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EP7 怠惰な夏休み〜突入編②〜

 「夢魔についてはこんな感じで、次に『図書室』についてなんだけど……」


 一通り『夢魔』に詳しくなってきた私たちに、今更この荒れ果てた図書室がどんな空間なのかなんて、考える必要もなく理解できる。

 私が口を開くのより、橘花さんの方が少しタイミングが早かった。


 「ここはその『平行世界の切れ端』みたいなものなんだよね?」


 「そうだよ。ここは俺たちの現実とは、半歩ずれた世界。白菊京が選んだ選択の結果の世界だ」


 「てことは……」


 「俺たちの世界に『白菊京』は、もう存在しない」


 目の前に幽霊が現れたら、人はいったいどんな反応をするのだろう。

 そんなことを一度は考えたことがあるけど、実勢に目の前にいる存在を幽霊だと認識するこは存外困難だと思い知らされた。

 感情に合わせてコロコロと変わる表情。体温を感じさせる手の甲の浮き出た血管。その血流が彼女の頬を薄く赤らめて、より一層生命というものを感じさせるのに。

 それでも彼女『白菊京』は世界に存在しないというのだ。


 「なんだか実感がわかないな……」


 ポツリと私の口から言葉が漏れ出した。

 

 「世界の見え方や感じ方は、その人それぞれだからな。目の前にいる、この『白菊京』は、白菊京そのもので、俺たちが認識している限りは白菊京以外の何者でもないからな」


 「またそうやって難しい言い方する……」


 そろそろいい加減、藤宮くんには私が理解できる表現というものを理解してほしいのに。

 

 「そもそも下月さんは、『シュレディンガーの猫』を知ってるの?」


 私の方を心配そうに橘花さんが見てくるけど、私もそこまで無知じゃない。

 さすがにその有名な実験のことくらい知っている。しかし、どこの誰がなんでそんな実験を始めたのかなんて聞かれたら、間違いなく狼狽(うろた)える自身はある。その程度にはにわかといえるのだ。


 「箱を開けてみないと結果がわからなくて、開けるまでは死んでいるとも生きているともいえる、みたいな話しだよね?」


 「うん。その箱こそ、まさにこの図書室なんだよ」


 「あーー!!!なるほど。じゃあこの箱の中に入っているから、私たちは白菊さんを生きているって認識しているのか」


 「そういうことだ」


 ふと私の中に、悲しい感情が誕生した。

 なんで彼女は、この何もない部屋を生み出したのだろうか。

 彼女が選んだ選択とはいったいなんなのだろうか。


 「聞いちゃってもいいのかな……?」

 

 私は、私の好奇心と彼女のことをもっと知りたいという気持ちを抑えることができなかった。


 「う〜ん……。そんなにおもしろい話しじゃないよ?」


 そんな私の気持ちを知ってか、白菊さんは遠慮気味に返事をした。


 「うん。それでも知りたいの」


 「そっか。でもね、その好奇心がいつか下月さん自身を傷つけることになるかもしれないよ?」


 「うん」


 「……。わかったわよ。私はーー」


 白菊京の口から語られたのは、美貌と引き換えに他者からの憎悪と悪意と嫉妬を一身に纏うことになった少女の話だった。

 

 「私は夢魔に願って、世界を消してしまったの。全ての人間を世界ごと消してしまえば、こんなにも他人に恨まれることもないのかな、なんてそんな子供じみた考えで、私の世界の全てを消してこの図書室に閉じこもった。ここにある本は全て、表紙こそ君たちの世界とおなじものだけど、中身は全くの別物。私の世界で生きていた人々のその人生が描かれているわ」


 彼女は世界の全てが面倒になってしまったのだろう。

 白菊さんの話を聞いて、絶句し会話にならない状態の私を余所に、橘花さんが事の顛末(てんまつ)推考(すいこう)する。


 「そっか……めんどくさい全ての事柄を、世界の全てと引き換えに消して、代わりに自分一人の世界を仮構したんだね……」


 「そういうこと。だから私は『大罪を背負うもの』。その権能は『怠惰』の名のもとに、世界を仮構すること」


 「そして、自分の世界だけじゃ飽き足らず、お前の夢魔が新たに要求してきたのは、他の平行世界を取り込むことだろ?」


 藤宮くんがピシャリと冷たく言い放つ。


 「そうよ。だから、なんでここに二人を連れてきたのか、私はどうしても理解できないの」


 「なんだそんなことか。そんなのーー」


 藤宮くんはいつも想像の斜め上のことを言い、私達を驚かせる。

 今日もそうだ。

 

