人魔竜(じんまりゅう)の三竦(さんすく)み
竜が孵化した。
青っぽい鱗で手のひらサイズ、トカゲのような顔、背中に小さなコウモリじみた羽、蛇のような尻尾もちゃんとある。
けれど額に「目玉」があった。三つ目の目玉がギョロリと動く。
「あ、悪魔!?」
心臓がばくばく暴れている。
どうしよう、どうしよう。
やってしまった。
僕らは失敗したのだろうか。これは竜に見えるけど、悪魔が擬態しているのか。
判断できない、わからない、どうしたらいい? どうしたら……。汗がにじむ。いまハンマーで殴れば殺せる? 悪魔を? いや、まて、考えろ、考えろ。
「嫌……ぁあああ!」
オムレットが悲鳴をあげそうになるのを、僕はとっさに口を押さえていた。
「ま、まって!」
「ふむっ!? なにするのよシェル、これ悪……」
「悪魔なら魔法円が反応するはずだよ!」
自分が咄嗟に放った言葉は、誤魔化しのつもりでも説得力があった。
「あ……そか」
「そ、そうだよ、落ち着いてオムレット」
落ち着くべきは僕自身だ。
悪魔なら襲いかかってくるはず。とっくに死んでいてもおかしくない。
目玉が三つある以外、赤ちゃん竜そのものだ。
何よりも「悪魔が生まれたら魔法円が赤く光って反応する」と事前に説明を受けていた。外にいる審問官すなわち「竜卵鑑定の儀」を管理する人たちに知らせる仕組みらしい。
もし悪魔が生まれれば救出するわけじゃなく、僕らを閉じ込めたまま、部屋ごと石化させる魔法の樹脂を流し込む手はずなのだ。
『……キ……キキッ……』
竜は弱々しく身をよじり、残った卵の殻から抜け出した。
「完全に孵化したわ」
「見た目は竜だよね」
用意されていた聖布を使い、ふたりで慎重に竜の赤ちゃんを包み込んだ。手のひらのなかで温かくてモゾモゾしている。
「……可愛い」
「……可愛いわ」
小さくて可愛い。
と、そのときだった。
『……キュ……し……失敗……?……』
声がした。
声の主は間違いない、手の中の竜だ。
「しゃべった」
「卵が喋るんだから、生まれてもおしゃべりぐらいするでしょ」
「そんなこと習ったっけ?」
「女子の勘よ」
オムレットのほうが状況の適応力は高いらしい。おかげで僕も冷静さを取り戻した。
「君、失敗って言った?」
赤ちゃん竜にささやきかける。
竜の二つの瞳はあまり見えていないのか、瞬きをしている。エメラルドのような色合いの綺麗な瞳は神聖な竜という感じがする。
『……人間……の子……ら……』
ギョロリと額の目玉が動いた。
僕を映す三つめ目玉は、人とも竜とも似ていない。黄金色の虹彩に不穏な光が揺れていた。
やっぽりこれは悪魔なのだろうか。だとしたらどうして魔法円は反応せず、僕らは食い殺されていないのだろう?
