻、汐入に言われた通り、駅の改札に向かった。と言うか、必然的に帰路として通るだけなんだけど。
改札口を入ると既に汐入がいて、じっとこっちを見ている。僕の姿を認めると、よっ、と挨拶をしてくる。僕も軽く手を上げて応える。
「いいか、今日は目星をつけるだけだ。あと特徴を覚えておくんだ。男か女か、背は、髪型は、顔の印象は、などをしっかり覚えるんだぞ」
「何の話?」
「今から改札を通る奴を全て見張る。挙動不審のやつの特徴を覚えるんだぞ。改札の正面にブチ高とアジ三の男女がいるとどうしたって目立つだろ。貴様の定期券を盗んで後ろめたいことがあるやつは、ワタシ達を見てピンとくるはずだ。こいつら定期券を探しているって。その動揺は必ず行動に現れる。目を逸らすとか、一瞬立ち止まって躊躇するとか。部活で帰宅が遅い生徒は除外してもいいだろう。不祥事があると部全体に影響が及ぶから悪事はし難い」
呆気に取られて言葉を失っていると、ぼーっとするな!見ろ!入る列は3つだ。見落とすな!とどやされ、僕は改札を通過するブチ高の生徒に目をやる。
素早く視線を左右に動かし同時に通過する生徒たちをくまなくチェックする。
てっきり交番とか駅員にもう一度一緒に聞きに行ってくれるのかと思ったが、直接的に解決に動くとは。
いや、しかし、これはわからないぞ。みんな自然な素振りで定期券をタッチして改札に入ってくるように見える。僕ら二人を見て、好奇の目を向け口笛を鳴らしたり、目を逸らしてほくそ笑む生徒はいたが、挙動不審な奴は見当たらない。結局18時過ぎまで見張ったが収穫なしだ。
「ワタシの目論見は外れみたいだ。流石に同じ学内での犯行はリスクが高いか。一つ前の駅のブチ工業から攻めるべきだったよ。ごめん。ワタシの判断ミスだ」
淡々としているが、そんなふうに真剣に考えてくれていたのか。意外だった。
「汐入がそんなに責任を感じる必要はないよ。こちらこそ付き合ってくれてありがとう」
「礼などいらならいよ。朝、相談されたから、何とかしたいと思うのが人情ってもんだろ。明日は一つ前のブチナン駅を張ろう」
翌日、僕らは龍ヶ淵南駅、通称ブチナン駅の改札に陣取った。ここは龍ヶ淵工業高校、通称ブチ工業、の最寄駅だ。
汐入は律儀に一回下車して乗り越し分を支払ってから再び切符を買って改札の中に戻ってきた。昨日もきっとそうしていたんだ。
すまん、汐入。もとよりファストフードかファミレスで何かを奢ってやるつもりだったけど、交通費分としてもう1回上乗せしておく。
昨日と同じ要領でブチ工業の生徒を見張る。ブチナン駅でアジ三とブチ高の制服はかなり人目を引く。昨日以上に好奇の目に晒されている。
ブチ工業は、若干柄が悪く、睨みつけてくる輩もいるから少し怖い。だが、かえってオドオドしたり挙動不審なやつはわかりやすいかもしれない。
1時間が経過した。
ここも違うのか、と諦めかけた時、ある生徒と視線がかち合った。瞬間的に、向こうがサッと視線を逸らし、改札をタッチし足早に通り過ぎようとする。
僕がアッと思い動き出しそうになった時、汐入に腕を掴まれた。
「ますは目星をつけるだけだ。特徴を覚えろ」
男子だ。ブレザーのネクタイは青。背は170よりはありそうだ。175センチぐらいか。やや茶髪でストレートのサラサラヘアでツーブロック。顔はどことなくスネ夫に似ている。キツネ顔でやや唇が尖っている。僕らの前を通過する数秒で頭に叩き込んだ。
「覚えたぞ!」
「ヨシ!でかした。次はブチ工業の同じ中学のやつを探すぞ。そいつを味方に付ける」
「なるほど、そういうことか!それなら心当たりがある!」
第三章
僕はブチナン駅の改札である男を待った。
お、来た。ブルーのアッシュな髪をリーゼントに決めている昭和時代のヤンキーよろしく彼が現れた。
僕は彼が改札を入るタイミングで声を掛ける。
「千本松くん!」
「お!?能見じゃねーか。どうした?女連れて。デートか?」
「そんなんじゃないよ。ほら、汐入だよ。同じ中学だった」
と、中学の同級生である汐入を中学の同級生の千本松くんに紹介する。
「ん?ホントだ。汐入だ。柔道着のイメージだったから気が付かなかった」