 「ーー『下月人美(こいつ)』に勉強を教えてもらう為だ」


 藤宮くんと関わるようになってから、もう何度も言葉を失うという経験を積んだ。

 

 「え?本当にそれだけ?」


 「最初からそう言ってるだろ?」


 「いやいやいやいや。もっとこう、なんか、含みのある言い方だったじゃない!?」


 「いや。単純に説明するのすらめんどくさくてな。そう捉えられてたんならすまんな」


 白菊さんはまだ、藤宮くんが『真のめんどくさがり』だということに気づいていないようだ。

 こんなにも、立ち振る舞い、出で立ち、風貌、その全てに置いて彼以上に『怠惰』の言葉が似合う者は存在しないんじゃないかと思う。

 彼のその怠惰さは、目の前の『怠惰の夢魔』を宿す少女すらも呆気にとってみせたのだから、逆説的に私の考えは正しいと証明されたようなものだろう。


 「本当に変な人だね」


 そう言って、一見苦笑いにも見える表情を浮かべる白菊さん。けれども、その目の奥は、好奇と尊敬と、敬愛で光が満ちているように私には見えた。


 「そろそろ休憩も終わりにして、勉強の続きを……と言いたいところだが、時間もいい頃合いだし。今日はこの辺で終わりにするか」


 「あっ、そういえば。なんで私とみんなの体感時間に大きな差があったの?」


 「そんなの下月さんが『勉強嫌い』だからだろ」


 「えーーー。そんな理由で……」


 「藤宮くん、そんな意地悪言ったらダメだよ。下月さんが真に受けちゃうでしょ?」


 「ねえ……?二人して私のことバカにしてない!?」


 「「そんなことないよ」」


 確定。藤宮くんと白菊さんは、私をバカだと思っている。


 「大丈夫だよ!下月さんは、いい人だから」


 「……。うん。橘花さんは正直者だね……」


 そこまで上手いフォローじゃないのに、それでも自信満々な橘花さんは、根っからの優しい子なのだろう。

 と、私は納得することにした。


 「橘花さんの優しさに(めん)じて、めんどくさいけど、仕方がないから体感時間の大きな誤差の理由を説明してやろう」


 「馬鹿な私に答えを教えてください。おねがいします。ふじみやさま〜」


 「やっぱやめとこうかなって本気で思ったよ」


 「うそうそ!教えて」


 「はあ……」


 渋々(しぶしぶ)嫌々(いやいや)、仕方ないので、と三拍子揃った態度で藤宮くんは話し始める。


 「時間ってなんだと思う?」


 話し始めて即、中断。

 なんとも哲学的で、はっきり言って理解できない話しだと私の直感が言っている。


 「ごめん。もう少しわかりやすく」


 「はあ……」


 幾度となく聞いた、彼の呆れたというため息に、なんだか申し訳なくすら感じ始めた。


 「時間の流れが早いと感じたり、逆に遅いと感いたことはないか?」


 「ある。楽しいと早く感じるし、退屈だと遅いって感じちゃうな」


 「それと同じだよ。下月さんは、ここでの時間を楽しめてなかっただけ」


 「私が勉強嫌いってこと?」


 「それもあるが。単純に警戒していたんだろ」


 「私が?なにを?」


 「『夢魔の気配』をじゃないか?」


 「たしかに……」


 思い出されるのは、この図書室に最初に踏み込んだ瞬間のことだった。もっと詳しく言えば、『白菊京』という存在に出会った時に感じた違和感。

 彼女の柔和(にゅうわ)な口調の裏に、何か恐ろしいものが潜んでいるのではないかと感じた。

 初対面の人に対する緊張とは違った、それこそ自分の理解の追いつかない存在に出会ったような感覚が、思い出しただけで鳥肌を起こさせる。

 事実彼女は、『この世界』には存在しない別次元の存在だったわけで。それを直感的に察知していたのだと、白菊さんの秘密を知った今なら理解することができる。

 

