卵から孵化せしもの
「先日の授業、覚えてる?」
「なによこんなときにシェルったら」
「『人魔竜の三竦み』の話だよ」
僕とオムレットの目の前には、大きな卵がひとつ置かれている。
銀製のエッグスタンドに載った卵は、白くて鮫肌のような質感。ニワトリの卵の三倍ほどの大きさの『竜の卵』だ。
厳重に閉ざされた密室で、卵の声に耳を傾けて正体を見極める。竜なら孵化させ、悪魔なら叩き割る。
竜を孵化させれば勝ち。僕らは賞賛され成績が加算される。
悪魔を孵化させたら負け。というか学園生活も人生も終わる。負けたときの分が悪い勝負だと思う。まぁ絶対に敗けない方法もあるのだけど……。
「人魔竜の三竦みぐらい知ってるわ」
人間は悪魔を殺せない。
例外として卵の時だけ破砕できる。
悪魔は竜には勝てない。
例外として卵の時なら寄生できる。
竜は人間を殺せない。
殺すのは容易だが共生関係にあり、人間がいないと子孫を残していけないから。
オムレットは事も無げに言った。
「竜は悪魔を倒せるけど、人間は殺せない」
「人間は竜には勝てるが、悪魔は殺せない」
「悪魔は人間に勝てるけど、竜は殺せない」
どう言い換えても堂々巡り。
ジャンケンみたいな理屈ができている。
「実際はジャンケンほど単純じゃないわ。人間が竜を殺したら本末転倒、魔法を手に入れられないし、竜だって人間がいないと困るんだもの」
「うん、だよね」
人間が竜の卵を保護し汚染されていない卵を孵化させる。そうでないと全部悪魔に乗っ取られて滅んでしまう。それに竜が人間を殺さない理由もおかしくて、人間のつくる宝石や金が大好きだからとか。
ギリギリの均衡が保たれているらしい。
「竜が悪魔に勝てるなら、どうしてここに来てくれないのかしら。良い考えだと思うけど?」
「竜に人間の都合なんて関係ないんじゃ」
二年生はいつも噛みつかれて、ヘトヘトに疲れているみたいだし。竜が犬や猫ほど従順だなんてとても思えない。
「三年生は竜と友達なのよね」
「それは、どうなんだろう」
上級生たちは魔法学園の別棟にいる。学園は「三つ子の塔」と呼ばれ、三つの城のような塔で構成されている。それぞれの建物は特別な許可がないと、生徒は行き来できない。
例外は塔に囲まれた中庭と中心に立つ旧教会の建物。図書館や学食、大講堂と呼ばれているエリアだ。
「そういえば竜は見たことあるけど、悪魔は見たことないね」
「そんなの見たら死んじゃうからよ!」
僕らは悪魔を見たことがない。まぁ当然といえば当然だけど。
「それと、竜から授かる魔法で悪魔を倒せるなんてことはないのかな」
「魔法使いや魔女なら悪魔に勝てるって? そんな簡単な理屈なら、こんな地下室で卵の鑑定をする必要もないわ」
「だよね」
僕らは顔を見合わせた。魔法でやっつけられるなら苦労しないよね。
いろいろ考えを整理して、助かる方法、安全な方法を考えてみた。でも大昔からの理屈やルールを僕らが今さら変えられるものではない。
「安全策はあるよ」
「どうせ誰でも考えつくアレでしょ」
竜か悪魔か確率は二対八。部が悪いのだから絶対に危険は冒したくない、命が惜しいなら失敗しない安全な方法もある。
卵を全部割ればいい。
鑑定なんてせず片っ端から叩き割る。
そうすれば少なくとも自分たちの命は守れる。
けれど竜は生まれない。
世界から竜が消えれば魔法も途絶えてしまう。
それに孵化したって全てが成獣になれるわけじゃない。多くが途中で死んでしまう。ただでさえ数が激減している竜が滅びれば、人間はおしまい。
魔法が使えなくなった人間は滅ぶしかない。