「ワタシは剣道部だ。道着の見分けもつかないのか?」
「そうだっけ?ま、いいや。で、能見、なんか用?」
「うん。実は力を貸して欲しいんだ。今、帰りでしょ。鳥居駅までいくよね?みんな、駅同じだから電車の中で話すよ」
と言って3人で電車に乗る。
そして僕はことの顛末を説明する。定期券を無くしたこと、それにブチ工業の生徒が関与しているらしいこと。さっき覚えたその生徒の特徴。汐入はイヤホンを耳に入れることはせず、僕らの話をずっと黙って聞いている。
「それで千本松くんに頼み事なんだけど、その生徒と話す機会を作って欲しいんだ。直接話せれば後は何とかするから。キッカケを作って欲しいんだ」
「なるほどな。そのスネ夫似のサラサラヘアのネクタイは青なんだな?」
ブチ工業は毎年ネクタイの色だけが変わる。今は1年が臙脂、2年が青、3年が緑と言うことらしい。僕は急に不安になる。いくら千本松くんと言えど、上級生相手に話をしに行くのは難しいのではないか。
「そっかぁ。上級生かぁ、ちょっと難しいか・・・」
「いや、問題ねーよ。単なる事実確認だ。2年の頭張ってた奴はこないだ締めたから、俺が2年の誰に何をしようと文句を言う奴はいねーよ」
えっ!まだ四月だよ。いや何月であっても上級生を締めるなんて!
「で、そのスネ夫が能見の定期をパクったのは確実なの?」
「現物は見てないけど、ブチ高の制服を見て挙動不審になったのは間違いないから、かなり怪しいと思う」
「確実ではないんだな。じゃあいきなり殴り飛ばすのは良くないな。まずは吐いてもらってからってことか」
「あ、いや、吐いてもらったらその時点でもうOKだよ。殴る必要はないよ」
「ま、事情はわかったよ。明日までにスネ夫が2年何組のどいつなのか突き止めておく。明日、放課後、ウチの学校に来いよ。一緒にそいつのところに乗り込むぞ。先に帰られると困るから早めに来いよ」
翌日の放課後、来ないと思い込んでいて特に確認をしなかったのがまずかったのか、汐入もブチナン駅に来ていた。
「汐入、今日は物騒な話になるかも知れないから来なくてよかったのに」
「ことの顛末が気になるじゃん。来るなっていう方が無理だよ」
仕方ない。千本松くんにできるだけ穏便に接触するようお願いしよう。その後は僕が話すし、きっと大丈夫だろう、と二人でブチ工業に向かった。
正門に着くと、千本松くんが待っていてくれた。
「よ。能見、今日もデートなんだな」
「千本松くん、色々と違うよ。説明が面倒だから全部ざっくりと否定しておくけど。ことの顛末が気になるから見届けたいんだってさ」
「千本松、今日はよろしくな」
と汐入。
「なかなか肝が座ってるな。面白い、汐入。ついて来ていいぞ」
「それで、千本松くん、こちらは?」と千本松くんの隣に控えるブチ工業の制服を着たスキンヘッドの生徒について聞く。
千本松くんより背が高く185センチはあるだろう。ネクタイは青だ。春先なのにもうブレザーは脱いでいる。眼光が鋭く、眉毛は新月直前の細い月のように尖っている。腕の筋肉はバッキバキで見るからに体脂肪率が低い。拳もごっつい。間違いなくヤバい奴だ。
「こいつは2年の頭の梅屋敷だ。事情を話したら、2年生の悪事は自分にも責任があるからしっかりとケジメを付けさせて欲しいって言うから連れてきた」
なんと!千本松くんが締めたって言ってた2年生の頭がこの人なんだ。こんな人を締めてしまうなんて!千本松くん、どれだけヤバいんだ、君は。
「よ、よろしくお願いします、梅屋敷さん」
「ウチの奴がすまなかったな。今日はしっかりケジメつけさせるからな。間違っても奴が手を出すようなことにはさせないから、彼女さんも安心して見届けてくれ」
と汐入にも言葉をかける。
いや、だから違うんだけど。なんか面倒な誤解を生んでしまっている。
「梅屋敷さん、東亜細亜女子大附属第三高等学校の汐入です。宜しくお願いします」
と、特に否定することなく、しっかり敬語で挨拶をしている。年上にはちゃんと敬語を使えるんだな。
そして、リーゼント、スキンヘッド、ごく普通だけど他校の僕、そしてお嬢様学校の女子生徒という妙な組み合わせの四人が放課後のブチ工業の校舎に入って行った。目指すのは2年D組とのこと。教室に着くなり、まずは梅屋敷さんが
