EP3 二人目の被害者①
橘花さんが学校に来なくなってから、一週間近くが過ぎようとしていた月曜日の朝。少し憂鬱な気持ちで登校していた私は、カバンの中でメッセージの受信を告げるスマホの振動を感じた。
『昨日は結局、橘花さんには会えたのか?』
差出人は藤宮くん。
私が商店街で橘花さんとぶつかったあの日の帰り、なんだかんだと理由をこじ付けて連絡先の交換に成功したのだ。しかし、いつも藤宮くんの返信は素っ気無くて短い。『うん』とか『わかった』とかそんな感じの返事ばかりだ。
そんな藤宮くんがきちんとした文章でメッセージを送ってくるなんて、関係値が高まったのかと少し期待してみるが……文面的に気になっているのは、やはり橘花さんのことのようだ。
『ううん。インターホンは押してみたんだけど……。やっぱり、学校の人に会うのは避けているみたい』
私は担任の先生から学校のプリントを届けるという建前で橘花さんの家の住所を聞き出して、日曜日に彼女の家まで様子を見に行ってきたのだ。
結果は惨敗。会う事どころか、声を聞く事さえできなかった。
『そうか』と短い返信が届く。きっと藤宮くんも気にはなっているのだろうが、彼は人付き合いが苦手そうだし、私を通して何か情報を得ようとしているのだろう。
藤宮くんが気にかけていることから推測するに、もしかしたら橘花さんの謹慎理由も夢魔のせいなのではないかと私は考えている。
「今日の放課後、藤宮くんに直接聞いてみようかな……。教えてくれるかな……?」
初夏とはいえまだ朝は少し肌寒くて、息こそ白くはならないものの、私のため息混じりの独り言は目に見えてしまうのではないかというくらい大きかった。そんな私に後ろからーー
「おはよ〜……って、人美。どうしたの?そんな大きなため息なんてついて」
と声がかけられる。それはやんわりとした、いかにも女の子らしい声色だった。
振り返ってみると(まあ振り返らなくても誰なのかはわかっていたんだけど)そこには、私の数少ない友人の『二階堂陽奈』が健気に心配そうな表情をしていた。
身長、推定145センチの華奢な体躯に、その体のサイズに見合ったバランスの良い小さな顔が女の子らしさを醸し出している。さらには、朝だというのにパッチリと見開かれた大きな二重の目に、黒曜石のようにキラキラと輝く漆黒の瞳が綺麗な美少女。
一見すると中学生と間違われそうな幼げな容姿だが、これでも私の同級生なのだ。
「陽奈、おはよ。ううん。なんでもないよ」
私と藤宮くんの関係は陽奈には内緒にしている。
なによりも陽奈には余計な心配をかけたくなくて、私が虐めを受けていたことも話していない。
もしかしたら風の噂で彼女の耳にも届いているのかもしれないが、わざわざ話したくもない事を話す必要はないと思うのだ。
「そっか。それならいいんだけど……」
そう言って陽奈は口籠る。本心では納得していないんだろうけど、私が何も言わないからそれ以上のことは聞かないように配慮してくれたのだろう。
二階堂陽奈とは、そんな気遣いまでできる立派な女性で、私の親友なのだ。
話題を変えて、学校までの道のりを陽奈との会話を楽しみながら進む。
学校に着いてから、私と陽奈はクラスが違うので昇降口で別れた。
教室に入ると、藤宮くんは既にいつも通り机に突っ伏して寝ているみたいだった。
なんでいつも寝不足なんだろう?という疑問はあれど、直接聞いた事はないので今度聞いてみようかと思う。
そんな感じでいつも通りの学校生活は過ぎて、放課後に私は藤宮くんとの待ち合わせのために屋上に来ていた。
「お待たせ。遅くなって悪かったな」
少しして藤宮くんも屋上に到着する。
「ううん。大丈夫だよ。あのね、藤宮くんに聞きたい事があって……」
「橘花さんの件だろ?」
「うん。藤宮くんはどう思う?私は夢魔によるものじゃないかと思っているんだけど……」
「さあな。俺だっていつでも夢魔が視えているわけじゃないし」
「そっか……」