僕らが暮らす世界は魔法で支えられている。竜から授かる魔法を失えば、悪魔どもの思う壺。滅ぼされてしまうのだという。
竜を孵化できない生徒は、でき損ない。
学園で落ちこぼれの烙印を押され、クズとして見下される。やがて強制退学、追放されてしまう。
『…………れ……』
「オムレット!」
「いま聞こえたわ! 卵の声」
オムレットが声をあげ、僕と視線を交わす。
はじまったんだ。竜の卵が孵化直前で、産声のようなものを発しはじめた。
ついに「竜卵鑑定の儀式」がはじまる。部屋の外では担当の審議官二人が、僕らの出す結論を待っている。それまで扉は開かない。
集中して耳を傾ける。
声は断続的に聞こえてくる。
『……どう……しよう……。だけど……嫌……』
「なんか困ってる?」
「珍しいパターンね」
『……なのに……どうし……』
「悪魔の罠かも」
「複雑な嘘はつけないって先生が」
悪魔ならもっとストレートだ。僕らの欲望に訴えかけてくる。力が欲しくはないか? 永遠の命がほしくはないか? なんて言ってくる。今まで連敗の経験からもそれは明らかだ。
『……友達……なのに……』
次第に言語がはっきりしてきた頃合いを見計らい、声をかける。
「君、なにか困っているの?」
『……くすん……どうしたら……』
「どうしたの?」
『……食べちゃった……なのに……』
悲しそうに、か細い声。
「よくわからないな」
「なにか変よ、竜にも思えるけど」
オムレットは先日までとは別人のように疑り深く慎重だ。むしろ僕は竜だと信じたい気持ちになっている。
「悪魔ならもっと、欲望を刺激するはずだけど」
「そうなのよね、うーん、確かにこれは」
「竜は人間に無関心だって」
「質問に答えてくれないものね」
会話が成立していない。悪魔はむしろ物わかり良く話してくる感じがする。
「もしかして竜かもしれない」
「すこし内気で気弱な竜の卵?」
悪魔がそんな繊細な演技をするなんて記録にはなかったはず。
僕らが体験した通り、耳障りの良い、都合の良い嘘をつく。僕は竜だよ、魔法をあげる……等々。
事前にいくら勉強していても、実際この場に立つと冷静さを失いそうになる。
『……苦しい……外……でたい……』
何度か問答を繰り返し、かなりの時間が経過した。孵化が近いのか、卵がモゾモゾ動き始める。
そして僕らは結論に至る。
「これは本物の竜だよ」
「あたしもそう思う」
僕とオムレットの意見は一致した。
銀のハンマーを手に、あとは見守るしかない。万が一悪魔なら、生まれた直後なら銀のハンマーも通じるかもしれない。オムレットだけは助けるって約束したのだから。
「はじまる」
「あぁシェル、緊張してきたわ」
「僕もだよ!」
パキッと音がして殻がひび割れた。
孵化がはじまった。
卵の上部が剥がれ落ち、中から動くものが見えた。青い鱗、蛇のような鱗が見えかくれする。これだけだと竜か悪魔か、わからない。せめて、もうすこし。
『……ピ……キ……』
息を飲んでハンマーを握りしめる。
パコッと殻の上半分ほどを飛び散らせて、小さな羽が見えた。青っぽい湿った鱗に包まれた首、黒い瞳。どこからどうみても、これは竜だ。
「やったわ!」
「竜だ、ドラゴンだ!」
僕らは跳び上がって喜んだ。互いの手をとりあってその場で思わず跳ねる。
『……ビキ、ピ……?』
可愛い雛の声。卵のなかにいたときのように念話できるだろうか。
「生まれた、よかった!」
その時。
『……ピ……キキッ……!』
三つ目の目が開いた。額の中心、本来あるはずのない場所に黄金色の目玉が。
「あっ……あ」
「悪魔!?」
そんなばかな!?
これは竜なのに、どうみても竜なのに!
<つづく>