「竜と悪魔が混ぜこぜになったとか」
オムレットがつぶやいた。
「そんなまさか」
だけど彼女は妙に勘が良くて、核心を突くことがある。
『……ボクを……助けてくれた……』
『……違う、失敗しただけじゃ……』
『……ありがとう……』
『……ち、違うといっておろう……』
「竜が一人で喋ってる?」
「声がふたりに聞こえるわ。私たちみたいに会話しているのよ」
「つまり、これって」
「竜の中にふたりいるのよ!」
『……ずっといてくれる?……』
『……し、仕方のないヤツじゃな……どうしようも……ううむ』
ゴニョゴニョと何か悩んでいる。
オムレットの言うとおりだった。竜と悪魔がまぜこぜになっている。こんなことあるのだろうか。
「竜のなかに別の、悪魔がいるんだ」
「竜の中に寄生しているみたい」
『……ときに、そこな人間の子ら……』
「「はい!?」」
三つの目玉が同調、僕とオムレットに視線を向けてきた。竜の赤ちゃんは僕の手のなかで身をよじる。
『……ワシは……ぬしらが悪魔と呼ぶ存在じゃ……しかし、こやつ……竜を喰らうことにしくじった』
「卵に寄生していたんだ」
「じゃ、悪魔が竜の皮を被っているってこと?」
信じられないことに、僕らは悪魔と会話している。禁忌、呪われる、死ぬ。そんな言葉がついてまわる邪悪な存在と。
教科書は記述を避け、先生も先輩も、誰も教えてくれなかった悪魔という存在と僕とオムレットは向き合っている。
『……少々違うかの……。竜の子の、心臓の一部になってしもうた……。しくじったわい。こんな……つもりではなかったが、こやつ、元々心臓に疾患があったとはのぅ……。既にワシ無くして生きられぬ……。同様に、ワシもこやつ無しでは生存できぬ……』
「つまり一心同体ってことか」
『……そうじゃ……聡明な子よ……』
まるで老人のような口ぶりだ。これが悪魔、恐ろしく頭が良いことだけは間違いない。
「すごいわシェル、悪魔だけど竜なのね」
興奮した様子のオムレットと顔を見合わせる。
『……さて……ここは……。どうやら閉塞空間……魔法で外界と隔絶させておるな……?』
竜と悪魔の混合体が辺りを見回す。
キメラ、ハイブリットって云うんだっけ? 伝説の怪物みたいな、二つが混じりあいひとつになっている。
悪魔と竜のどちらの割合が多いか少ないか、そんなことはわからないけど、
「君が悪魔ならここから出られない」
「そうよ。竜なら自由になれたのに」
僕らはもう吹っ切れていた。
覚悟なんてとっくに決めている。
目の前の子は竜だけど悪魔でもある。
こんな不思議な、奇跡的な卵を引き当てるなんて、僕らは運がいいのか、悪いのか。これが外の審問官に知られれば、間違いなく悪魔判定。封印処置が施されるだろう。
『……フム、なるほどじゃ。状況は、おおよそ……わかった……』
「物わかりが良いね、悪魔竜」
我ながら良い呼び方かも。
「せっかく生まれたのに残念ね」
オムレットは僕の腕をぎゅっと握っている。ここで死ぬ覚悟なのだ。
『……なぁに、ワシが身を潜めておれば良いだけのことじゃろう? さすればこやつはただの竜じゃ。……ワシは時が満ちるまで……眠っておれば勘づかれまいて……。ぬしらが……誰にも言わねばのぅ……』
三つ目の眼が妖しく光る。
「えっ!?」
「ちょっ!」
『……これはヌシらとの取引じゃ、悪い話ではあるまいて。人魔竜の三竦み……というやつじゃ……。ワシらは一心同体いや、三位一体じゃ。互いがいなくては生きてゆけぬ……ここを出られぬ……』
人魔竜の三竦み。
悪魔がその事を知っていることに驚いた。そして悪魔が言わんとしていることが。
「僕らに黙っていろってことか」
「三竦みの意味が違うわよ!」
『……時が来れば……ヌシら……力になろう……。シェルと……オムレット……』
驚くことに僕らの名を覚えられた。
ゆっくりと額の目が閉じてゆく。
「まって!」
悪魔の第三の目玉は閉じて、額に吸い込まれるように消えてしまった。同時に禍々しい空気も和らいだ気がした。
「気配が消えたわ」
『……アギャ?』
竜の子が無垢な鳴き声をあげた。
ぱちくりと二つの瞳を瞬かせる。
と、魔法円が青く輝きはじめた。
きらきらと祝福するように光に満たされてゆく。ゴゴゴ、と重々しい音をたて扉が開いた。
「おめでとう、君たち!」
「素晴らしい、竜が生まれたね!」
赤いローブを頭から被った審問官の声が響いた。
「はは……どうしよう、オムレット」
「ぴったりな言葉、思い付いたわ」
「一蓮托生?」
「ううん、共犯者よ」
彼女は悪戯をする子供みたいに微笑んで、僕の手をつかんで、部屋から歩みだした。
これは、僕らの秘密。
僕とオムレット、竜と悪魔の密約だ。
人と竜と悪魔、知られたら全員命はない。
これ以上の関係ってあるだろうか。
共犯者、それは言えて妙だ。
「いきましょう」
「あぁ、もうっ!」
こうなったら、どうにでもなれだ!
<つづく>