今回の件が夢魔によるものなら、解決できれば彼女にも元の日常が戻ると思っていたのだ。だから夢魔の視える藤宮くんならなんとかしてくれるのではないかと淡い期待を寄せていた。
そんな私の期待を知ってか知らずかは不明だが、藤宮くんは曖昧な答えをする。
「なんとか私たちにできることってないのかな……?」
「下月さんは、橘花さんのことを助けてあげたいの?」
「もちろんだよ!!」
「なんで?そんなに仲良かったのか?」
そう真面目な顔で聞く彼は、予想どおり人付き合いが得意ではないのだろう。
「知っている人が困っていたら助けてあげたい。たったそれだけの理由ではあるけれど、それでもそういう優しさが大切だと私は思うの」
「ふ〜ん……。まあ、なにかあったら少しくらいは手助けするよ」
そう言って藤宮くんは去っていく。その背中を見送ってから、私は両の頬をペシッと軽く叩いて気持ちを切り替える。
「よし!!今日も橘花さんのお家に行ってみよう」
夕方の商店街は人で賑わっている。夕飯の買い物をする主婦や、下校中の学生達。その中には数人程度、私が通う学校の制服を着た子もチラホラと見える。コツコツとローファーが石畳の道を打つ音が響く。その足音から、私の足取りが重いことが伝わる。
橘花さんの家は、商店街から少し脇道にそれた場所にある。私の家からは少し遠回りになってしまうけど、徒歩で行くのが億劫になるほど遠くはない。学校からもそこまで遠いわけでもなく、本当に彼女のことが心配なら、このくらいなんてことないはずだ。
それでもおそらく、私以外に橘花さんを訪ねる者は学校にはいないだろう。彼女は今学校で、悪い意味で『時の人』なのだ。
そんな心が荒むようなことを考えてしまっていた私のスマホに、藤宮くんから一通のメッセージが届く。
『今日も橘花さんのとこ、行く気か?』
『うん。今日は会えるといいな〜』
『そうだな』
『藤宮くんは今帰り?』
『うん』
『帰ったらすぐ寝ちゃうの?』
『そう』
藤宮くんとのやりとりで少し心が軽くなった気がした。
気づけばもう、『橘花』と書かれた木製の表札の掛かった家の前に着いていた。インターホンを鳴らす。家の中で、ピンポーンという音が木霊している。
今日も会えないか……と諦めようと踵を返した瞬間、ドタバタっという音が聞こえてきた。しばらくしてゆっくりと家のドアが開く。
「あっ……その……こんにちは……」
Tシャツに膝下まで丈のあるズボン姿の橘花さんが、ひょこっと開けられた扉から姿を現わす。
そんな部屋着らしさ満点のラフな格好とは裏腹に、いつも通りに艶やかなセミロングの黒髪が後ろで結ばれている。上半身を覗かせる様に身を乗り出したものだから、その髪がふわりと肩から垂れ下がっている。そんな橘花さんの出で立ちは、正直女の私から見ても妙に色っぽく感じる。
「こんにちは、橘花さん。あの、突然家に来ちゃってごめんね?大丈夫……ではないよね」
「いえ……ありがとうございます。よかったら上がってください」
私は橘花さんに連れられて、二階にある彼女の部屋にお邪魔することとなった。
部屋の中に重苦しい空気が漂う。少し居心地の悪さを感じるけど、そんな私に橘花さんは神妙な面持ちで話し始めた。
「えっと……。私が学校を休んでいる理由って……」
「うん……。知ってるよ」
「そうですよね……」
橘花さんが俯くのと同時に、再び部屋に静寂が訪れる。
「あのっ!私どうしても気になっちゃって……。なんで橘花さんは、あんなことをしちゃったのか、よかったら教えてくれない……?」
重苦しい空気に耐え切れず、つい言い放ってしまった私の問いかけに対してしばらくの沈黙が流れる。その後、橘花さんが顔をあげて話し始める。
それは彼女の夢の話だった。
「一ヶ月前から、変な夢をみるようになったの」
「変な夢……?」
「うん。ずっと誰かが私の後ろでクスクスと笑ってる夢。後ろ指を指されるそうな恥ずかしさと、悔しさが込み上げてきて……」
「ちょっと待って!?」
