悪役令嬢サキアノ
始まりは炭酸水
それはたった一言からはじまった。
ついポロリと溢れた言葉
「あー…炭酸水飲みたい…」
「たん…さん、水…ですと???」
学園の休憩時間中についうっかり心の声が漏れてしまった。この言葉に反応したのはアリージュ、旧姓有野という同学年の女生徒だった。
まさかこの世界で有野の様に過去の記憶を持つ人間に出会うなんて思いもしなかった。
この日から有野は私にとって生きる指針となってゆくのだ。
前の世界では異世界転生はありきたりな三文小説でネットを開けばあちらこちらに転がっていた。しかし、私はそれには全く興味がなく、体を動かす事の方が好きだったのでもっぱら部活に明け暮れる毎日を送っていたのだ。そんな私がまさか異世界に転生してしまうだなんて。
あまり突拍子もない出来事だったので当初の私は対応出来ず暴言を吐きながら周りにいる人達に泣きながら当たり散らしたものだ。
だが、赤ん坊となった私がいくら泣こうが喚こうが周囲はとても暖かい目で私をあやし甘やかした。
そんな事をされたいのではないのに。だ。
言葉を操れる年代…2歳になった私はこの世界を受け入れるしかない事を悟った。2歳では説明したくとも単語を少し喋れる程度で行動も庭を歩くのがやっと頑張ってみてもお昼寝を体が要求する。そんなもどかしい日を積み重ねる事16年、今では立派にこの世界に適応している。
「今、炭酸水とおっしゃいましたか?サキアノ様」
「え、あのっ」
「私もです。飲みたいです」
動揺している私に有野は嬉しそうに話しかけてきた。そしてよろしければ自宅へいらしてくださいと招いてくれたのだ。
伯爵の娘である有野の邸宅は立派で大きかった。馬車から降りると有野と使用人が出迎えてくれた。有野はそのまま応接間に私を案内して、お茶をお出ししますねと自ら用意しに行ってしまった。本来ならば令嬢である有野ではなく使用人がやるべき事なのだが、ここの使用人にとってはこれが普通なのだろうか?使用人はぺこりとお辞儀をして有野の後についてゆくだけだった。すぐに有野がティーカートを押して部屋に入ってきた。
お待たせいたしました。
有野はにっこりと私に笑い、それから使用人たちに2人だけでお話ししたいからお前たちはこの部屋に近づかないでね。と彼らを追い出した。
「サキアノ様こちらは私が作ったものです。良かったらどうぞ」
有野がテーブルに用意してくれたのはグラスの中に入った透明の飲み物とスープカップの中に入ったプディングだった。
「頂きますわ」
飲み物を一口飲むとシュワシュワーという炭酸に似た感触が広がって思わず目を見開いてしまった。
「これ、炭酸水!?」
「私なりに再現してみました。コーラも再現したかったのですが、あれはやはり難しかったです」
「凄い…」
言葉と共にホロリと涙が頬を伝った。それを見た有野も何故か泣き出してしまった。
何年振りかの炭酸水。故郷の味。プリンだってそうだ。この世界のプディングは生暖かいドロっとしたもので、あのぷるんとした大好きな食感のプリンもこの世界には無かった。再現した…と言うことは有野も転生者なのだろう。故郷の味を再現する事は並大抵の努力では無かったはずだ。それもたった1人でずっと続けてきたのだろう。そんな有野が泣いている。私にはわかる。それほどに故郷が恋しいのだ。
その日私達は自分たちの身に起きたことや今までどう過ごして来たか、それから転生前はどこに住んでいたか、何が好きだったか、好きなアーティストの話しや家族の話しをた。本名有野めぐりは私より5歳年上でゲームや小説が好きな関東住みのOLだったらしい。2人だけの時は有野と呼んで欲しいというので私もサキアノではなく小林伊音 イオと呼んでもらう事にした。
有野の話しではこの世界は乙女ゲームを題材にした物語の世界に酷似していて、物語のサキアノは悪役令嬢で王太子の婚約者であるのに無実の罪で断罪されてしまうそうだ。
なるほどこちらの父上に幼い頃からお前には婚約者がいるのだからとか王太子妃になる為と家庭教師をつけられ勉強や作法を叩き込まれたのはそのせいだったのかと合点がいった。
他にも有野はサキアノが無実の罪で断罪されない方法を探そうと提案してくれたのだが、私はそれを断った。そのかわりに有野から物語の全容を教えてもらったのだ。
私は不思議だった。数多くある断罪される悪役令嬢がその運命に抗い死を回避するというストーリーはよく耳にした。しかしそれは必要なのだろうかと当時の私は思っていた。
だってそこを変えてしまったら全く別の物語りになってしまう。自身を守りたいが為に物語を破壊して行く行為にはどうも賛同出来なかった。それは周りにいる人間の運命をも変えてしまう事になるのだから。確かに死は怖いものだ。しかしそれが運命であるなら受け入れるべきではないか。
それにこの国にはスマホもサブスクもサッカーもバスケもバレーもない。今回転生出来たなら処刑後また違う世界に転生するかもしれないし運良く元いた世界に戻れるかもしれない。だったら早々にこちらで処刑されて生まれ変わりたかった。