 「それが下月さんの特異さだ。本来なら知覚することすら難しい『夢魔』に、短期間で何度も出会ってしまう。そんな力が、下月さんにはあるんだと思う」


 「私の力か……。なんか、すごいね」


 「語彙力のなさ……勉強、がんばろうな」


 「なんでそういう言い方ばっかするのかな!?」


 すっかり話しに夢中になってしまい、閉じることを忘れていた教科書とノートをカバンにしまう。机の隅に綺麗にまとめられた消しかすをゴミ箱に捨て、シャーペンは芯を引っ込ませて筆箱へ。

 一瞬、私たちの後片付けを、静かに見守る白菊さんと目があった。先ほどまでお行儀の良い笑い顔を浮かべていた彼女とは一変して、今の表情は少し寂しげで険しい。

 白菊さんに吊られて私も、きっと白菊さんと一緒に下校する、なんてことはできないのだろうと物寂しくなってしまった。

 そんな後ろ髪を引かれるような気持ちを押し殺して、私は絵私にできる方法で白菊さんを明るくしたくなった。

 

 「じゃあまたね!明日の放課後も勉強教えてね」


 「え?」


 私の声が大きすぎてビックリしたわけじゃない。

 きっと、彼女の正体を知った私達が、再び図書室(ここ)を訪れることはないと考えていたのだろう。

 

 「私に勉強教えるのは嫌?」


 だから私は、先ほど散々いじられた事への少し仕返しの意味も込めて、意地悪気味に聞いてみた。


 「嫌ってわけじゃないけど……その……私に勉強教わるの嫌じゃないの?」


 「何言ってるの。私がお願いしてるんだよ。嫌なわけないじゃん。白菊さん、教え方本当に丁寧で上手だしさ」


 「そうじゃなくて……」


 きっと『私といるのが嫌じゃないか』という意味なのだろう。けれど、あえてそのことには答えずに、『勉強を教えてくれるのが嫌か』ということに答えるようにした。

 だって、そうじゃないときっと私は白菊さんと友達になれないと感じたから。

 私の勘はよく当たる。だから私は、私の予感を大事にしている。


 「おーい。そろそろ帰るぞ」


 扉の前で、橘さんと藤宮くんが手招きをしている。二人はいつの間にか帰り支度を終えていて、肩にカバンを掛けた下校モードといった感じだ。

 

 「すぐ行くからちょっと待ってて!……じゃあね、白菊さん。明日も頼んだからね!」


 「ちょっとーー」


 その場を去ろうとした私を白菊さんが手を掴んで呼び止める。そして顔を近づけてきて、私に小さく耳打ちした。


 *****


 図書室を出ると、校舎内はすっかり夕陽で赤く染まっていた。

 蒸し暑いジメジメとした空気が廊下を満たしている。すでにエアコンが止められて全ての窓が閉め切られているから、こんなにも湿度の高い空気が校舎内に充満しているのだ。

 言い換えるなら、校内に人がもうほとんど残っていないということなわけで、そうなるに十分な程の時間が経過していたということになる。

 蒸し暑さのせいで額に汗が滲んでくる。

 刻一刻と沈む夕陽の熱が、最後の火を燃焼し尽くそうとする炭の様にジリジリと私の体温を上げて、その熱で思考が低速になっていくのを感じる。

 視界の少し先、廊下の突き当たりにある階段に向かって歩いていく藤宮くんと橘花さんの背中をぼーっと見つめながら、図書室を出る前に最後に白菊さんが言った言葉が頭の中にぼんやりと浮かんでいた。


 「『藤宮柊』は下月さん達を利用しようとしている」


 窓の外で鳴く、少し時期尚早なセミの声が聞こえてきた。

 夏がもうすぐそこまで迫ってきている。

 きっと一生忘れることのできない夏になる


 ーーそんな予感がした。

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