「おう!大森いるか!出て来い!」
と怒鳴り散らす。
シンと静まり返る教室で、ササっと後ろから出ようとする生徒が一人。
「あ、茶髪サラサラヘア!」
と僕が言うや否や、千本松くんが教室の後ろの扉の前に立ち、進路を塞ぐ。
そして、いきなり胸元に前蹴りを喰らわせた。
結局、聞く前にやるんだね。
腕でガードしたものの教室の半分ほどの距離を吹っ飛んで尻もちをついている大森とやらの髪の毛を鷲掴みにして、
「身に覚えがあるようだな。てめえがやったことならしっかり能見に仁義切れよ」
と千本松くんが迫力満点の台詞で迫る。
「・・・ません・・・」
と蚊の鳴くような声で大森がこっちを向いて何か言っている。
「あぁ!?聞こえねーよ!」
と梅屋敷さん。
「能見さん、スミマセンでした!」
と今度は大声で叫んだ。
大森曰く、定期券は払い戻して現金に換えた。その分の現金は返すからそれで勘弁して欲しいと。
千本松くんと梅屋敷さんに囲まれこんなに怖い思いをしているから、定期券がない期間の交通費は大目にみてあげるとするか。
僕としてはそれで問題ないよと、言うと梅屋敷さんが大森に、今あるなら即金で俺たちの目の前で能見に払えと言った。それを聞いた大森は財布から一万円札を取り出し僕の方に差し出す。結局、昨日と今日の電車賃を上乗せしてちょうどいいぐらいの額になっている。
僕はお金を受け取り、千本松くんと梅屋敷さんにお礼を言った。そしたら梅屋敷さんが
「悪かったな。これで勘弁してくれ。もう、お前の件は済んだからここで外してくれ。ここからは工業内のケジメの問題だ」
と有無を言わさぬ口調で言う。
チラッと千本松くんをみたら、梅屋敷の言う通りと言わんばかりに深く頷いている。
本当は大森に、もう良いよと許してやって穏便に終わらせたかったのだけど、どうやらそう言う世界ではないらしい。仕方ない。ここは梅屋敷さんに従い汐入を連れてブチ工業を後にした。
「なかなかエキサイティングな展開だったね。仁義を切るってああいう事なんだね。勉強になった」
と汐入が言う。
「そうだね。でももう少し穏便に済むと思ってたよ」
「それにしても千本松の奴は凄いな。梅屋敷さんも大森も上級生だぞ。全く怯まない。高校生にして早くも実力主義の世界を生きているんだね。年上の部下を持った社会人みたいだ。将来が楽しみだね!それに梅屋敷さんもしっかりと実力主義と割り切って組織に規律をもたらしている。梅屋敷さんはきっと有能なマネージャーになるぞ!」
と、どの視点から何を評価しているのかわからないコメントをする。
あ、そうだ、汐入にお礼をしなきゃ。
「そうだ、汐入、ありがとう。最後は千本松くん達に助けてもらったけど、そこに行き着いたのは汐入のお陰だよ。なんか奢るよ。どこかファストフードとか?」
うーん、と考え込む汐入。
「よし、じゃあ日を改めて、千本松、梅屋敷さん、大森も連れて一緒に行こう!」
と提案された。千本松くん、梅屋敷さんにはお礼をするつもりだったから、その分を奢るのは問題ない。でも大森は・・・。と少しモヤっとしたが、お礼を受け取る汐入の申し出だから断るのも気が引け「うん、わかった。じゃあそうするよ」と了解した。
数日後、リーゼント、スキンヘッド、青アザと絆創膏の茶髪ツーブロック、ごく普通の男子高校生、見た目はお嬢様学校の女子高生、の5人がブチナン駅前のハンバーガーチェーン店にいた。
支払いは全部、大森くんがしてくれた。少し心配だから聞いたら、やましいことがあるお金ではなく実家の喫茶店で働いたバイト代とのこと。本来僕が払う予定でいたから、懐具合が大丈夫?って意味で聞いたんだけど、違うように解釈された。
フライドポテトは全員分を山盛りにして、みんなで摘んだ。なんとなくそれぞれの間に張り詰めていた緊張の糸が少し緩んだ気がした。食べ終わる頃には、皆、大森くんを許したような空気になった。
そっか、汐入、こういうことだったんだね。いい機会を作ってくれたね。ありがとう、と改めて心の中で汐入にお礼を言った。
(定期券、拝見します〜無言で前蹴り〜 終わり)