有野は私の考えを聞いて複雑なようだった。
それはそうか、友達が処刑されるのを見たい奴なんていない。
その日以降私と有野の仲は挨拶程度から親友にまで昇格した。有野の邸宅へ行っては故郷の味の再現をしたり、好きなアーティストの曲を歌ったり楽しい日々を過ごしていた
そんな私達の目の前に、この物語の主人公であるラナが現れた。
ラナの中途入学はかなり異例だったので学園を騒然とさせていた。しかし有野から物語の全容を聞いていた私は遂に主人公のおでましか。と思っただけだった。
ラナは王太子に気に入られ、のちに王太子妃になるとても可憐な少女。とうい設定通り実際お人形のような綺麗な顔立ちに美しい艶やかな金髪これぞ主役です。といわんばかりの容姿だった。
まぁ、私も悪役令嬢らしく美人系ではあったけれども。ちなみにモブの有野はごく普通の顔立ち。決して不細工ではない。
ラナが学園に来ると王太子はラナに執着しはじめた。常にラナと一緒にいるようになり、ラナの周りには親衛隊の取り巻きも出来た。
そして学園内では庶民的で可憐なラナ派と正当な王太子の婚約者であるサキアノ派の派閥争いまで起こる様になっていった。これも有野の話しにピッタリ合致している。
ある日私が食堂で食事をしていると、ラナと王太子とその取り巻きがやってきたので私と有野は席を立って退散する事にした。
ラナとすれ違う時にガチャンと音を立てて大袈裟にラナが倒れ込んだ。
当然私はラナに当たってなどいないのだが、これもイベントかな、と有野を見ると眉間に皺を寄せてうなづいている。なるほど。こんなふうに進んでゆくのか。
血相を変えて王太子がラナを助け起こしながら私を睨んでくる。
あぁ。嫌だ…。
こいつは私がラナを倒したと思い込んでいる。事実確認もせずに、なんて無能なボンボンなのだろう。多分私は王太子を軽蔑した様なバカにした様な顔をしていたと思う。
「お前、ラナを転倒させておいてその顔はなんだ!まずラナに謝るべきではないのか!」
「有野、ごめん…」
と小さく呟いた。
「そちらが勝手に倒れたのでしょう?私が何かしまして?」
私は本当の事を言ってフンっと王太子を鼻で笑ってやった。
無理だ。婚約者とは名ばかりであまり話した事もない能無し男にこんな風に睨まれ罵倒されて謝れるほどお人好しにはなれない。私が悪役令嬢ならば罵倒し返したって問題はないだろう。
「お前は…なんという女だ」
王太子は怒りを露わにしながらラナを起こし去っていった。
その夜私は学校から1週間の外出禁止を言い渡され、実家の父上からお叱りの書状と王太子とラナ嬢への詫びを命じられた。
それから度々そういった事が続いた。射的の授業で流れ矢がラナの服をかすめたり、ラナの部屋でボヤがあったり、湖にラナが落ちて溺れそうになったり、それら全て近くに居合わせた私に疑いがかけられ、遂に王太子から婚約破棄される事になった。
更に王太子はその他にも派閥が勝手にやらかした事まで含めて全て嫉妬に狂った私がやった事だとして死刑を宣告したのだ。
本当に王太子は馬鹿でどうしようもない奴だった。ラナに入れ込んでからラナを追いかけ回し、学園に圧力をかけて成績の悪いラナを贔屓し、国の資産を使ってラナの夜会用のドレスや宝石を買い与えた。本来なら婚約者であってもあり得ない事だ。側近が忠告してもラナは王太子妃になるのだから問題ないと押し通す。王もよくこいつを野放しにしたものだ。
しかしこの世界はこの2人を主軸に構築されているのだから仕方ない。
偉そうに婚約破棄というが、私は自分の意思で婚約者になったわけではない。
私は罪状を読み上げる王太子を憎しみの籠った瞳で睨んだ。
「私は王太子、貴方に好意を持ったことは一度たりともありませんわ。親が幼少に決めた婚約者というだけです。断罪したいならなさいませ。貴方などに未練はない」
有野から物語の全容を聞いた時から死罪になる覚悟は出来ている。堂々と受け入れるつもりだ。もしここに未練があるとしたら、この世界でまた有野を1人にしてしまう事だけだった。有野には断罪会場に来るなと伝えてある。彼女はきっと耐えられないだろうから。
私は兵士たちに手錠をはめられ地下室に連行され、拘留された。
しかし何故か3日で釈放されたのだ。
3日目に有野が地下室に現れて、泣きながら私を抱きしめて連れ出した。地下牢を出てグスグス泣いている有野に肩を抱かれながら城内の渡り廊下を歩いていると、柱の影から思わぬ人物が現れた。
「有野様上手くいきましたわね。」
にっこりと可愛らしく微笑んで有野に話しかけてたのは、ラナだった。
「本当はもっと早くにお止め出来たら良かったのですが、力不足で申し訳ありません。」
深々と頭を下げて謝るラナに有野はとんでもないです、ラナ様のおかげです。
とペコペコしている。
はて
一体どうなっているのだろうか。