私は驚いて、つい橘花さんの話しを遮ってしまった。彼女の夢に、私はどこか親近感を感じられずにはいられなかったのだ。
それと同時に、私の中で嫌な思い出が一瞬だけ蘇り、消えていく。
「どうしたの突然大きな声なんて出して……。私なにか変なこと言っちゃいましたか……?いや、まあ、夢の話なんてそれだけで変なんだけど……」
そんな私の様子に、橘花さんは目を丸くして驚きと戸惑いの表情を浮かべる。私はハッと冷静を取り戻し、彼女に謝りつつも、一つの疑問を投げかける。
「いや、ごめんね。そういうことじゃなくて……。もしかしてその夢に『悪魔』が出てきたりしない?」
私の言葉に、橘花さんがピクリと反応する。おそらくその様子を見るに、図星といったところだろう。
「話の腰を折っちゃってごめんね。続きを聞かせてくれる?」
私の中で一つの確信が生まれたが、一先ずここは最後まで話を聞こうと思った。
「えっと……。そうそう、後ろでクスクスと笑いながら話してるのが私の悪口で。それが、私が真面目すぎてつまらない人間だって話してて……。それを聞いて、なんだかとても悲しくなっちゃって。居ても立っても居られなくなっちゃって、何か言い返してやろうと振り返るの……」
橘花さんの表情はとても暗く、儚げで、今にも泣き出してしまいそうだった。きっと振り返った夢の中の彼女は、そこで絶望したのだろう。振り返った先に存在する、悪魔の姿をした自分に対して、だ。
「…………。あのね。橘花さんに会って欲しい人がいるの」
*****
商店街を抜けた先、少しさびれた町外れの小さな公園に私と橘花さんは来ていた。時刻は19時を回っており、辺りは薄暗くなってきていた。公園を吹き抜ける風は、夕方に溜め込んだ地面の熱で少し生ぬるい。
私の隣のブランコに腰掛ける橘花さんの表情は曇っていて、夕暮れの薄暗さと相まって不気味な空気を漂わせる。
「あの……私に会わせたい人って……?それに、そろそろ暗くなっちゃいますし……」
「あっ、ごめんね?……たぶんもうすぐ来ると思うから。きっと彼なら、橘花さんのことを助けてくれると思うから。だから、あと少しだけ……」
そんな私の話で、彼女の瞳に小さな光が浮かんだ。
今の彼女は、きっとあの日の私と同じで、誰かの助けを求めていると思う。だから、私は彼が来てくれることを信じてもう少しだけ待ちたいのだ。
「……おい。こんな時間になんだよ」
そんな私の期待に応えるように、眠たげでぶっきらぼうな声が少し離れた所から聞こえてきた。
呆れた、という態度でブツブツと文句を言いながら彼は近付いてくる。
「藤宮くん、やっぱり来てくれたね。ありがとう」
「下月さんが呼び出したんだろ……。それで?」
「えっとね、やっぱり橘花さんも夢魔に取り憑かれているみたいなの」
「あの……下月さん。なんで藤宮くんがここへ?」
私は誰と会うのか、橘花さんに告げずにここまで連れてきた。学校の人との接触を避けている彼女に、同級生である藤宮くんのことは伝えないほうがいいと思ったからだ。
「ちゃんと話すのは初めましてだな。……それに、下月さん。君はなんでこの短い期間で夢魔に取り憑かれた人間に遭遇するんだろうね」
「それはただの偶然だと思うんだけど……」
「あ、あのっ……なんのことですか?『夢魔』がどうとか、『取り憑かれてる』とか。全然話が見えないんだけど……」
私と藤宮くんが繰り広げる『夢魔事件の話』に、まったくついて来れていない橘花さんが会話に割り込む。
「…………。橘花さんは、なにも下月さんから聞いていないんだな」
「ごめんね、藤宮くん。私だと上手く伝えられるかわからなかったから」
「はあ……」
めんどくさい。そう、藤宮くんの顔に書いてあるような気がした。
「まあいいや。とりあえず橘花さん、君が悩んでいることを教えてくれないか?それを聞いてから、橘花さんの疑問に答えるから」
なんだかんだ言って藤宮くんは、橘花さんのことを助けてくれるみたいだ。そんな彼が、なんだかとっても頼もしく見えた。